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男女雇用機会均等法:あれから37年。大卒じゃない2期生。

昭和60年(1985年)5月、男女雇用機会均等法が成立した。施行は1986年。SDGsライターになって、この文脈を何度書いただろう? そして、自分がこの時期に新卒での就職を経験をしたことで、当時を見聞や想像でなく書けることをちょっと嬉しく思うこともある。

本日は、この記事を受けて。

タイトルにも書いたが、私は昭和62年(1982年)に新卒として企業に就職した男女雇用均等法施行2期生だ。しかし、大卒ではないので恩恵よりも、厳しい現実があった。これも繰り返し書いているけれど、法律施行前は短大卒を採用していた多くの有名企業が、急に女性の採用を大卒のみに切り替えたからだ。それにより、私は希望した企業にエントリーさえできなかった。

今の就活生の大変さは、専門学校の講師という立場で見てはいるけれど、あの頃はあの頃で大変だった。今よりも生き方の選択肢は少なく、「就職できなかったら人生は終わる」と本気で思っていた。「どこでもいいから採用してくれ!」が最後の思いだった。しかし、28歳で結婚や出産という“寿”なしに会社を去るのだが……

就職後についてリアルに書けるのは私の周りのことだけなので、世の中の話は分からないけれど、おそらく私の周りは、世の中の縮図だったのでは?と思う。

私が入社した会社は、高卒・短大専門卒・大卒・時に院卒も、同時に採用する企業だった。規模は1000名ほど。

そして、同期は60名だったか80名だったか?。←なんと曖昧。

業種はソフトウェア業で、今思うと若干ベンチャー的だったかもしれない。ただ上層部は大手からの出向者だった。

結果から言おう。大卒で入社した女性たちは、早々に会社を去っていった、と記憶している。このニュースでいう、あのとき入社して60歳を迎える人がいるのだろうか? 会社そのものが今は名前を残していないので、検証はできないけれど。私が所属した8年よりも早く去っていった人が多いような気がする。当時私は28歳、同期の大卒女性は30歳。「結婚」は、今よりも大切なことだった。

そして、個人情報保護法のない時代。結婚や出産は紙ベースの社内報に掲載され、社員たちは自宅に持って帰った。プライベートな情報も筒抜け。プライバシーなどない時代。

管理職という視点でみると、私の在籍中に2人の女性役職者が誕生した。もしかすると、それはとても画期的なことだったかもしれない。

社内では女性だけ制服を着用。正直、それに疑問を持つことさえなかった。サイズを聞かれるのは当たり前。

ただ、この記事と違う面もあった。これがベンチャー的だったと感じる部分。お茶出しはなかった。掃除もなかった。コピー取りを依頼されることもなかった。それぞれが自分の分をコピーする社風だった。部長もコピー機の前で自分でコピーを取ろうとチャレンジして固まっていた。そんなお茶目な部長だった。そんなときは手伝った。

ワープロが導入されたばかりの本社では、新入社員だった私が担当になり、我流でキーボートの打ち方を覚えた。そのとき覚えたままなので、今の私にはホームポジションなんてない。

そんなこんなの37年。定年の歳が近いことを改めて感じるけれど、企業に属さず生きて29年(途中3年半だけ社員をやったけど)。
いつまで働くのだろう? と思う日々。
たぶん働き方ややることを変えながら、ずっと働いていくんだろうな。
それは嫌ではないし、楽しんでいるから。

物流業界の2024年問題など、私が書くようになった記事は、自分が働いてきた時間の重なることが多い。

そして何より、37年前と変わっていない社会。いや、あの頃より女性には厳しくなった社会を憂う。また、女性に関わらず、多くの「格差」が生まれた。1970年頃の「一億総中流意識」は、今の若者たちには「?」でしかないだろう。

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