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「神様は優しい」

今朝、息子が今年から通い始めたフリースクールを休みました。

先週は3日全ての日程に参加し、ここから彼の新しい人生が動きだす!と家族は期待と喜びに胸を膨らませるとともに、本当に行けるのだろうか?という不安がよぎっていたかもしれない。

小6の春から現在中2の冬まで、3年近く不登校状態の彼を家族はみな心配していました。大人達は、諦め、認め、見守る。そういう状態。
少し忍耐がいるような…

そこに光を差すように、今年からはじまったフリースクールでしたから、今度こそは…と期待するとともに、これが最後のチャンスかもしれないと不安に思う気持ちもあります。

私はというと、学校に行った事に対してよりも、今年に入って彼の言動が変わった事にとても感動していました。学校に行ったことから触発された部分もあるのかもしれませんが、そんな単純な事ではないと知っています。
それは十分に休み、たっぷりの自由を満喫する事で癒され、彼自身の中からでてきた衝動が見えていたからでした。

「成長したい。学びたい」

私にとってこんなに嬉しい事はありません。学校に行けたのは、彼が行きたいと思ったから。息子は、やりたくない事は絶対にやらないと決めているのです。だから、今日は行けなかった。

昨日の夜の事。私は美しい月を眺めながら歌を歌い、月を感じ、幸せに満ち満ちていました。

1時間くらい歌うと丁度ヨガのアーサナをいくつかやり終たくらいの状態になります。血流がよくなり、左脳が止まっていき、周りの空間に自分がじわっと溶けていく感じです。脳波も下がっている。ただ自宅でやる場合部屋に誰かが入ってきたりするので、その時々でマインドフルにはむらがあります。

珍しく寝る前に一人になり、YouTubeをつけると、
エイブラハムQ&Aというラジオタイプの動画が流れてきました。


でもこの話ではなく、別のだったんだけど…今思い出せないのですが、
コメントに対するお話しがあり、そこで
子供に対する態度」についての内容でした。苛立ちや怒り等ネガティブなものです。
それは本当の私達(母親)ではないという事。私達は子供を愛してやまない。ただ私達が期待する事、こうあるべきと思う事があるからそうではない目の前の子ども達に対してネガティブな感情が出てくる。それ自体は私達ではない。だからまずはそこから離れ、喜びの感情を味わう工夫をする…

私にとっては、もう何度も経験し失敗もたくさんした内容。
でも失敗の数だけちゃんと成長もしている。なので再確認だなぁなんて思いながら眠りにつきました。

そして今朝。
時間になっても降りてこない息子の事を起こしに行くと、
「今日は無理」という返事。「むかついて眠れなかった」という話。

お、来た来たと思いました。
まず、「私ね、今日神様が準備させてくれたから、あなたを責めたりしないよ。」と伝えました。実際ネガティブな感情は全然出てこなかった。
それから、「愛しているよ」というエネルギーをたっぷり出しながらなぜいけないのかを聞いていく。それだけで十分でした。

その後は一人で自分を分析し、行けない事で何が得られないか、どういう事が起こる可能性があるかを語り、それを理解した上でも行けない自分を認めて、今週1週間の自分の過ごし方を考え始めました。全自動。(笑)

行けなかった大きな理由が「妹との事」でした。
彼は自分自身が見えていなかった事に気が付きましたが、それでも妹には謝らないと言い張りました。
「謝りたくなければ謝らなくていいよ、でもね原因はあなたにあったことは事実だね。神様は見ているよ。」

といったその瞬間、彼の座っていた椅子が倒れました。
それはまるで、「はい、見ています!」と言わんばかりに…

「神様神様って気持ち悪いよ!神様が罰与えるのとか気持ち悪い!!」
と叫びながら、姿勢を戻す息子の顔は引きつっていました。

神様は罰なんか与えないよ!教えてくれているだけだよ。なんならそれは神様って名前でなくてもいいんだから。それは自分の中にある、もう一人の自分だよ。

その後、死んだら地獄にいくのか、罰を与えられるのか、罪人が死んでも光の中に行けるのか…等々彼の思考は色々なところに行きました。

またして、「謝るのって難しいよね。」とぼそっとつぶやくので。
妹が悪いといつも決めつけてきた事、そのくせがあるから「妹が悪いに違いない」と思いこんでいる事、その思い込みが消えれば謝る事は簡単だよ。と伝えると、次の瞬間
「ごめんな、…」

