この国で幾度となく繰り返されてきた韓流ブームに見事乗り遅れてきたわたしが、いま周回遅れでハマっている『梨泰院クラス』。そこで心に残る台詞と出会った。
自分でも気づかぬうちに
愚直。この言葉を素で体現しながら生きている主人公セロイの言葉だ。
直訳では少し違うようだが、この言葉の本質に耳が痛くなる思いだった。繰り返すうちに人は変わる。その通りだと思った。
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セロイは「信念を持って生きろ」という父からの家訓を大切に生きる。上記で引用した言葉は、信念を持って生きるセロイが、具体的にどのように考えて信念を貫いているかが言語化されている。
やっとの思いで「タンバム」という自分の店を出したセロイ。しかし自身が店を留守にしている間にグンスとイソ、二人の未成年の飲酒を許してまう。通報され、2か月の営業停止処分を受けることになるが、その未成年の一人グンスは何とセロイの宿敵である長家の次男だった。グンスの兄でセロイの因縁の相手でもあるグンウォンがグンスを迎えに来ると、あろうことか担当刑事は大企業である長家のご子息であれば、融通も利かせられる、セロイの2か月の営業停止処分も多めに見ることができると態度を一変させたのであった。
担当刑事に対し怒りをあらわにし、営業停止処分を受けることを宣言し警察署を後にしたセロイに対して、事の元凶であるイソが問いかけた。商売人だったら1回ぐらい我慢すれば、プライドを捨てて守れるものがあると。
そんなイソに対して言い放ったのが冒頭の言葉だった。
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塵も積もれば山となるということわざがあるように、このセロイの言う「1回」の意味を自分なりに胸に手を当てて考えてみた。
沢山の小さな妥協が頭に浮かぶ。
例えば、仕事で手を抜いてしまった時。それは長い仕事人生の中で一時、些細なことかもしれない。しかし、それを何度も繰り返してしまうと手を抜く前の自分にはきっと戻れない。自覚なく、誰も教えてくれることなく、その1回の前の自分から緩やかに変わって別人になってしまうのかもしれない。その1回が自分が変わってしまう1歩目だという事に気づくことは難しい。
人生に完璧を求めるのはナンセンスだけど、こういう小さな妥協を積み重ねると自分の求めていた結果から遠ざかってしまう事、心当たりはないだろうか。
わたしはある。寧ろありすぎて、このセリフを聞いてしばらく落ち込みすらしたぐらい。
まだまだ、セロイのように確固たる信念に沿って生きられていない、初めの1回を甘んじて選択してしまうことも多い。もちろん、時と場合によってはそういう選択が必要な場合もあるだろう。
信念と生き方
大事なのは、セロイが何に対して拘ったか、だと思う。
セロイが拘ったのは、宿題を明日に持ち越そう。とか、今日はもう眠たいから日記を書くのは明日にしよう。とか、そういう行動ベースの細かい話ではなく、自分の生き方に対してだった。
信念とはつまり自分の生き方そのもの、指針でもあり、父の教えに従って自分なりに貫き通すと決めた生き方に対して妥協を許さない。
例えば、誰しも嘘をついて生きたいとは思わないだろう。でも毎日の中で小さな嘘を積み重ねていけば、それが次第に罪悪感を押しのけていく。そしていつしか平気な顔で嘘をつける人間になってしまうかもしれない、自分も気づかぬうちに。
わたしは、自分との約束を守れるような人になりたい。また、自分に嘘をつかない生き方がしたいと思っている。
しかし、1回、また1回と自分との約束を守れずにいると、そのことに対してなんとも思わなくなってくる。言い訳を見つけてくるのが上手くなり、自分との約束を守ることが大切じゃなくなり、自分を誤魔化すのが上手くなり、自分に嘘をついているほうが都合がいいとさえ思うようになる。そして生き方が変わってしまう。
信念や生き方はアップデートして然るべきことかもしれないし、貫き通す必要があるものかもしれない。きっとその辺は人それぞれ。でもそんなのどうでもよくって。
変わりたくないもの、変えたくないもの、貫きたいものがあるとするならば、今一度自分の中を探ってみるべきなのかもしれない。いま1回、最後に1回、もう1回、そうやってどんどん1を積み重ねた先にどんな自分が待っているのかを想像しながら。
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