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あの井著「水引」感想

「水引」は、あの井さんの私家版第2歌集。全50首収録。

パンダのだ、アライグマのま、コアラのら、セキセイインコのこ、わたしの死

あの井「水引」

最後の文字を言い直すという言葉遊びの結末にだけ意味が生じている。「わたし」の最後の文字は「し」であり、まさしく最後は「死」なのだ。「わたし」以外が動物であることから、生きものの中で人間だけが「死」に意味を感じているという感覚もある。

人様に金を請求するための紙を数えてさらさらの指

あの井「水引」1

書類をずっとめくっていると、指先の水分がとれていき、めくりづらくなっていく。他人に金を請求するというある種の汚れたイメージの行為を繰り返した結果としてさらさらになるというリアルな日常。

明らかに数が足りないお土産を買って持ってこれる沖田さん

あの井「水引」1

鈍感であることは強さである。とりわけめんどくさすぎる人間関係でがんじがらめになっている職場において、そのメンタルはかなり優位。「買って持ってこれる」という言い方に、買うときと持ってくるときの2度にわたって何かを思う機会があったにもかかわらず、沖田さんがお土産の持参を強行したことへの主体の思いが感じられる。

なんかもう春っぽいねのねのときにこっちを向いて笑ってくれた

あの井「水引」2

優しい光景。語尾の「ね」は、会話の相手に共感を促すもの。「春っぽい」という感覚的なものへの共感を求めるということは、会話の相手に自分と同じような感覚があることを信頼していることでもある。主体もそれを喜んでいるよう。

桃源郷までは渋滞しています おくすり手帳の表紙は黄色

あの井「水引」3

桃源郷は、桃林に囲まれた平和で豊かな別世界。明確な関連性が示されない下の句で「おくすり手帳」が黄色であることが示されているのは、信号機のイメージから注意を促すものだろうか。誰しも桃源郷に行けるなら行ってしまいたいが、とめどない渋滞があるようでは、永遠に桃源郷に到達できないという地獄にいるのかもしれない。

コンテンポラリーダンスの感想を言う順番が近づいてくる

あの井「水引」4

悪い夢の世界のようだ。困った。なにせコンテンポラリーダンスだ。うまいとかうまくないとかじゃない。何を表現しているのか絶対に本人しかわからないのに、答えを提示されたら、素晴らしいですねという顔をしなければならないあれだ。困った。

いつまでも桃の天然水とかに騙されたまま生きていたいね

あの井「水引」5

「桃の天然水」に、桃は入っていないし、そもそもこの世に「天然水」なる水はなく、勝手に一定のプロセスで供給されたものをそのように呼称しているだけである。しかし、「桃の天然水」を飲んでいるとき、果物を摂取している幸福感があるし、天然水という響きから清涼感があるのだ。本当のことを暴露することが正義とされる世界だが、生命や身体にとってクリティカルな真実以外は、嘘や誇張があったとしても、軽い幸福感のあることに囲まれて生きていたい。

「水引」は、結婚や出産のような祝儀の際にも、葬式などの不祝儀の際にも、使われるもの。
その結び目には、人と人とを結びつける意味があると言われている。
生活とは、すなわち人間関係である。
ユーモアや毒気を含みながら詠まれる生活の歌に幻想的な歌がときおり入り込む。
あわじ結びできつく結んだ水引で祝儀を渡したって、案外あっさりみんな離婚する。
結び切りの水引で香典を渡したって、生きてる人がいる限りその家に死は訪れる。
私たちは、水引のような形式的なものを信じているふりをしながら、したたかに生きていく。
そういう歌の力を感じた。

完売後は増刷しないということなので、気になったらお早めに入手されることをお勧めします!

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