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読書記録「ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場」

2021年8月現在、日本が目下直面している危機はCOVID-19の感染拡大だ。少なくない日本人の注目が、COVID-19に向けられている。

しかし、日本の危機はそれだけではない。2011年3月に起きた福島第一原子力発電所事故は、まだ収束していない。

「ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場」は、ジャーナリストの布施祐仁(ふせ ゆうじん)氏が、2011年から2012年にかけて、原発の関係者や地元住民に取材して執筆した書だ。事故直後の現場の緊迫した様子や原発作業員たちの生の声、原発の闇の部分、また全国各地から集まった作業員たちが暮らす温泉町・湯本の歴史を伝える。章立ては以下の通りだ。

・第1章 決死隊
・第2章 被爆作業
・第3章 ピンハネ
・第4章 原発労働ヒエラルキー 
・第5章 犠牲と補償
・エピローグ――「距離」を埋めるもの――
・あとがき

第1章には、事故直後の現場の衝撃と混乱、その後の対応の様子が記される。地震の揺れで落下した鉄骨に両足を挟まれ骨折した作業員がいたこと、津波に備えゲート外の高台に避難しようとする作業員たちと、「東電から指示がないので待ってください」と作業員たちを制止してゲートを開けないガードマンとの間で衝突があったこと等。

とある下請け業者は、当時の状況について次のように証言したという。

事故発生時は、数千人の人は現場(管理区域)からあがり、電力が決めた避難場所で待機していた。歩いて高台にいくように誘導したのは私達だ。電力の人間は何もしていなかった。(中略)もう少し津波がくるのが早かったら、津波に流されていたでしょう。

引用:布施裕仁「ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場」11頁

津波で非常用ディーゼル発電機を失った原発は停電に陥った。当時1、2号機の中央操作室(中操)にいた運転員は、電源盤のランプや照明が消えていくのを目の当たりにし、「目の前で起こっていることが、ほんとうに現実なのかと思った」という。

当時福島第一原子力発電所の所長であった吉田所長の指示のもと、現場の作業員たちや自衛隊員たちは、バッテリーをかき集めて中操の計器を復活させたり、格納容器内の蒸気を外に出すため「決死隊」が被爆を覚悟で手動で弁を開けたり、消防車を動員して原子炉への注水作業を行ったりした。これらによって防げたこともあれば、知られているように、メルトダウンや水素爆発など、防げなかったこともあった。

第2章では、事故直後、またその後数カ月間の時期の被爆作業の実態が明かされる。

東電の情報の周知不足などが原因で、作業員の1人が高濃度汚染水の水たまりに約30分浸かりながら作業することになり、大量被爆したこと。作業の統率がとれておらず、作業員の被爆管理や安全管理がずさんであったこと。急遽集められた知識や経験のない人員への事前教育がなおざりであったこと。

たとえば、作業員の1人だった村上勝男は、ある日の作業で、村上氏の作業グループの監督と、通りがかった別の監督がその場で話し合いをしはじめたときのことをこう語る。

「こっちは仕事が終わったので、一秒でも早く引き下がりたいわけです。余計な線量食いたくないですからね。でも、監督の指示がないと帰れない。結局、一五分近く放射能のなかで待たされたあげく、まるでうちらの存在を忘れていたかのように一言、「あ、もう帰っていいですよ」と。さすがにキレそうになりましたね」

引用:布施裕仁「ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場」55頁

第3章で扱われるのは、作業員の受け取る賃金や契約形態、ピンハネの実態だ。

原子炉建屋内には入らない前提で「(日当)1万4千円程度はもらえる」と聞き原発での仕事を引き受けた作業員・渡部は、作業に入ってから数日後に「明日からは建屋内での作業になる」と告げられた。渡部は驚いたが、現場の担当者に「危険手当がつく」と確認し、ひとまず建屋内での作業に従事した。しかし、支払われた給料の明細書では、日当1万1千円、危険手当はなしだったという。

このような実態は渡部だけの話ではなく、著者は「私が取材した限り、末端で働いている作業員の大半が、危険手当までピンハネされている現状に腹を立てていた。」(104頁)と書いている。

