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いいひと


ミヨちゃんは嫌われている。
彼女は仕事ができない。私たちは遊園地で仕事をしているのだけれど、ミヨちゃんは接客が下手くそだ。声が小さすぎて、いらっしゃいませも、1000円お預かりいたしますも、お菓子の賞味期限の日付もお客さんに聞き取ってもらえない。本人は頑張って声を出しているらしいのに、お客さんに彼女の声は聴こえない。だから、たまにお客さんは怒った調子で、は?と訊き返す。私は隣のレジでお金の点検をしながら何度もそれをみた。ミヨちゃんの声は、謝っているときも楽しそうにおしゃべりするときも、言葉が出る直前のところで芯が抜けたみたいにぺしゃんこになる。だから謝っても、楽しくしゃべっていても言葉を聞いて内容がわからないときがあった。

遊園地で働く人って、ほとんどの人がハキハキしていて、ニコニコできて、人当たりが良いものだと思う。そうじゃないとアルバイトの面接に受からないと思うし、接客の部署に配属されることはなさそうなのに。もしハキハキしたコミュニケーションが苦手だったとしても、入社したときに研修をやるから、どんな接客が求められるか分かるはずだ。だから、ミヨちゃんが私たちのお土産を売る部門に入ってきた時はびっくりした。こんなに人と喋るのが上手じゃない子が私たちのところに来るということは、この遊園地は相当人手不足で、人気がないということだ。
ミヨちゃんは一生懸命仕事をしているのに、みんなに嫌われている。彼女は週に一度の賞味期限チェックをするときの作業が異常に遅い。他の人が午前中に終わらせるチェックを、お昼過ぎになっても終えることができない。お菓子の賞味期限が早くきてしまうものから棚の前に出しているにも関わらず、数えている途中で賞味期限が遅いものを前の方に出してしまう。せっかくキーホルダーを種類で分けて数えているのに、最終的に混ぜて棚に並べてしまう。重いものが運べないから、台車を探しに行くけれど台車を見つける前に誰かが重い荷物を運んでいく。オープン前、園内コスチュームへの着替えが間に合わず、朝礼の時間までにお店に来れない。
みんな最初のうちはあれこれ優しく教えていたけれど、ミヨちゃんが入って2ヶ月経った頃にはもう誰も教えたり注意することはなくなった。ミヨちゃんは未だにメモを見ながらゆっくりと簡単な仕事だけをする。

ある時、ミヨちゃんは一日に三度レジの打ちミスをした。レジのミスが多すぎるので、社員のタカシマさんに厳しく注意されていた。聞いたところによると、似たような商品を複数買われるとそれを何個までバーコード読みをしたか忘れてしまうらしい。
ミヨちゃんはぺしゃんこな声で謝って、何でミスしたかを小さすぎる声で何度も説明していた。タカシマさんは背が高くて色黒で、肩幅も大きい。彼が小さなミヨちゃんに注意しているのを見ると弱いものいじめをしているみたいだった。
そのことがあってから、ミヨちゃんはひとりでレジに入れられることがなくなった。必ず誰かがミヨちゃんの隣のレジを担当することになった。
「彼女、レジミス多いからできるだけ目を離さないで」
私がミヨちゃんと同じ時間帯にお店に入ったとき、タカシマさんは申し訳なさそうに言った。誰かがタカシマさんと話した時に「俺、あの人無理だ」と言っていたということを、私は噂で聞いていた。
その日、私はミヨちゃんに一度もレジを打たせずに商品を袋に入れるのを手伝ってもらった。
ミヨちゃんは袋に商品を入れる作業も遅かった。彼女の手は細くてとてもきれいで、爪は控えめなピンク色に塗られてつやつやしている。私は彼女が小さな商品から袋に入れてしまうたびに、ピンク色の爪が気になっていた。大きな品物を先に入れないから、細々した商品をわざわざ一度出して、入れ直す。彼女の手元はずっと、とても忙しそうだった。

