味覚がなくなったときのためのチャーハン
わたしはごはんを食べるのが大好きだ。
とにかく食欲がなくなることがほとんどない。
大好きなペットが亡くなったその日も、身体中の水分がなくなるほど泣きながら、心の底から美味しいものが食べたいと思っていた。
高熱を出しても、酒を飲んでも、腹を下しても、吐き気がしてても、「調子悪いからとりあえずなんか食べよう」と思ってしまう。
身体だけでなく心の不調も、全ての悪いことは美味しいものを食べる幸せの前に吹き飛んでしまうと思い込んでいる。
こんなわたしにも「食欲のない日」というものが人生で数回だけあり、そんな時はいよいよ本当に死ぬのではないかというくらいに自分が心配になる。
40度の熱があってもそれほど気にしない性格なのだが、目の前の米が喉を通らない日は、これはとんでもない重症だぞ!と軽いパニックになる。
大体は風邪だったりで、酷い熱を出す直前にこの現象が起こるのだが、あの絶望といったら…。
だがこんなときだってわたしはたとえ飲み込めなくても、とりあえずごはんを用意して口には入れてしまうくらいには、食いしん坊なのだ。
近頃コロナで味覚障害になると話題になっていたが、幸いわたしは未だにコロナにかかっていない(または自覚症状が全くないままかかっている)。
しかしそんなわたしもそれとはまた別の理由で、何を食べても全くものの味がわからない経験をしたことが何度かある。
大半は風邪で鼻がひどく詰まってとかだったが、一度数年単位で何の味もしなかった頃があって、今思えばわたしはその頃鬱病に近い状態だったような気がする。
「ような気がする」のは医者にかかっていないからだ。
当時わたしはまだ10代で、たまに野鳥を撃つ猟銃の音が聞こえるような田舎に住んでおり、自力で自転車で行ける場所もスーパーくらいしかなく、snsもまだない時代だったため、外の世界と繋がるのは今よりずっと難しかった。
そのような小さな世界の果てのような場所で、精神科の病院へ行けば一気に噂は広まり、後ろ指を刺されることが分かっていたし、その指を指すうちの1人が自分の親なのだから、わたしに病院に行ってまともな診断を受ける選択肢はなかった。
わたしにできることは、本をたくさん読んで、狂ったようにネットサーフィンし、小さすぎる世界を少しでも広げてここに収まりきらないわたしが息を吸えるスペースを確保することだった。
というわけで診断されたわけではないから鬱病とは言えないのだが、ほぼ確定鬱という感じだった(大学の授業で鬱病について勉強したら当時のわたしと症状が完全一致した)。
「ほぼ確定鬱」の頃は、基本的に五感が鈍くなっており、それでもわたしは人から干渉され心配されるのが一番のストレスと感じる性質だったせいで、引きこもるどころか日常生活を普段以上に維持することに全ての力を注いでいた。
意識が飛んで気づいたら地下鉄の電車の中で、今が朝か夜かもわからず、わたしは学校へ登校するか下校しているんだろうなどっちだろうなと思うことが何度もあり、帰りだとわかるとホッとして、行きだとわかるとガッカリしてまた頭のスイッチを切っていた。
ある日あまりに五感が働いていないせいで、気がついたらわたしは駅の階段の下で横になったまま歩く動作をしており、近くにいた人に助けられた。
どうやらわたしは階段から落ちたらしいのに、全く痛みもなく横になったことにすら気がついていなかった。
そのときは、結構わたしやばいのではと思って思わず笑ってしまって、助けてくれた人に不気味な思いをさせてしまった。
とこのように、極限に五感が死んでいたとき、わたしの味覚もまた完全に死んでいたのである。
ここまでくると希死念慮はあっても、自力で死ぬ元気などあるわけもなく、生きる意味を探して必死でしがみついていた。
当時のそれは「大好きだったハリーポッターが完結するまでは生きよう」という目標だった。
それだけではなかなか耐え難かったので、別の小説を読んでは読み終わる前に次を買い、立て続けに物語が続く限りわたしは息をしていた。
不思議なことに本の中の世界ではわたしは痛みを感じ、歩けば疲れ、友達と笑い、誰かを憎み、愛して、匂いを嗅ぐことも何かを触れて冷たいと感じることもできた。
あるときは魔法を使い、あるときは探偵になり、あるときは人を殺し、あるときは宇宙を救いながら…、長い旅をしているわたしはたまに否応なしに現実に引き戻された。
母がわたしを呼ぶのである「ごはんできてるって言ってるでしょ!!!」。
本当の本当にギリギリまで目線を本に合わせたまま、「はぁい!!」と返事をしてダイニングに行かなくてはいけない。
本を閉じると、一気に自分が疲れていること、喉が渇いていること、トイレに行ったほうがいいことなどがわかる。