印象に残っているのが、原発での仕事を「絆とは真逆」だと不満を述べた島田・織原と、「絆を実感した」と語った作業員・井本誠の対比だ。

2011年夏から半年間を福島第一原発で働いた5次下請けの島田・織原は、原発での仕事について次のように話した。

最初の教育のときに「皆さんには、一人ひとりに危険手当が出ます」という説明があったのに、支払われてこない。それでどうなってるのか聞いたら、「下の会社の単価までにはタッチしていない」と。だったら、そんな大々的に言うなと。

引用:布施裕仁「ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場」105頁

俺にも単価の話はなかったからね。親会社に聞いても、「大丈夫だから」としか言わなかった。(中略)親会社には、事前にきちんと言ってほしかった。結局、行く前に単価の話をしたら俺らが行かないんじゃないかって思われたことが気に食わない。3・11後に「絆」という言葉が流行ったけど、俺らは逆だよな。ホント、人間不信。

引用:布施裕仁「ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場」106頁

鉛で遮蔽しなくちゃいけないような線量高い作業でも、普通に軽い感じで「こんな作業あるんだけど頼むよー」って振ってきます。そんなにあっさり言うことなのかなって思いました。

引用:布施裕仁「ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場」107頁

一方で、大手ゼネコンの孫請けとして福島第一原発で働いた井本誠は、次のように語った。

普通の建築現場では、鳶は鳶、溶接は溶接、測量は測量とけっこうバラバラなんですが、イチエフではみんな早く作業を終わらせたいから、お互いに協力し合ってやる。(中略)そういう部分で、普段では感じられないような、人の「絆」を感じました。

引用:布施裕仁「ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場」112頁

また、井本の同僚の金城は「カネのこと聞かれるのが一番嫌でしたね。危険手当のために行くんじゃないかって思われているような気がして」(112頁)という。

この違いに疑問を抱いた著者は、井本・金城から聞いた話を島田・織原に伝え、「絆を感じたことはなかったか」と問うた。この質問への織原の回答が示唆的だ。

ないっすね。多分、もらえるものをもらっている人は、テンション高いんじゃないですか。

引用:布施裕仁「ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場」113頁

そして、確かに著者によれば、井本・金城は日当のほかに危険手当2万円を支給されていたという。

第4章では、東電の契約形態や、東電社員と下請け労働者の格差の実態が明かされる。

衝撃的なのが、「東電は公式には原則三次請けまでしか認めていない」(127頁)ことだ。

「あれ?でもさっき五次請けの人の話が出てきてなかった?」と疑問に思った人もいるかもしれない。

「東電が三次下請けまでしか認めていないのに五次請けが存在するのはどういうことか」といえば、本書によれば、それは偽装請負が常態化しているからだそうだ。実質的には四次下請けや五次下請けの業者が、二次下請けとして登録されているのだという。そして、この偽装請負には暴力団も関わっている、と。

このような実態について、ある孫請け業者社長は、「完全に法人登録してないと駄目とか、暴力団が絡んでいるのを排除しようとしたら、原発は成り立たないと思う。」(130頁)と証言している。

本書では、ほかにも、このような状況下における労災隠しや、安全より能率重視の作業の実態、原発の安全神話を守るため東電が労働者の多発性骨髄腫と被爆の因果関係を認めるのを拒んだこと、原発作業員の母親の声などを取り上げている。

冒頭でも記述したように、2021年現在、福島第一原発の事故は収束していない。燃料デブリの取り出しはまだ始まってもおらず、汚染水は増え続けている。廃炉が完了するのは、早くても20年後。多かれ少なかれ、我々の多くはこの廃炉作業の費用を間接的に負担している。この日本で誰かが、私の代わりに、あなたの代わりに、被爆の危険を冒して原発で働いている。もしかしたら、将来私やあなた、あるいは友人や親戚が原発で働くこともあり得るかもしれない。廃炉が完了するまで何事もなければいいが、その前に災害や廃炉作業中のミスなどトラブルが起こり、放射性物質が関西や北海道にまでばらまかれる恐れも十分にある。日常のなかでなかなか自覚できないが、我々はそのようなリスクと隣り合わせで生きている。

あの3.11に福島第一原発に起きたこと、その後のこと、また現在のことを、我々は自分ごととして注視するべきだ。

その一助として本書を読むことを、私は日本に暮らすすべての人に勧めたい。

参考:日経XTECH いま、福島第1原発はどうなっている? 廃炉10の疑問

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