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【アーカイブス#15】ピート・シーガーに会いにニューヨークへ行くぞ!! *2010年7月

 ぼくの歌のさまざまな「ティーチャー」について書く、この『グランド・ティーチャーズ』という連載記事、今回でもう15回目となる。連載のタイトルは、ぼくにとってティーチャーなら、ぼくの子供ぐらいの若い世代にとってはグランド・ティーチャーになるだろうと、このウェブ・マガジンの最初の編集長が考えてくださった。これまで14回、いろんなティーチャーについて書いたのに、いちばんのティーチャーのことは、いつか書けるだろうとずっと後回しにしていた。15回目という区切りのいいこの時に、ぼくの歌の最大の師匠について書くのも、いい考えかもしれない。

 ぼくの歌のいちばんのティーチャー、まさにぼくにとってのザ・グレイテスト・ティーチャー、ザ・ビッゲスト・ティーチャーは、これまでいろんなところで書いたり、喋ったりしているから、すでにご存知の方も多いと思うが、それは誰かと言えば、アメリカの代表的なフォーク・シンガーのピート・シーガー(Pete Seeger)だ。
 1960年代半ば、ぼくがまだ中学生だった頃にピート・シーガーの存在を知り、自分も彼のように歌を作りたい、歌を歌いたい、バンジョーを弾きたいと思って、最初の一歩を踏み出した。
 そしてぼくが何よりも影響を受けたのが、ピートが1963年に発表した『We Shall Overcome』というアルバムで、それは「Recorded Live at His Historic Carnegie Hall Concert June 8,1963」というサブ・タイトルからもわかるように、彼がニューヨークのカーネギー・ホールで行った歴史的コンサートのライブ・アルバムだった(現在そのアルバムは『We Shall Overcome The Complete Carnegie Hall Concert Historic Live Recording June 8, 1963』というタイトルのもと、コンサートのほぼ全容が収められた二枚組CDとして、1989年にリイシューされている)。

 当時日本でも発売されたそのアルバムは、確か『カーネギー・ホール・コンサート』というタイトルが付けられていたように記憶するが、もちろんそれはLP盤で、それこそ溝が擦り切れるほどぼくは何度も何度もそのアルバムを聴き返していた。そしてその影響を受け、そこから多くのことを学び、自分なりのフォーク・ソングを少しずつ作り始めていったのだ。
 ただ5弦バンジョーに関しては、国産のピアレスの5弦バンジョーを手に入れ、当時翻訳されて出版されていたピート・シーガーの5弦バンジョーの教則本を見ながら練習したものの、まったく弾けるようにはならなかった。去年、ギターと同じ弾き方でバンジョーの音がする6弦のギター・バンジョーを手に入れ、今ライブでせっせと弾きまくっているのは、きっとそのトラウマがぼくにあるからだろう。

 もしもウェブ・マガジンのこの連載記事『グランド・ティーチャーズ』が、もっと以前に、2008年に始まっていたとしたら、ぼくが真っ先に取り上げたのは、ピート・シーガーがその年に発表した最新アルバム『Pete Seeger At 89』だったはずだ。しかし2009年の春にこの連載がスタートした時は、微妙な感じでタイミングがずれてしまい、そのアルバムを取り上げることができなかった。
 しかし1963年の『We Shall Overcome』から45年後に発表されたそのアルバムは、ピートのアルバムの中では『We Shall Overcome』と並んでぼくが最も心を動かされた作品だと断言できる。いつか機会を見つけて、そのアルバム『Pete Seeger At 89』についても、詳しく書いてみたいと思っている。

 2008年にピート・シーガーが発表したアルバムのタイトルが『At 89』だったことからもわかるように、ピートは1919年5月3日生まれ。2008年に89歳だった彼は、今年の5月で91歳になっている。そして今年になって相次いでピート・シーガーの新しいアルバムが二枚発表された。今回取り上げたいのは、その二枚のアルバムのことだ。

 まずは『Pete Seeger Live at The 2009 New Orleans Jazz & Heritage Festival』というもので、これは2009年4月25日、ピートが90歳の誕生日を迎えるちょうど一週間前に出演した、有名なニューオリンズ・ジヤズ&ヘリテッジ・フェスティバルでの演奏が収められたもの。
 もう一枚は、三日前にamazon.co.jpから届いたばかりの『Tomorrow’s Children』で、これはピートが暮らしている、ニューヨーク州ビーコンの小学生たちや地元の音楽仲間と一緒にレコーディングしているアルバムだ。
 そのアルバムには、ピートが長年かかわって来たハドソン河をきれいな河にする運動、クリアウォーター・リバイバルの中で歌われてきた歌、すなわち河の歌が数多く収められている。ピートは地元の小学校に何度も通い、子供たちとの絆を深め、ザ・リバータウン・キッズと名づけられたその子供たちと共に、多くの河の歌を一緒に歌えるようになった。
 アルバムにはほかにもピートが2001年9月11日のできごとのしばらく後で書いた話題曲の「Take It From Dr. King」や、ダー・ウィリアムスと一緒に歌う最新曲の「Solartopia」なども収められている。
「Take It From Dr. King」のドクター・キングとは、もちろんマーティン・ルーサー・キングのことで、憎しみではなく愛を信じ、彼の非暴力主義に学ぼうという歌。ソーラートピアという言葉は、核や化石燃料とは無縁で、緑のエネルギーだけで生きる世界を目ざす、ハーヴェイ・ワッサーマンの本のタイトルから採られている。

