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時の波に乗り続けるディーコン・ブルー

 MIDI RECORD CLUBのウェブサイトのマガジン・ページで「グランド・ティーチャーズ」という連載記事を書き始めたのは、2009年4月のことだった。そもそもはMIDIの社長の大藏博さんの発案で、「林亭」というフォーク・デュオのメンバーで音楽ライター、そして東京の渋谷区神宮前六丁目にある現地買付の輸入中古レコードとセレクトCDのショップ、ハイファイ・レコード・ストアの店主でもある大江田信さんが最初の担当者になってくれた。

 「中川五郎さんのセンセイたち。ってことは、僕たちのグランド・ティーチャーズ。同時代を生きる共感と敬愛を込めて、ご案内いただきます」という「グランド・ティーチャーズ」のキャッチ・コピーを考えてくれたのも大江田さんだったと思う。このコピー通り、1960年代の半ばにアメリカやイギリスのフォーク・シンガーたちの歌を聞いて心を動かされ、日本のフォーク・ソングのようなものを自分なりに模索し始め、1970年代になってからはシンガー・ソングライターと呼ばれる海外のミュージシャンの歌も熱心に聞き続けた、そんなぼくの歌の「先生たち」を自分よりも下の世代に紹介し、伝えていきたいという思いを込めて、ぼくはその連載を始めた。1949年生まれのぼくにとっての「ティーチャーズ」は、ぼくよりもずっと下の世代、1970年代から1980年代生まれの人たちにとっては「グランド・ティーチャーズ」となるわけで、もっと下の、それこそ2000年代生まれの人たちにとっては「グレート・グランド・ティーチャーズ」となるのだろう。

 MIDI RECORD CLUBのウェブサイトのマガジン・ページでの「グランド・ティーチャーズ」の連載は、2009年4月から2020年9月まで11年と5ヶ月続き、基本的には毎月書くことになっていたので、それをきちんと守っていれば全部で137回となっていたはずだが、書けなかったり間に合わなかったりした月も多く、結局は全部で106回で完結してしまった。

 とはいえ、100回を超える連載で、ぼくの「ティーチャー中のティーチャー」であるピート・シーガーやウディ・ガスリー、ボブ・ディランやエリック・アンダースン、レナード・コーエンやラウドン・ウェインライト3世、ジョーン・バエズやジュディ・コリンズ、それにぼくよりも若い世代だが素晴らしい歌を通して多くのことを教えてくれた「ティーチャー」たち、ビリー・ブラッグやロン・セクスミス、ミルク・カートン・キッズやボニー・ブライト・ホースマン、マイカ・P・ヒンソンやキャス・マコームス、そして英語圏以外の「ティーチャー」、フランスのジャック・ブレルやフランソワ・ベランジェなど、書きたいことはかなり書き尽くした感がある。当初は大蔵さんや大江田さんと、いずれは一冊の本に纏められたらいいねという話もしていたが、今は本を作ることに関しては、とりわけこうした音楽の本を作ることに関しては、とても厳しい状況になっているようだ。

 2020年5月31日にMIDIの代表だった大藏博さんがこの世を去り、MIDIにも変化が訪れ、MIDI RECORD CLUBのマガジンの内容はmidizineという新しいnoteのウェブサイトへと徐々に移行されることになった。ぼくの「グランド・ティーチャーズ」もMIDI RECORDCLUBのウェブサイトからmidizineに引き継がれ、「Grand Teachers」という新タイトル(といっても表記がカタカナから英語に変わっただけだが)のもと、これまでの記事が「アーカイヴス」として初回から順に転載され、新たな原稿も毎月というわけにはいかないが随時書き加えていく。これまでにすでに三本の記事が「アーカイヴス」として転載され、こうして今ようやくぼくはmidizineのための最初の文章を書き始めている。

 今から34年前、1987年といえば、ぼくはまだ自分のライフ・スタイルを自分が歌うこと中心のものには戻していなくて、つまり日本のフォーク・シンガーの一人として日本のあちこちを歌って回るような暮らしに戻していなくて、もっぱら音楽の原稿を書いたり、アメリカやイギリスのミュージシャンたちの歌詞の翻訳をしたり、アメリカやイギリスの作家たちの小説の翻訳をすることが中心の生活をしていた。

 1985年にスコットランドのグラスゴーで結成されたディーコン・ブルー(Deacon Blue)がデビュー・アルバム『レインタウン/Raintown』を発表したのが1987年のことで、そのアルバムはすぐにも日本盤がソニー・ミュージックがCBS・ソニーだった時代のEPIC・ソニーから発売された。ディーコン・ブルーの音楽に心を奪われたぼくは、いろいろと原稿を書き、日本盤の歌詞の対訳も手がけた。

 当時日本でもかなりのリアクションを得たディーコン・ブルーは、その後五年以上、新しいアルバムが出るたび日本盤が発売された。『レインタウン』に続いて、1989年にはセカンド・アルバムの『エンジェル/When The World Knows Your Name』、1990年には未発表曲やシングル盤のB面曲を集めた『オー・ラスベガス/Ooh Las Vegas』、1991年にはサード・アルバムの『フェロウ・フッドラムス/FellowHoodlums』、1993年には四作目の『セイ・ナッシング/WhateverYou Say, Say Nothing』。新作が出るたびぼくは原稿を書いたり、歌詞の対訳をしたりと、いろんなかたちでディーコン・ブルーの音楽を日本に伝える仕事と関わり続けた。

