貝殻

 不安と苦しさを忍んでやっとその日一日を暮らし、そうやって世間から馬鹿にされるような事ばかりをしてきた。お金も沢山借りたし、二十二の歳から八年間、数多くの女性にヒモとして養ってもらって、衣食住も家具も家電もゲーム機でさえ買い与えられた。僕がこの八年で稼いだお金は座興でやった警備員のバイト、日給八〇〇〇円。それだけだ。そうして今日に到るまで色んな人に支えられて生きている。こうしてたった今この瞬間に生きていることが自分の事ながら不思議でならない。ただ、僕を生かし続けている僕自身の運命的な何かに畏怖を感じる。僕は努めて笑顔でいることを心がけた。僕は本気でこの世界で一番優しい人間になろうとした。それがこの世界への精一杯の恩返しであり精一杯の愛だと思っている。僕は真実を書かなければならない義務があるから最後まで真面目に聴いて欲しい。僕はこの世界の誰よりも他人に優しくあろうとした。言葉を大切にして他人に優しく何時も謙虚に。

 こんな話はどうだろう。僕は一人きりで砂浜の綺麗な言葉の貝殻を集める。砂浜を歩き回り徒労に帰す事幾ぞや。毎日のように砂を掘っては見つからない、また少し歩いて砂を掘ってみる。腕は疲れていて鉛のように重たい。滝のように汗をかき喉が渇いて痛い。辛くて寂しくて泣き続けても決して探す事をやめない。何週間も何ヶ月もかけて、ようやく一個見つかると僕はそれを大事にポケットにしまう。そしてまた砂を掘る。そうやって集めた綺麗な言葉の貝殻でネックレスを作る。それを苦しんでる人、悲しんでる人の首にかけてあげるのだ。落ち込んでいる人がいたら、貝殻のネックレスを首にかけてあげて、一緒に泣いてあげようと思う。沢山の人がその人を励ますだろうし元気づけるだろう。だから、僕は、僕だけは隣で一緒に泣いていたい。その人の不幸を苦しみを隣で一緒に嘆き、一番近くで寄り添いたい。そんな人間がこの世界中に一人くらいは居ても良いだろう。その一心で、ただただそれを人生の目標にし己の中で美学として守ってきたのである。笑ってはいけない。いや、いっそお笑いください。笑顔でいつまでも健康にお過ごしください。

 僕は今までどんな事があってもこの意志だけは曲げてこなかった。僕にとって最後の防衛線だった。少なくとも意識的には可能な限り美学を守ってきた。貧乏でも馬鹿にされても寂しくても、ただ自分が信じる美学を守り、美しくあろうとした。しかし、やはりだらしない生活をいつまでもしている。僕の美学も陳腐なものを祀り上げているだけではないかと、ちらと疑う心が生まれ、僕の優しさと思っているものも他人への恐怖と打算によってのみ構成されている、そんな気さえしているのである。消化試合のような人生を生きているような気もしている。それでもどうにかして自分に鞭打ち世間に、大人に、大衆に流されまいと弱る感情を押しのけ押しのけ、やっとこさ毎日を生きている。意地を張っているだけなのかもしれない。プライドが高いだけなのかもしれない。所詮はニヒリズムから脱却できない凡夫なのかもしれない。僕はそんな自分に閉口している。なんとなく他人と自分のズレを感じて孤独に苛まれている。そうして他人を憎むこともできず、偽善者でいる。どうしても心の底から笑うことができない、安心することができない。僕は間違えた道を歩んできたんだろうか。そうして、それに気が付かずにずっとずっと遠くまで歩いてきた阿呆なのだろうか。君、それは間違っているよと他人から言われても、取り返しのつかない所まで来てしまった。そんな事が頭の中でぐるぐると回りながら、僕は今日も綺麗な言葉の貝殻を探している。やめるつもりはない。いつか誰かを救うと信じているから。そうだ。僕は信じているのだ。もしそれが虚構だとしても、偽物だとしても打算だとしても。いつか誰かを救うと僕は信じている。覚悟は決めているのだ。精一杯生き抜くよ、やり抜くよ。年中酔い通すくらいならとっくに死んでいるのだ。逃げないよ僕は。

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