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高円寺

 3月下旬に蔓延防止等重点措置は解除されているのだが、少し暖かくなっても、あまり外で酒を飲むことはなかった。まだマスクは欠かせないであろうし、飲み屋に入ってもある程度用心しているので、以前のように心底落ち着いて飲むことはない。だが気がつけば隣のボックス席は皆マスクをしていないし、声も割と大きいこともある。スーパーマーケットの会計でレジに並んでいると、気がつけば次の方が思いの外近くに立っていたり、公園のベンチで隣に座った人がくしゃみをする段にマスクを外していたこともあった。とりあえず、マスク持ってりゃいいんだろ、みたいな感じもある。うむ。

 久しぶりに高円寺は沖縄料理の居酒屋、抱瓶で軽く飲んだ。高円寺ショーボートで行われた華村灰太郎生誕祭に参加した夜のことだ。この祭りに私が参加するのは今年で4回目となり、毎回相当酔っぱらっている。2019年だったかは、伝説的なライヴで今でも良く覚えている。いつもゲストは多いのだが、この時はキセルの二人がドラムスの北山ゆう子さんを伴って出演した。私は華村灰太郎カルテットにゲスト出演という形だったが、リハーサルから相当気合が入り気持ちがのっていた。灰太郎(vo,g)以下、つの犬(ds)、今福知己(b)、高岡大祐(tuba)がこの時のカルテットのメンバーだが、ものすごい馬力でキレキレのスピードはとにかく圧巻だった。だが本番前に飲みすぎた。つの犬は喋ってばかりだし、灰太郎はずっと同じ曲をやっていて終わらない。それでも私はとても楽しかったのだ。つの犬はしまいにそこで踊り狂っているのに、何この極上のビートは!とドラムセットを目をやると湊雅史さんとゆう子さんのツインドラム。もうシンプルなリズムギターを何時間でも弾いていたくなる訳だ、これだけで楽しい。だがしかし満員だったお客さんが終演時には殆どいなくなるというベタな映画でもまず無い光景は壮観だったが、私にとっては抱腹絶倒の面白さだった。私以上の酔っ払いが沢山いた、こいつらバカだな、好きだな、という事で私はメンバーに招かれ受け入れた、いや補欠から一軍に上がったのか。そして昨年は楽屋で極上のスコッチをいただき、というか、そんなに良い酒は飲んだことがないので飲ませろ、と封を切らせてしまったのだが、本当に美味くて、もちろん最高の気分で楽屋で過ごしていたということしか覚えていない。その他ほとんどの事を覚えていないのだ。果たしてギターを弾いていたのか?、というくらいの記憶喪失だったのだが、無事に楽器を持って電車で寝過ごすこともなく、帰宅していた。過去こういう時に翌日身体のどこかを擦りむいて傷を作っていたことはままあったが、怪我も無かった。まあそんな酒にまつわるエピソードには事をかかない祭りだが、今年は程々にしよう。
 リハーサルを終えて、数歩斜向かいの抱瓶の扉を開けると一階カウンターもボックスも満員。そして二階に通されたのだが、こちらはお客さんが数名で、座敷の端を陣取る。ああ静かで良いね。さてビール、ここではやはりオリオンになる。特に春にはこれが良い。ゆっくり飲み、二階から外の通りを見下ろす。高円寺という馴染みの街だが、夕暮れ時の普通の風景がなんとなく沁みる。つまみは特に頼まずに、ビール追加。リハーサルを終えた出演者が少しずつ集まり出す。またもビール追加で、泡盛のボトルも出してもらう。何かつまんだ方が良いのは分かっているが、こうやって静かにチビチビやっていると、もうそれだけで良くなってしまう。5~6人の席にはなったのだが、皆ただ飲んでいるだけだ。もちろん会話はあるが、いたって静かな宴席で久しぶりに落ち着いて過ごせる居酒屋の空気を思い出していた。微かな音量のBGMが三線の音色で、これがまた心地よい。