 1980年代後半から90年代半ばといえば、ちょうど日本の経済状況が活気を帯びていた時期で、それはもちろん音楽業界にも及び、当時は海外取材や海外からのミュージシャンたちのプロモーション招聘がしょっちゅう行われていた。洋楽の原稿を書く仕事が中心だったぼくも毎月のように海外取材に出かけるようになり、ディーコン・ブルーもロンドンまで取材に出かけ、長時間のインタビューを行なったり、イギリスでの彼らの人気は日本とは桁違いだったので、巨大なアリーナで行われたコンサートも見ることができた。そして1993年5月にはディーコン・ブルーの来日公演も実現し、東京、名古屋、大阪でコンサートが行われた。

 ディーコン・ブルーは、スコットランドのダンディーからグラスゴーへと移り住んだ元教師で、曲を作って歌いピアノを弾くリッキー・ロスが、ミュージシャンを集めて1985年に結成したバンドだ。1987年のデビュー・アルバム『レインタウン』を作った時のメンバーは、リッキー(ヴォーカル)、グリーム・ケリング(ギター)、ジェームス・プライム(キーボード)、ユーアン・ヴァーナル(ベース)、ダグラス・ヴァイポンド(ドラムス)、ロレイン・マッキントッシュ(ヴォーカル)の6人だった。一言で言うなら、ディーコン・ブルーの歌は熱く力強いロック・サウンドに乗せて、スコットランドの市井の人々の暮らしぶりや家族の歴史、地元の人たちの固いつながりなどを、リアルに、詩的に歌い上げていて、ちょうどブルース・スプリングスティーンとザ・E・ストリート・バンドがアメリカを舞台にしてやっていることをリッキー・ロスとディーコン・ブルーはスコットランドを舞台にしてやっているようなところがあった。そして「レインタウン」や「ラグマン」、「スペンサー・トレイシーのように」や「ディグニティ」など、リッキー・ロスの書く物語性に富み、情趣に満ちた歌が、何よりも大きな魅力となっていた。

 しかしディーコン・ブルーは1994年に解散し、それからの数年間、リッキー・ロスはソロのシンガー・ソングライターとして活動を続け、アルバムをリリースするようになった。そして1999年にディーコン・ブルーは再結成し、1999年の再結成アルバム『Walking Back Home』から2021年の最新作『Riding on the Tide of Love』まで7枚のアルバムを発表している。

 再結成してからも彼らの人気は、イギリス、特にスコットランドではまったく衰えることがないようだが、その活動形態は第一期の時のようにフル・タイムのものではなくなり、何かがあると集まって動く感じで、リッキーはディーコン・ブルーのメンバーとしてだけではなく、ソロのシンカー・ソングライターとしてもアルバムを発表し続けている。

 1994年にディーコン・ブルーが解散し、その年にグレイテスト・ヒッツ・アルバムの『Our Town』がリリースされ、1996年にリリースされたリッキー・ロスのソロ・アルバム『What You Are』にもぼくは耳を傾けていたが、ちょうどその頃、1990年代の後半に自分の活動の中心を書くことから歌うことへとシフトしたこともあって、活動を休止したディーコン・ブルーへの関心は日毎薄れていくようになってしまった。あれほど夢中になったバンドなのに、何と薄情なことよ。

 もちろん歌うことが中心の日々になっても、アメリカやイギリスのいろんな音楽にぼくはせっせと耳を傾けて続けていたのだが、ディーコン・ブルーはもう終わってしまったのだとどこかで決めつけ、その後情報のアップデートをすることをずっと怠ってしまっていたのだろう。

 再びディーコン・ブルーに、再結成後のディーコン・ブルーの音楽に集中して耳を傾けるようになったのはつい最近のことだ。きっかけは何かといえば、たまたまリッキー・ロスの新しいアルバムを聞いて、「やっぱりリッキーの作る歌は素晴らしいな」と改めて思い(それならずっと聞き続ければいいじゃないか!!)、2010年以降コンスタントにリリースされているディーコン・ブルーの新しいアルバムも次から次へと聞いていったのだ。5年の休止期間を挟んでもディーコン・ブルーの音楽性やスタイルは大きく変わることなく、安定した路線を突き進んでいるが、だからといって懐古的になることもなく、新しい時代に向き合ったものとなっている。

 1990年前後と違って日本でディーコン・ブルーのことが話題になることはまったくと言っていいほどなくなり、それこそ解散したままだと思い込んでいる人もいるかもしれないが、ディーコン・ブルーは “alive and well”、21世紀も現役バンドとして活動を続けているのでぜひ耳を傾けてほしい。今のディーコン・ブルーがどんなだかをいち早く確かめるには、2017年にリリースされたDVDとCDがセットになったアルバム『Deacon Blue Live At The Glasgow Barrowlands』のDVDで、コンサートの映像を見るのがいちばんだろう。

 ぼくとしては、21世紀になってからリッキー・ロスがシンガー・ソングライターとして発表し続けているソロ・アルバムに強く惹かれるものがものがある。2002年の『This Is The Life』、2005年の『Pale Rider』(「Kichijoji」というタイトルの何とも興味深い歌も収められている)、2013年の『Trouble Came Looking』、そして2017年の『Short Stories Vol.1』といった作品を繰り返し聞き、まさに最新ソロ・アルバムのタイトルどおり、珠玉の短編小説のような世界が広がる彼の歌に心を奪われている。

 リッキー・ロスはディーコン・ブルーで本格的な音楽活動をする前、実際に学校の教師をしていた人物だが、リッキーの深く、重みがあって広がりもある歌を聞くと、実に刺激的で、いろんなことを教えられ、彼はぼくの「ティーチャー」、歌の先生だと思わずにはいられない。

中川五郎
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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