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自宅待機期間に得た貴重な気づき。もしくはあいみょん認識率80パーセント。

ふと気が付けばもう5月である。
ということはつまり、緊急事態宣言に伴う自宅待機生活に入って一か月弱、ということだ。なんともはや、過ぎてしまえばあっという間である(「あくまで個人の感想です」というやつかもしれないけれど)。ちなみに、連休明けの出勤体制がどのようになるのか、まだはっきりしていない。一日おきに出社、という案が採用される可能性が高いらしい。

いや、そんなことはどうでもいいのだ。

……いやいや、本当はどうでもよくはないのだ。
会社員として、この状況下での働き方について考えることはもちろん大事なことなのだけれど、この自宅待機期間中に知ることになった僕についてのある事実は、僕本人としてはけっこう驚くべきことだったのだ。

どうやら僕は、あいみょんと小松菜奈の判別がうまくできていないようなのである。

テレビでなにかのCMを見ていて、そこで歌うあいみょんを、「あ、あいみょんだ」と認識し、その直後に妙な違和感を感じたのである。
それはつまりこういうことだ。

「これがあいみょんだったとすると、今まで見ていたあいみょんは誰だったのだ」

その時見ていたCMで、僕に「あ、あいみょんだ」と思わせた彼女は、普通に考えればあいみょん本人だろう。なぜなら彼女はあいみょんに見えたし、歌っていた歌はあいみょんのものだったからだ。

しかし、そのCMのあいみょんを真あいみょんとすると、僕が今まであいみょんだと思っていた女の子の何割かが、実は偽あいみょんだったのではないか、という可能性が生じるのだ。いやまあ、「生じるのだ」といったところでこれはあくまで僕の頭の中の話でしかないので、ここで生じる誤差が世界の何かを狂わせるとかそういうことはないのだが、個人的にはなかなかびっくりする事実ではあった。

その後、インターネットを駆使した調査の結果、僕が今まであいみょんだと思って見ていたCMキャラクターやニュースサイトの記事として載っていた写真の2割程度が小松菜奈であることが判明した。

あいみょんと小松菜奈を2割の確率で見間違えるという認識能力の低さは、果たして他人に許容されるレベルなのだろうか。たとえば、誰かこのエピソードを話した時に、軽く笑ってもらえるくらいの残念度なのか、もしくは、真顔で心配されてしまう高レベルな残念度なのか。
僕は目を患っているので、目に見えるものについて不可解な発言をすると、家族に真面目に心配されてしまうという危険がある。ましてや今回はあいみょんと小松菜奈である。なんとなく系統的にはわからなくもない……のではないか、と個人的には思うものの、画像をふたつ並べてよくよく比較検討してみると、えーマジこのふたり見間違えるとか視神経関係ヤバくない? という気もしなくもない。三倉茉奈と三倉佳奈、上杉達也と上杉和也を間違えた、というような生易しい話ではないのである。

以上の件について、勇気をふりしぼって娘にカミングアウトしてみたところ、それについての感想は、

「気持ちはわからなくもない。まあ私は間違えんが」

というものであった。ギリギリ許容範囲、というところだろうか。  
もっとも、このコメントには家族ならではの気づかいのようなものが含まれているのかもしれない。ちなみにこのコメントは、娘が話したままのものを文字にしている。なんとなく味のある口調だ。

それにしても、だ。
不思議なのは、あいみょん真偽問題について、どうしてこの時期に思い至ることになったのだろうか、ということだ。もしかしたらこれも、いわゆるコロナ禍がもたらした生活の変化がなんらかのきっかけとなって生み出したものなのだろうか。

まあ、それとこれとは関係ないよな、と思う。


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