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ep.11 丁寧に大根を煮る、カレーうどんは簡単

しばらくぶりで、いくつものお蔵入りとなった下書きがある。
台所には立っていたが、書けなかった。そういうこと。

もう年の瀬だ。
今年は荒波だった。
荒波なのは私ではなく、環境というか、居る海というか。
己の病というか抱えている波は、なんだか大人になってきた、玄人の波になってきたように感じられる。
仕事に追われて、対人で傷つき、でも人に支えられ、体はめちゃくちゃになったり、怯えたり笑ったり泣いたりしている。
その中で、夜眠ることができたり、自傷がどんどん減っていったり、自分の神経質さが自分を守ったり、人のために動けたり、落ち着いて悩めたり、料理したり、という私になっていっている。

自分の状態を観測する術が、やや持てるようになり、
他者へも白黒ではない視線を持てるようになってきている?ような?気が?
多面的でその時々の、分人たちとして。

そしてここ最近はよく台所に立っている。
追い込みの時はコンビニなんだけど、肌が荒れたり吐き気がしたり体に出やすくなってきたので、このマガジンの初心に戻り、ほっとするものを作る。
作るものはとにかく簡単に、直感を信じて献立を決めている。
ここしばらくは、一緒にスーパーに行ってくれたり、作ったものを食べてくれる(そして非常に賛辞してくれる)人がいてくれるおかげで、調子にも乗っている。
よし、やるか〜という気概になる。

とても支えになっているが、寄りかかって依存するわけでも執着して張り切るわけでもなく、
そこにいることで、頼りにしてるよと思いつつ、こちらはこちらで無理なく体が動いて、できることが増える。
私が不安がりなのは置いといて、でもそんなにビクビクせずに居られる。
「大丈夫カード」にスタンプが押せる。

これが「生活にハリが出る」ということみたいだ。
ありがたいことだ。


その中で最近の絶賛メニューが以下2つ。
①大根とツナの煮物
②土鍋カレーうどん

嬉しい食卓である

①大根とツナの煮物

これは、私が家で一人テレビをぼんやり見てた時、料理番組で紹介されていたもの。
冷蔵庫に大根があったので、レシピのツナをサバ缶にしてもいいな…とか適当なことを思いながら見て、よしこれを明日作るという気持ちで仕事をすれば、残業も防げるだろうという魂胆も持ちつついた。
寝る前に台所を確認すると、ちょうど今月までの期限のツナ缶、しかも良いツナ缶があったので、レシピ通り作ることに気持ちを切り替えた。
翌日は職場の人達にも「今日は大根を煮る」と宣言しながら仕事をした。
残業を最小限に帰宅し、テレビの映像を思い出しながら大根を切って鍋へ入れ、落し蓋をして煮た。
パートナーが「丁寧な仕事だ」とか何とか言って褒めてくれるので、美味しいコシヒカリも炊いてたくさん食べてもらった。
大根は温かいと甘くて冷めると苦味が出る、味が変わって美味い、みたいな解説もしていた。
確かに冷めたのも苦みが出て、お酒がすすむ。


②土鍋カレーうどん

これは余っていたカレールーを消費したくて、適当に自分の分を作ったら、労力の少なさの割に大変美味しかったので、何回か作った。
1人分の時は、余り野菜と冷凍豚バラ肉で適当に作るが、トップ画像のものは、入れたい具材を聞き取りして作ってみた。
しいたけは必ず入れなければならない、あとは入れたいものを入れなさい。とスーパーで選んでもらう。
鶏もも肉、かぼちゃ、ほうれん草がチョイスされ、せっかくなので(?)太麺のうどんにした。
雰囲気を出そうと土鍋にしたけど、ちょっと小さかったみたい。なみなみになってしまった。
喜んでもらえたし、できたものは美味しかったのでよかった。
かなりお腹いっぱいになった。


仕事は時期的にもハードで吐いちゃいそうだけど、こういうことができているのが嬉しい。
自分の楽のためにやっているので、今後も楽に楽しく作れたらいいと思う。
家庭料理は面白いなあ、と感じる。
このnoteも、何者でもない私が、誰のためでもなく好きに書いている。
しばらく書くことが怖かったけど、好きな時に好きに書いて好きに消そうと思う。これは何でもないのだから。

(ストレスや疲労で)吐きそうな時ほど、作りたいものを作るものだ、と思う。
制作も、そんな余裕が無い、という時ほど自分を支える。
作っている間は、クソクソクソ…作れねえクソ、なので楽しんでいるかは怪しいけど、それだけになっている時間が幸せだと思っている。
あとなんか後で元気になるし。

冬は作りたいものが増える。
頑張りたいと思う。

台所がひとつのモチベーションになるのもまたいいなと思う。
今夜は何食べるか。

サポートしてくださると、研究、制作、生活の肥やしとなります。うれしくなります。