と妹に向かって謝っていました。一瞬の出来事に私は唖然!
素直だなあ。

妹は目を真っ赤にして私達を見つめ、それを見た私達は全てを理解し3人で泣きながら抱き合いました。

いつも末娘(妹)と一緒にお風呂に入ります。わたしは聞き役。
昨日娘が話してくれたのは、物がなくなる時の不思議について。

物がなくなる時、
「これはなにを伝えてくれているのかな?」と考えるそうです。
そしていつもああ、これを伝えたかったのね。と分かるといいます。

自分自身を導く何かの存在に気づき、しっかりとメッセージを受け取る事ができるのです。

末娘は去年の5月から学校に行ってませんが、ゆっくり過ごすことで色々な気づきがあり、彼女の性格は180度変わりました。

自己肯定感が低く、自分が大嫌いでいつも機嫌が悪かった彼女を、私は
思春期女子特有のそれかなあ…と仕方ない事として捉えていました。

息子の不登校の事で色々悩み模索していたというのもあり、彼女の状態をおかしいと感じられなかった。

丁度1年前の5年生の3学期、腎臓の病気になり突然の発熱から入院しました。もちろん面会は1日15分程度しかできず、私はとても可哀そうに思っていたのですが、ほぼ病室で一人でいた2週間は、彼女にとって自由を満喫できる夢のような時間だったそうです。

6年生になり、ある出来事がきっかけで学校に行かなくなりましたが、それも必然だったと思います。彼女はとてもいい子なので、なんとか学校に行っていただけで心の中では全然行きたくなかった。でも行きたくないとは言えなかったし、我慢できた。それからもう一つ、
「お兄ちゃんが大嫌いなので、お兄ちゃんのようにはなりたくなかった。」
のです。

お兄ちゃんとの確執は兄がストレスから妹をひどくいじめるようになった事から始まります。お兄ちゃんが大好きだった妹は傷つき、お兄ちゃんを恨み、憎むようになりました。
そうなると、あっという間にお互いの憎しみは増殖し、二人の関係性は最悪になっていきました。
年の近い兄妹なんてそんなもの…という事を聞いていた私の中には諦めと苛立ちがいつもありました。お互いを思いやる事がなぜできないのだろう?と自分勝手に嘆いていました。

兄が不登校になり、妹も期せずして同じことになり、仲の悪かった二人は同じ空間に何時間も一緒にいる事になったのです。

でも私は兄が変わったのが分かっていたので、大丈夫と知っていました。
自分の中にストレスがなくなり、妹に優しくできるようになっていました。その兄に対して唇裂な態度をとる妹の姿をよく見かけましたが、それに対して穏やかに受け止められる兄がいました。
時々度が過ぎて我慢できなくなり、お互いに暴言を吐く事はありましたが、少しずつお互いに成長していきました。
彼女自身のストレスもなくなり、ゆったりとした時間を過ごす中で自分を取り戻していきました。

一番の変化は、彼女の大きな気づきからくるものです。
それは全部自分の中にあるという事です。
自分が嫌いだから辛かった。
私が私にOKを出すこと。それが幸せの原点であり、全てなのだ!

とこの年で(12歳)気づいてしまったのです。
今の彼女は、毎日ニコニコご機嫌で「私かわいい!」と何度も言います。(笑)
お家でゴロゴロ携帯を見ている小6女子がそれに気が付けたのは、
ゴロゴロ携帯を見る事が決して無駄ではないと証明してくれます。
ゲームをする事が世界を広げ、英語をマスターする事に役立つ事も教えてくれました。

みんなと同じ事が出来ないとダメ、と教わった私達からは絶対に出てこない気づき。

彼女は「自分の中にいる神様は優しい」という事を知っています。

全部全部ありがとう。











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