オープンから時間が経って店内が一時的に落ち着くと、ミヨちゃんはおしゃべりになる。
「わたしこんなだからさぁ、就活全然受からなくて、介護しか受からなかったの。」
仕事の話になったとき、ミヨちゃんは言った。
「でも全然やりたくなかったし、向いてなかったからすぐ辞めちゃったんだぁ」
笑いながらそう言った。そして、他にもひとつバイトを掛け持ちしていること、そのバイト先が厳しくてもう辞めたいと思っていること、この遊園地で社保に入ってもっと働きたいと思っていることを小さな声で楽しそうに話してくれた。社保に入れば、今よりもっといろんな仕事を任されることになるし、出勤日数も増えることになる。ミヨちゃんは遊園地での仕事は楽しいと言った。
たまにそのおしゃべりはお客さんが店内にいる時にも続行された。
「わたしも月末の棚卸しやりたいなあ。棚卸しは夜中だから時給上がるんでしょう?」
私はレジ点検をしながらタカシマさんに言ってみなよ、と言った。ミヨちゃんは難しそうな顔をしてからうなづいた。そのとき「わかった」と言ったのか、それとも「やだなあ」と言ったのかは分からなかった。

「ミヨちゃんって呼んでるの、佐藤さんだけだよ」
休憩室で大学生のタジマくんが言った。タジマくんは私よりも長くここでアルバイトをしている。彼は社保に入っている子たちと同じくらい仕事ができるし、人懐っこい性格で色んな人と上手に喋ることができる。彼は細目で、いつもニコニコしているように見える。そのせいか、いつも彼も彼の周りの人も笑っている気がする。だからか、彼の接客はお客さんから評価が良い。社員もアルバイトも彼を頼りにしているように、私は思う。
「飯島さんって面白いよねー。」
飯島さんというのはミヨちゃんのことだ。女の子はみんな最初はミヨちゃんと呼んでいたけれど今はみんな彼女のことを苗字で呼ぶ。
「ミヨちゃん面白いよね。あの感じでEXILEのファンなんだって。」
「そうらしいね。飯島さん、バイト代ほとんどをライブとかグッズに使ってるって言ってたよ。」
この遊園地では、出勤日数が多い人同士での会話がとてつもなく多い。平日の遊園地は暇だからだ。だから、誰が何を好きで、どういう人と付き合っているとか、どこの学校出身だとか家庭の事情なんかもすぐに噂が広まる。特に、新しいアルバイトが入ると、その人がいないところでどんな仕事ぶりだとか、話し易いかとか、顔が良いか悪いかとかそんなことで持ちきりになる。
「ていうか飯島さん、またミスったんでしょ。佐藤さんが精算のときじゃなくてよかったね」
この手の話は、もう最近の定番ネタとなっていた。ミヨちゃんがミスをすると、必ず誰かが誰かに告げ口して、どんな風だったかを話す。他の誰かが会計や案内を間違ったりしてもこんなに話題にされることはない。みんな、彼女のことを話したがる。
私が、ミヨちゃんが社保に入りたいと思っているらしいとタジマくんに話してしまった次の日にはみんなそのことを知っていた。
「僕、飯島さんと同じ時給だって思うとやる気出ないなぁ。飯島さんが社保になっちゃったら僕らより時給上ってことになっちゃうんでしょ?」
最近そんなことを言っている人が多い。私も初めてそれを聞いた時、思わずなるほど、と思ってしまった。損得勘定で言えば、私たちは確実に損をしている。
「まぁ、本人がやる気なんだし、まだ3ヶ月目だから」
私はこれを聞くたびに同じ返事をすることにしていた。
「早くもっと時給のいいところにバイト変えなきゃなあ」
タジマくんはバイトの誰かが持ってきたどこかのお土産をひとつつまんで言った。
こういうことを言うのはタジマくんだけではない。社保に入っているアカネちゃんも、私と同じ時期にアルバイトを始めた主婦のヨネクラさんも、毎日みたいにこれを言う。私はそれに同調していつも頷く。でもみんな、結局は口を揃えて「ここは人が良いから、なかなかやめ難い」と言うのだった。みんなは仲良くすることに熱心だ。ここで働くことが好きみたいだ。