まるで映画のマトリックスのように、このときのわたしには本の世界だけが本当の人生になりつつあって、たまにどうしようもない食や排泄などのために現実に戻っては淡々とこなしてもう一度本を開くというようなことをしていた。
そう、そしてだいぶ遠回りしてしまったが、この日の夕食が中華屋のテイクアウトだったのだ。
子供の頃から行っている町中華。
記憶もないほど小さい頃からわたしはその店のチャーハンを食べていて、とにかく大好きだった。
何でも食べられるようになった今では考えられないほど偏食だったわたしは、何を食べてもほとんど美味しくないと感じてしまうなかで、一つ好きになるとひたすらそれを食べたがったし、母もそんなわたしに食べさせるために「わたしが絶対に完食するものリスト」をおそらく脳内で作っていた。
そしてこれこそ、そのリストのトップに君臨するものだった。
中華は優秀である、チャーハンだけでなく、ここの甘酢餡のかかった肉団子は外はパリッと揚げられているのに中はしっとりで誰に食べさせても美味しい自慢の一品で、野菜を摂りたい母は白いあんかけのかかった野菜炒め的なものをいつも頼むし(これも美味しくてやばい、味はしっかりなのに野菜がシャキシャキなのだ)、青椒肉絲はわたしがこっそりピーマンばかり食べて他は父がおつまみにして食べていた(本当に偏食の子で肉よりピーマンが大好きだった)。
だが、このときのわたしは味覚が死んでおり、やはりいつもの大好きなチャーハンを食べてもなんの味もしなかった。
まるで紙か粘土を食べてるようなものである。
なのにどうしてだか、急に涙が止まらなくなってしまったのだ。
味はしないが、覚えている。
完璧に脳が味を覚えていてそれを再現できるのだ。
まるで本を読んでいたときにだけ感じた、匂いや温度や痛みや感情のように、このチャーハンもまた完璧に感じることができた。
それがなぜだかとても嬉しくて涙が止まらなくなってしまった。
わたしは人前で泣くのが苦手で、このときは特に大丈夫なふりを頑張っていたので泣いているのを誤魔化しながら俯いて、涙と鼻水と一緒にチャーハンを掻き込んだ。
この頃の記憶はけっこう曖昧なのに、このチャーハンを食べた瞬間の、今はもう引っ越して2度と見ることはない黄ばんだダイニングの壁の色や、平成初期の空気、部屋の狭さや、今より若い母、まだ生きている父、赤ちゃんだった妹とブラウン管のテレビの雑音、このときの空間が全てぎゅっと記憶として不思議なほど鮮明に残っている。
それくらい強烈だった。
今思うとあの頃のわたしはただ心臓が動いているだけで、ほとんど死んでいるも同然だった。
だけど、そんなわたしの心や脳を動かして感動させてくれたのは、それまでに大好きだった本と、小さい頃から食べ続けたチャーハンである。
新しいことを教えてくれる本はわたしを外の世界へ逃し、味を知り尽くしたチャーハンはこの世界ともう一度繋がる手掛かりのようだった。
今だって何もない空気を食べてもあのチャーハンの味を舌に再現できる気がする。
喉に流し込む感覚まで完璧に。
味覚がなくても味のわかるほど何度も食べた好きなもの。
その存在ってそうとう凄くない?
凄いって気がついてしまったのだわたしは。
今でこそ、何を食べても美味しくて仕方がないのだが、また自分がいつ味覚がなくなるかわからない。
そのために、好きなものは好きなだけ食べるべきではないだろうか。
食べ物に限ったことではない、好きなことは繰り返し身体に染みつくほど聞いたり見たりやったりするべきだ。
たとえ意味がないと言われても、意味はある、わたしは知っている。
わたしたちはどうせ長生きすればするほど、身体はどこか必ず悪くなり、少しずつ何かが欠けていくことになっている。
いつかまた味覚がなくなったときに、わたしは味を思い出せる大好物のレパートリーを増やしておきたい。
退屈なときに口ずさめる音楽や、思い出せる映画も。
大好きな本の続きを考えるのだっていいだろう。
そのために好きな本を増やすのだ。
わたしはいつか来るそのときのために、今全力で好きなものを吸収したい。
そうしていつか身体が少しも動かなくなったときに、わたしは多分本当に自分が好きなものだけの人間になる。
好きな食べ物の味、好きな人の顔、好きな音楽と映画と物語、そういう忘れられないもの。
そして、きっと今は楽器が持てなくてもベースが弾けるし、声が出なくても歌が歌えるだろう。
そうやってわたしはいつか、好きなものだけが残る完璧なわたしになって、わたしの人生を終われるのだと信じている。
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