 その華村灰太郎と出会ったのもこの店と記憶する。それ以前に私が参加していたライヴには来てくれていたようだったが、飲みに行った時に、ここの店員でもある彼に初めて話しかけられたのだ。「店でよくかかっているゴーゴー・チンボーラー、桜井さんのプロデュースなんですね。かっこいいですよ。」1999年発売の『オキナワン・ヒッツ&スタンダーズ』というアルバムの一曲で、確かに抱瓶で何度か流れていて密かに嬉しく思っていたのだ。ビクターの沖縄音楽のレーベルからのリリースで、総合プロデュースはインディーズレーベルのオフノート主宰の神谷一義さん、監修は戦後の沖縄音楽の大家、普久原恒勇さん、私はアレンジやバンドのコーディネイトそしてミックスの方向性等のサウンド・プロデュース、という役割分担のプロジェクトだった。ここに収められている曲の半数くらいは元ネタがあり、それは普久原先生が’70年代初期に手がけたものだった。それらを神谷さんが面白がって、現代拡大版を作りましょう、ということで私が呼ばれる。その魅力ある音源の数々にワクワクさせられ、打ち合わせを重ねるごとに漲りは増し、沖縄に飛んだ。その頃はまだ録音データのファイルでのやりとりは無く、一週間ほどはコザに滞在し先生のスタジオに通う。当初、先生は昔の若気の至りを掘り起こされ、あまり乗り気ではなさそうにも感じたのだが、結果、色々と笑ってくれて、野太い三線のテイクをあっさりと録音に残した。東京に戻ってからのダビングはだいたいスムースだったし、その後のミックスも予定通りに終了し、マスタリングを残し私の仕事は終わったように思えたが、レーベルディレクターから数曲のリテイク要請。こちらは神谷さんからOKはもらっていたのだが、仕方がない。その変更は勢いを少し削がれた気もしたが、幸い自分のやるべきことは然程多く無く、再びこれらの歌を手がけることの喜びも感じていた。時間もわずかだが出来たので、瑞穂町の山の上のミキシングルームにおいて多少の音響的な実験を含む試みも吟味出来た。そして何より今にして思えば、この再考は冷静にトータルを見直す良い機会でその後の自分には大きな糧となった。 
 今やサブスクリプションで聴けるようになったので、以下。 

 上記は歌手名のみの記載なので、演奏参加者は以下に簡単に記す。
 久下惠生 (ds)、松永孝義 (b)、船戸博史 (b)、関島岳郎 (tuba, etc)、大原裕 (tb)、中尾勘二 (sax, etc)、川口義之 (sax)、吉森信 (org)、ローリー (g, b)、普久原恒勇 (三線)、ホップトーンズ (cho)、桜井芳樹 (g, etc)

 ちなみに元ネタも貼っておこう。現在かなり高価で取引されているので驚いた。私はこの録音の時に買ったのだが、2~300円ではなかったか。

 再発CDはこちら。

 どうも抱瓶に来ると、やはり私が沖縄の音楽に色々携わっていた頃のことを思い出す。

 先のアルバム制作の前には、松永孝義さんと大工哲弘さんのライヴ等で一週間ほどは那覇にいたし、イマイアキノブさんとツイン・ギターで津波恒徳さんの録音に参加したこともあった。そしてその頃の写真を撮っていたのは桑本正士さん。それからだいぶ経ってからだが、ロンサム・ストリングスでの石垣島と那覇はかれこれ7~8年は前だったか。個人的には神経痛に悩んでいた時期で歩くのも大変だったことはよく覚えている。比屋定篤子さんと初めてご一緒した時だ。いかん、なんだか思い出話になってしまった。

 そしてこの抱瓶でのライヴ出演も少なくなかった。大熊ワタルさん率いるシカラムータは毎年春には必ずブッキングしてかれこれ10年近くは経つだろうか。スーマーとのデュオやロンサム・ストリングスと比屋定さんの東京での共演等もあった。まあここでライヴをやるとつい飲み過ぎてしまうのが難だとは分かっていながら、盃を重ねる。そして笑いの絶えない盛り上がり。しかしそのライヴもこのコロナ禍で2年は御預けを食らい、寂しいものだが、そろそろ復活の兆しもあるようだ。

 さて、水で薄めに割った泡盛を一杯だけ飲んで、本番に備えるとするか。

桜井芳樹(さくらい よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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