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自宅で看取った亡き父が教えてくれたこと

博士論文の執筆を終えた日の翌朝、父は自宅で旅立った。とても穏やかな秋晴れの日だった。
父は癌になり余命宣告を受けても自分らしく、そして何だか悠々と最後まで闘い抜いた。そこには諦めや辛さが一切見えなかった。私もそんな風に人生の最期を終えたいと思うほどであり、悲しいけど、なんだか清々しい、そんな気持ちになった。

人生の最期を好きな人と好きな場所で過ごせる人はどのくらいだろう。
自宅で看取りを希望していても、実際に叶う人が1割ほどである。往診や訪問看護などのサービスがあっても、実際にそれをどのように使ったら良いのか分からない人々もたくさんいるため、正しい情報発信が必要である。人生の最期こそ、一番その人らしくあってほしいし、あらねばならないと思う。

これまで病院の医療ソーシャルワーカーとして、多くの患者さまの最期を見てきたが、これほどまで綺麗な死顔を見たのは初めてだった。人生をあきらめない、そして、希望を持って生きることの大切さを全力で教わったような気がした。人は言葉よりもその姿、生き様を通して、教わるものだと改めて感じた。

これからは、遺された家族が、どんなときも前向きに人生に希望をもって生きることが、父の何よりの供養になるだろう。
まだまだ教わりたかったことが沢山あるし、もっといろんな話をして、もっと一緒にお酒も飲んで、いろんな所に行きたかったが、きっと空の上から楽しく穏やかに私たちのことを見守ってくれているのだろう。

ありがとう、そして、さようなら。


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