自分の才能を知るに比較が役立つ
自分のなかで表現されたがっている命のうめき声を聴く能力を持たなければ、わたしたちはものを創るきっかけがつかめません。by瀬戸内寂聴
アプローチは同じでも、目的は違う
先日私は14日、食事は取らず、ハーブとプロテインのみで過ごすというデトックスをしたのですが、その大きな理由の一つに、「過敏な感覚値を落ち着かせる」という目的がありました。
その話をすると、同じくデトックスをされた方が、
「“感覚を研ぎ澄ます“ためにやる人が多いけれど、逆に感覚を落ち着かすためにやる人もいるんだね」と言われて、結構ハッとしたんですよね。
なぜかというと、私はすでに感性において過敏なので、人の本音だったり、もっというと潜在意識までスッと自分の中に入ってきて、その人の本音と建前のギャップにさいなまれることすらあったのです。
なので、日常生活ではそのギャップに振り回されないように、過敏な感覚を落ち着かせるという努力をコツコツしています。
感覚を研ぎ澄ませる方向性とは、目的が一見真逆のことではあるんですが、
対応策としては、デトックス、マインドフルネス、自分軸確立、、、、とアプローチは同じなんですよね。
だから、人は同じアプローチをとっていたら「この人も同じように、感覚を研ぎ澄ませているんだ」と思うわけですが、ひとりひとりに寄り添ってみないと、本当のことはわからないことが多いです。
人と比較して、はじめて自分の持ち物がわかることって多いな。
あまりにも自然に自分に在るものが、実は才能
人は生まれながらにある自分の能力だったり、才能だったりするものを、「これが普通」と思っています。
それは、あまりにも自然に、元々自分にあるものだから、それが才能って知らないままです。
自分の中にある人とのチガイ(才能)というのは、人と比較して初めてわかること。
そして「比較はよくない」「チガイを知ることよりも共感が大事」と思い込まされすぎて、自分の飛び抜けた能力、才能を知らないままの人が多いです。
“答え“を周囲が勝手に押し付けることが害
他者と比較して落ち込んでしまう、、ということはよくあります。私も、よくある!笑 でも、そもそも比較そのものが悪いのではありません。
比較がよくないのは、比較してこっちが正しい、という“答え“を勝手に他人が出してしまうからです。
もしくは、他人が出した答えなのに、自分もそう思わされているだけ。
または、目に見える“結果“=自分の価値と思い込んでいるだけ。
いいも悪いも、全ては自分が決めれることなのに、それくらい人はマインドコントロールされやすいのです。
比較して、そのチガイを自分で噛み締めて、自分が今後どちらを選択するかを選ぶための情報として受け取れば、自分の活かし方っておのずと見えてきたりします。
チガイを知って、それを「ラッキー」と思うか、それを「皆と一緒ではないから、隠さないと」と、思うかが、分かれ道。
「いや、チガイはもうわかって、それでもラッキーとは思えないんです!」という葛藤の時期は、もう才能に活かすべき手前の時です。
あなたは自分の才能の芽を自分で詰んでませんか。
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