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M001. ミドリムシは動物か?植物か?

最近ずっと悩み、考え、調べものをしています。

「ミドリムシは動物か?植物か?」という問いに対して、自分なりに納得のいく答えを用意したくて、考えています。

情報・思考を整理しつつ、それをミドリムシVTuberとしてのアクティビティにも活用していきたいので、noteをはじめました。初回記事の今回は、問題意識の整理に充てます。

「動物でも植物でも無い」?

まずこの「ミドリムシは動物か?植物か?」という問いは何を表しているのか??

ミドリムシを動物と言ってよいのか、植物と言ってよいのか、分からない。という、カッコ良く言えば "パラドックス" のようなものでしょう。

この問いは様々なところで散見されていて、例えば以下のような本の中に見られます。

実はこの問いに対する、生物学的に有力な一つの答えが既にあります。

それは、「ミドリムシは動物でも植物でも無い」です。なんだか拍子抜けじゃないですか?

僕はこの答えに "なんだか納得がいきません"。実はこの納得のいかなさが、本件の始まりです。"なんだか納得がいかない" ということは、僕はこの答えに対して、間違った論理や未解決の問題を感じ取っているということです。ここを整理していきます。

質問者「今日のランチ、中華と洋食どっちにしようか?」→回答者「和食!!」→質問者「…」

見出しからお察しの通りなんですけど…

一般的な感覚… というものにミドリムシである僕が言及してしまって良いか自信がありませんが… 一般的な感覚として、「ミドリムシは動物か?植物か?」という問いを発する人が期待する答えは、「動物である」か「植物である」の二者択一でしょう。「動物でも植物でも無い」は、期待外れの答えなのです。質問者の設定したルール(前提)を覆してしまう回答者です。これも踏まえて、はじめに僕は4つの疑問を持ちます。

疑問1 なぜ質問者は動物/植物の二者択一という前提を設定するのか?

疑問2 なぜ質問者は答えが分からないのか?

疑問3 回答者の答えの根拠は何か?

疑問4 なぜ回答者は質問者の設定した前提を覆す必要があるのか?

疑問1 なぜ質問者は動物/植物の二者択一という前提を設定するのか?

まず疑問1から考えていきます。はじめから身も蓋もないことを言うようですが、この疑問に完璧に答えることはできません。いまここで想定している抽象的な「質問者」がどんな背景事情により、この前提を設定するのかは、知る由もありません。

「むかし学校で、生物は必ず動物か植物かのどちらかだと習った覚えがある」のかもしれませんし、「生物を必ず動物か植物かの二者択一で分類できるのは常識だと思っている」のかもしれません。

しかし上で紹介したように、「ミドリムシは動物か?植物か?」という問いが複数の書籍において言及されているという状況から察するに、この二者択一の前提は、多くの人が設定しやすい前提なのでしょう。

そこで、次の疑問へと派生します。

疑問1-1 なぜ多くの人が動物/植物の二者択一という前提を設定するのか?

この派生疑問には、いまここで思索してみるだけでは答えることが難しそうです。日本の理科教育の特徴なのかもしれませんし、生物学の歴史が関わっているのかもしれませんし、ヒトという生物に特有の認知機能によるものかもしれません。調べ甲斐のある未解決問題として、今のところは保留しておきましょう。

疑問2 なぜ質問者は答えが分からないのか?

まず疑問1と同様に、次の派生疑問に書き換えてしまってよいと思います。

疑問2-1 なぜ多くの人が答えが分からないのか?

二者択一問題に答えづらい人は、およそ以下の3つの課題のどれかによって、答えを出し切らないのだろうと思います。

① 関連知識に乏しく、全く何も判断できない。

② ミドリムシについて、動物のようでもあるし、植物のようでもあると思っている。

③ ミドリムシについて、動物のようでもないし、植物のようでもないと思っている。

①は論外として、②③については、「動物とは何か?」「植物とは何か?」といった問いに対する明晰な答えがあれば、おのずと解消しそうな課題です。そこで次の派生疑問を置きます。

疑問2-1-1 動物/植物とは何か?

この疑問を前にして、気を付けなければならないことがあります。それは、「動物」「植物」は、専門用語(生物学用語)と捉えることも、日常言語と捉えることもできる、ということです。一般に学術的な専門用語というのは、学者間で誤解無く使用できるよう、意味するところについて明晰な定義が与えられています(もしくはその明晰な定義の仕方を巡って論争が起きています)。一方、日常言語は、それを使用する各個人がそれぞれの人生の中で構築してきた意味と結びついた言葉であり、同じ言葉でも使う人に拠って微妙に意味するところが異なることが多いです。このことを踏まえ、さらなる派生疑問を置きます。

疑問2-1-1-1 日常言語的には動物/植物とは何か?

