母の主治医と話すことー手紙①
2017-1
後藤先生
いつも不思議な旅の記録を送っていただいて、ありがとうございます。
私にはどこの何だかよくわからないけれども、先生が世界中を旅していらっしゃるということだけはちゃんと伝わってきます。
、、というような話を、昨日実家の母に話してみたのです。
林田病院のベッドで、意識があるやなしやの母が反応して、「後藤先生がなぁ」とつぶやきました。
母は昔、この病棟で後藤先生に助けられ、充実した30年以上もの幸せな時間をいただきました。
8年前に杉本病院で胆管癌の手術を受けたとき、肝臓も片方切除しましたが、元気になり、先月まで孫たちに生け花を教えて師範免許を取得させたりも、しました。
30年前の総胆管結石のときの後藤先生の思い出話を、ちぐはぐな会話だけれども、しばらく楽しみました。
そして、先生にメールを書いてあげるわねと言って帰ってきたものだから、ご迷惑を顧みず、こうしてお送りする次第です。
母の話はこのくらいにして、娘の婚約者のことでも聞いてください。
まだ1年目の研修医ですが、そもそも彼は人文系で、ロシア文学というか民族の研究者というか(全く説明できていないですね(笑))、イスラムとかチベットの病院など、本当に世界中を歩くバックパッカーです。
医師になる前に見ておきたいとかで、昨春にはアウシュビッツとルワンダの虐殺遺構へも行ってきたようです。
言葉もできます、ロシア語、英語、チベット語、、、
まあ、話すのを聞いたことは、ないですけど。
彼を見ると、旅をする後藤先生を思い出します。
2017-2
返信をいただき、本当にありがとうございます。
驚いたことに母が生き返って、食事をとるようになりました。
先生の話題が効いたのかしら。
話はところどころしか通じませんが、私や家族を十分認識できます。
しばらく見守っていきます。
研修医Aに興味を持っていただけて、うれしいです。
娘にところどころ噂を聞くだけなので、さっぱりわかりませんが、高校生のとき、「群像」評論部門の新人賞候補になったことがあるというのは、本人から聞きました。
文学部にいて、イスラム圏やらを歩き回るうち、やっぱり医師じゃないと、ということになって、医学部に移籍したらしいです。
国境なき医師団にも憧れたかも知れないですね。
私には全くわかりませんが、後藤先生になら理解してもらえそうです。
大学入試はロシア語で受けたそうですよ。
マニアックなのはむしろ、チベット語でしょう。
チベット亡命政権の病院に通っていたとか、聞きました。
お兄さんは外務官僚ですか?
2017-3
お兄さんもお医者様なのですか。
N大教授とかいろいろ、立派な仕事をされているのですね。
2017-4
後藤先生
先々週、母が亡くなりました。
通夜の守りは、朝まで孫たちだけで勤めました。
大勢の人におまいりしてもらって、とても幸せな送りができました。
先生には母の大事なときにいていただいて、感謝しています。
研修医Aについて、最近の噂では、青年海外協力隊を調べているようです。
それか南極越冬隊の内科医枠が1名あるらしい。
(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?