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【短歌&エッセイ】おかゆとフジロック

テキスト・短歌/吉岡優里

 心臓の音が左耳で鳴っている。まるで左耳の奥に小さな心臓ができてしまったかのように、ドクドクドク…と一定のリズムをはっきりと刻んでいる。この小さな心臓の正体はメニエール病だった。右耳に比べて、左耳の低音の聴力が少しだけ落ちているらしい。原因が分かり安心したが、自分の身体を大切にできていないことが明らかになった気がして、すこし落ち込んでいた。処方された甘くてかなりにが~い水薬を、海外のどこかにこんな風味のお酒がある! きっとある! と思い込みながら一気飲みする。

 メニエール病と診断されて数日経ったある日の夕方、脱水症状が起こった。視界の明度が落ちて、喉が渇いて堪らなかった。会社の机に水筒とアクエリアス二本と天然ミネラル麦茶を並べている様子は異様だったと思う。それらを飲んでも飲んでも水分が身体に溜まる気配は無かった。まるで、底の抜けたバケツにでもなったかのような気分だった。

 ふらふらしながらどうにか帰宅すると、すぐに発熱が起こり、翌日から吐き気と腹痛で眠れなくなった。トイレとベッドを往復しているうちに朝になってしまう日が数日続き、症状が少しマシになってきたのはフジロックの二日目に当たる日だった。もちろん現地には行っていないが、配信をひとりでぼーっと眺めていた。

 この猛暑の中、アーティストたちは力強く立っている。そして、何万人もの人々が熱狂しながらステージを見つめ続ける。私がおかゆを食べながら部屋のソファの上で体操座りをしているこの瞬間に、これだけの熱量が密集している。私はテレビ画面からフジロックの様子を眺めているだけだが、フジロックにいる人々と時間という大きな流れのなかで繋がっている実感があった。この実感は、どこにも行けないひとりきりの時間に寄り添ってくれた。

 特に印象に残っているのは、girl in redだった。フジロック二日目の最後の演奏。出演時間は22時で、メニエール病な上になぞの発熱と腹痛(後にカンピロバクター食中毒と判明)を起こしている私は起きていられるか微妙な時間帯だった。おかゆをだらだらと食べながらgirl in redの登場を待っていたが、21時30分を過ぎたあたりから身体はソファで横になり始める。眠たい。重たい。そして、吸い寄せられるようにベッドに向かってしまった。22時30分を過ぎて、夫がGialloのライブから帰宅した物音で私は目覚め、リビングに急ぐ。girl in redのライブが始まる! というか、始まっている! 私は画面越しに観客のひとりとなって、ステージを眺め続ける。girl in redがステージを降りて、観客を掻き分けながら真っ直ぐに走ってゆく。そしてまたステージに戻ってゆく。スカジャンを羽織るその姿はとても暑そうに見えたが、スカジャンも汗も揺れる髪もかっこいい。寂しくて力強い歌声がここまで届く。今日は一度も外に出ていないのに、夜風に近づける気がした。その間もお腹はぐるぐると痛むが、心は自由自在に動いている。心が元気なら、身体は後からなんとか追いついてくるはずだと思えた。いつか必ずフジロックに行って、心も身体も自由自在に動かして、左耳の心臓の音が聞こえなくなるくらい夜風と音楽を浴びたい。

girl in redはひとを掻き分けて一本道はここに繋がる

吉岡優里(よしおか・ゆり)
1997年福岡県生まれ。愛知県在住。
短歌結社まひる野に所属。
短歌グループtoi toi toi所属。
「星の遅刻」という一箱本屋を始めました。
Ⅹ(旧Twitter)@yuri_yo4
Instagram @yuriiii_12

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