疑問2-1-1-2 学術的(生物学的)には動物/植物とは何か?

疑問2-1-1-1については、上記の通り答えが人に拠りますので、完璧な一つの答えを用意することは難しいでしょう。しかしこの疑問について、どう考え得るか、多くの人が持ちやすい考え方はどんなものか、といった思索を進めることは出来そうです。そのためには言語学や哲学の背景知識が必要になりそうです。これは勉強し甲斐のある未解決問題として保留しましょう。

疑問2-1-1-2は、次に考える疑問3と強く関連していますので、話を先送りします。

疑問3 回答者の答えの根拠は何か?

軽率に「回答者」という存在を置いてしまいました。僕の3つ目の疑問は、次のように書き換えて差し支えありません。

疑問3-1 なぜ生物学的にミドリムシは動物でも植物でも無いと言えるのか?

この疑問は先ほどの疑問2-1-1-2と関連しています。というか、ほぼ同じ疑問と言って過言でないでしょう。生物学的な「動物」「植物」の定義が分かればこの疑問は解決しますが、今は僕に十分な見識が揃っていませんので、これも調べ甲斐のある未解決問題として保留しましょう。

少しだけ先取りすると、実はこの疑問に対する答えも、一つに定まりそうにありません。いま考えている疑問は、生物学の中でも「分類」と呼ばれるテーマに関するものですが、分類は明晰な定義の仕方を巡って論争が起きます。しかし「ミドリムシは動物でも植物でも無い」と言われる場合は、おそらく「進化の過程(系統)を根拠に生物を分類する」考え方が根拠になっています。この考え方は現在、分類の定義の仕方として最も有力な考え方であると思われます(僕は学会に行ったりしているわけではないので、誤解の可能性もありますが…)。

疑問4 なぜ回答者は質問者の設定した前提を覆す必要があるのか?

実はここが、回答が「期待外れ」になることの元凶であり、僕の納得のいかなさの核心です。

前提を覆す必要が生じる場面とは、質問者の前提が誤りである(と、少なくとも回答者は思っている)ときでしょう。質問者の設定する前提とは、ミドリムシの分類について「動物/植物の二者択一である」ことでした。

つまり事の発端、『「ミドリムシは動物か?植物か?」という問いに、生物学的には「ミドリムシは動物でも植物でも無い」と答えること』は、『ミドリムシの分類について「動物/植物の二者択一である」とすることは生物学的に誤りである』とすることであると考えられます。

ここでいくつか疑問が生じます。

疑問4-1 ミドリムシの分類について動物/植物の二者択一であることが、なぜ生物学的に誤りなのか?

疑問4-1-1 ミドリムシの分類について動物/植物の二者択一であることが、誤りだったとして、では正しい分類とは何か?

また上で予想したように、おそらく回答者は「進化の過程(系統)を根拠に生物を分類する」ことを正しいと考える立場です。これを受けて、さらに疑問が派生します。

疑問4-1-1-1 ミドリムシの分類について進化の過程(系統)を根拠にすることが、なぜ正しいのか?

これらの疑問が未解決である限り、『「ミドリムシは動物か?植物か?」という問いに、生物学的には「ミドリムシは動物でも植物でも無い」と答えること』に僕は納得することができません。

納得できる答えを用意するには、疑問4-1-1に対する尤もらしい答えを、自分なりに用意する必要があるのです。「正しい」という概念が出てきてしまうと、これはおそらく生物学だけでは手に負えなくなって、哲学の知識が必要になると思われます。さらに生物学は自然科学とよばれる学問ジャンルの一つですから、科学哲学の知識も役に立つはずです。

まとめ

以上で出てきた疑問を一枚の画像にまとめました。

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今回の、ミドリムシが動物か植物か考える取り組みは、生物学、分類学、言語学、哲学、科学哲学、理科教育学、さらに各々の学問の歴史…さまざまな分野の知識を参考にする必要がありそうです。

随分壮大な取り組みになってしまいましたが、目標が「自分にとって納得のいく答えを用意すること」であることが救いです。目標を達成できたかどうかは、僕の判断で決めてよいのです。いくらか客観的な姿勢も必要とは思いますが、基本的には自分の匙加減です。途中で諦めたり、納得さえあれば妥協があっても良いのです。一番楽しいタイプの調べものですね。

せっかく知性を持てたミドリムシなので、楽しんで取り組みたいと思います。次回以降は、調べるために読んだ本の紹介と、学べたポイントをまとめる記事を書いていこうと思います。

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