ミヨちゃんが棚卸しのシフトに入れてもらった翌週から、彼女の爪にはラメがつくようになった。この園では、ネイルは控えめで爪の色にできるだけ近いもののみが認められている。
ミヨちゃんの新しいネイルに気づいた日、私たちは久しぶりにふたりで同じお店のレジに入っていた。ネイルかわいいね、と言うとミヨちゃんは嬉しそうに渋谷のネイルサロンでやってもらったのだと教えてくれた。本当はもっとたくさんラメを入れたかった、とも言った。
相変わらずミヨちゃんは、レジを打たせてもらえないから、私がレジを打ってお客さんからお金を預かってお釣りを渡す。ミヨちゃんはその間に袋に品物をつめる。今日もふたりでひとつのレジを回した。もうひとつのレジは使用中止にして。2つレジを開けなくても、平日の遊園地はお客さんが少ないので全く問題はなかった。
「社員さんに、シフトを増やしたいって言ったんだけど、ぜんぜん増やしてくれないんだよね」
ミヨちゃんは不満そうだった。今は週2回程度しか入れてもらえていないのだと言う。
「佐藤さんもシフト削られてるよね?早く社保になってもっと安定して稼ぎたいな」
「私は入りたい時に入れればいいから」
遊園地は繁忙期と閑散期がハッキリと分かれているから、忙しさに応じて人員が増えたり減ったりして不安定なのだ。長期休みや連休が終わった直後はその差が顕著にあらわれる。
「私たちってさあ、そんなに仕事任せてもらえないじゃん。」
私がレジ点検をしている横でミヨちゃんが呟いた。ミヨちゃんの声は、いつもより芯を持っているような気がした。
「タジマくんみたいに色々できないし、まだ詳しくないけど。だからってミヨたちだけシフト削られるのはおかしいよね。タカシマさんは絶対、好き嫌いでシフト作ってるんだよ。みんな言ってたもん。大学生の女の子たちがお願いしたときとわたしがお願いしたときの対応、全然違ったよ。佐藤さんも出勤日数今、わたしと同じくらいでしょ。タカシマさんはかわいい子には優しいけど、そうじゃない子には厳しいんだって。わたし絶対タカシマさんに嫌われてるんだー。」
タカシマさんが若い、見た目の良い女の子には特別優しくてそれ以外の女子や男の子たちに当たりが強いことは、私も知っていた。今に始まった事ではない。タジマくんは度々タカシマさんのことでぼやいている。
彼女は私がお金を数えていることなんてお構いなしに続ける。
「佐藤さんはいろいろ教えてくれるし、喋ってくれるし、いい人だよね。なのにさあ、わたしたち、なんでみんなと仲良くできないんだろ。わたしも他のバイトの子とインスタ交換したりしたいよ。」
ミヨちゃんのインスタグラムはみんなフォローしていないけれど、閲覧制限をかけているアカウントで若い子はみんな覗いている。休憩室や食堂ではたまにミヨちゃんのインスタの話題になる。
「私、中間計の報告行ってくるね。その間レジお願いしていいかな」
私はミヨちゃんの話を遮って店の外に出た。

中間計の報告で私がお店を出た後、すぐにミヨちゃんはレジのミスをした。私が売り上げの中間報告のレシートを出した直後、なぜか誤って本日の売り上げレポートを出してレジを閉めてしまったらしい。本人曰く、中間レポートの出し方を私に教えてもらった通りに出してみたら、売り上げ報告が出てきて勝手にレジが閉まったそうだ。
私が戻ってきたときにはもう、タカシマさんと他の社員さんがお店に駆けつけてきていて、レジ開け作業をやりなおしていた。
「だから、どうしてそんなことしたのって聞いてるんだよ」
タカシマさんが大きな声を出していた。ミヨちゃんは小さくなって何度も頭を下げていた。
「佐藤さん、申し訳ないけど今日ここのレジひとりでお願いしていいかな」
タカシマさんはミヨちゃんに聞こえるように、私に大声で言った。そんなに大きな声を出さなくてもミヨちゃんには聞こえているだろう。
「こんなにお客さん少ないのに、レジミスるっておかしいから」
タカシマさんはそれだけ言い残してお店を出て行った。

私はその翌日にアルバイトを辞めた。朝、人事課に電話をして、退職しますとだけ言った。理由は体の不調と伝えた。人事担当の方はすんなり信じてくれたみたいだった。その日から先のシフトは調整するとのことと、残っていた有給は消化しておくとだけ言ってくれた。2日しか有給はなかった。


おわり




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小説でした。
ぜーんぶフィクションです。

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