 90歳になってもピート・シーガーがどんな元気な声を聞かせてくれているのか、それがとても楽しみで、ぼくは彼の二枚の最新アルバムに耳を傾けた。ピートは今も5弦バンジョーや12弦ギターを弾きながら元気に歌っているが、ちょっと残念なことに、二枚のアルバムで90代になったピートの歌や演奏がふんだんに聞けるというわけではない。
 ニューオリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルのステージでも、『Tomorrow’s Children』のレコーディングでも、ピートがソロで歌ったり、リードをとっている歌はあまりなく、多くの曲は彼の音楽仲間がリード・ヴォーカルをとったり、演奏を引き受けたりしている。
『Tomorrow’s Children』の方は、ジャケットに「Pete Seeger with the rivertown kids and friends」と書かれているので、彼があんまり歌っていないことは予測がついたが、ピート・シーガーの名前だけが書かれているニューポート・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルの方も、ピートの音楽仲間がたくさん歌っている。

 そりゃ、そうだろう。90歳になってもガンガン歌い、バンジョーやギターを思いきり弾きまくっていたとしたら、それはもう怪物ということになってしまう。二枚の最新アルバムで聞けるピートの声は、確かに衰え、物理的には弱々しくなっているような印象を受ける。
 しかし90歳になってから歌い、演奏するピートの声や楽器の音には、確固とした信念を持ち、姿勢をまったく変えることなく、70年以上にわたって歌い続けて来た人ならではの、とんでもない重み、深み、そして凄みが宿っていると、ぼくは感じずにはいられない。上辺だけ聞いて、「何だ、よぼよぼの声になって」なんて言う人は、何も聞こえていないし、何も感じることができない人だとぼくは思う。

 ピート・シーガーの新しいアルバムということでいえば、去年2009年には『Live in ‘65』という二枚組のCDもリリースされている。このアルバムには1965年2月20日にピッツバーグのカーネギー・ミュージック・ホールで行われた彼のコンサートのすべて、全31曲が収められている。これまで一度も発表されたことのない音源だ。
 ぼくが生涯でいちばん感動したアルバム『We Shall Overcome』のコンサートからほぼ一年半後ということで、ふたつの作品では、重なっている曲もいくつかある。63年のピート・シーガーは、44歳、『Live in ‘65』のピートは45歳で、まさにいちばん脂が乗っている時期だと言える。どちらのピートもとんでもなく元気よくて、すごい迫力だが、それでもこの強く張り上げる歌声、すさまじいバンジョー・プレイも、90歳を過ぎてからの彼の声や演奏、すなわちその比類のない存在感には絶対に叶わないだろう。

 最近ぼくはせっせとツィッターで呟いている。

 ここ数日、「そろそろ新しいアルバムを作りたい」なんて呟いていたら、いろんな反応があり、そこからピート・シーガーの歌を日本語にしたものだけを集めたアルバムを作りたいというアイディアが浮かび上がって来た。
 ピートの歌を日本語にして歌っているものなら、古くは60年代の「腰まで泥まみれ」や「バスのうしろ」、「わたしはリザ・カルヴェレイジ」、「忘れ得ぬ三人の面影」、そして「虹の民」や「汚されたぼくちの河」、最近では「丸々赤ちゃん」や「ほんものとにせもの」など、数え上げていけばすぐに10曲以上になる。それに「主婦のブルース」だって、もとはといえばピート・シーガーが歌っていた「Housewife’s Lament」の替え歌なのだ。

 しかし『中川五郎、ピート・シーガーを歌う/Goro Nakagawa sings Pete Seeger』というアルバムを作るとなると、著作権のことや作者の許可を得ることなど、なかなか面倒な手続きを経なければならない。
 これは大変だなと思っているうち、ニューヨークに住んでいる親しい友だちが最近日本に帰って来て、その時に会って交わした会話を思い出した。彼女は70年代前半に吉祥寺のぐゎらん堂にフォークのみんなで入り浸っていた頃、しょっちゅう一緒にいた仲間だ。
 久しぶりに会った彼女は、ぼくにニューヨークに遊びに来るようにと強く誘ってくれ、一緒にピート・シーガーに会いに行こうという素晴らしい提案をしてくれた。ぼくはピートが日本にやって来た時、少し話をしたことはあるが、ちゃんとした話は一度もしたことはない。
 ぼくをフォークの道に引き込んでくれたピートとは、ぜひ一度きちんと会って、いろんな話をしてみたい。それはぼくが歌い始めてからのいちばん大きな夢だと言える。今年で91歳になったピートのことを考えると、その計画をあんまりゆっくり練っていると、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。このぼくだって61歳だから、この先何があるかわからない。

 ピート・シーガーに会いにニューヨークへ行くという話がぼくの中で、急に現実味を帯びて来た。そしてピートに会って、「あなたの歌を日本語で歌うアルバムを作りたいんです」と直談判するのだ。
 もしかすると、もしかすると、一緒に歌ってもらったりして…と、ぼくの夢というか妄想はどんどんふくらんでいくばかりだ。でも昔と違って、今はそんなことが決して夢物語ではなく、実現しそうに思えてしまう。
 この原稿を書くために、改めてピート・シーガーのアルバムをいっぱい聞いて、ぼくはただ舞い上がってしまっているだけなのだろうか。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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