見出し画像

寄居


 9月の初旬は急な事情で、鶴舞う形の群馬県は南、埼玉との県境の川沿いの街に三度ほど足を運ぶこととなった。以前は拙宅からは関越自動車道を使うことが殆どだったのだが、ここ数年は専ら、飯能~日高~越生~小川町~寄居~美里~神川と八高線に半ば沿っていくコースを選ぶことが多い。渋滞も日高から先は殆ど無く、高速道路との時間差は30分から小一時間くらいプラスといったところだ。今回は何度か足を運んだので、少しだけコースを変えてみたりもした。小川町から寄居の間は川越街道バイパスを使うと、玉淀大橋を渡って寄居に入るが、まだ明るい時間だった所為もあり、竹沢駅~折原駅と八高線沿いに行き、ちょいとした峠になっている林道を行く。このコースだと鉢形城跡を左に正喜橋を渡り寄居の市街地に入る。どちらも荒川にかかる橋だが、正喜橋の方はカーブを携えた川の美しさと険相な山腹が同居し、運転中でも少し目を奪われる。鉢形城が天然の要塞といわれたのも一目でうなづける。一方の玉淀大橋からの景色は河原も広く穏やかで、人影も確認できる。川遊びやバーベキューでも人気の場所でもあろう。ただ、この橋を渡るとおのずと一度国道140号線(秩父往還道)に入り、再び254号線(川越街道)に抜けなければならないのだが、ここが時折混む。秩父鉄道の桜沢駅や小前田駅の方から廻ることもあったが少し遠回りとなる。
 正喜橋を渡ると、寄居の中心なのだが、駅北側の国道沿いの方が大きなロードサイドのチェーン店が多く、駅近くの商店街は大型スーパーが一軒あるものの、旧市街地といった落ち着いたそこそこに古い町並だ。そしてこのルートの利点は140号線に入ることなく最短距離で254号線に抜けられるのだ。

 埼玉県のこの少し西側、これは私の肌感覚でしかないが、やはりさいたま市の北、上尾~桶川~熊谷あたりとは少し違う空気を感じる。鉄道網の所為かもしれないが、東京のベッドタウン感が薄い。どこも小さな町で人通りも多くないが、一昔前の知らない街の雰囲気がどこかに必ずある。
 この辺りの地図を見てみると良い。秩父鉄道は羽生から熊谷を抜け寄居へと西に向かい、そこからは南西に走り秩父に至る。その寄居のあたりは荒川も蛇行し、北は本庄市や群馬県伊勢崎市、高崎市に街道は通じ、南は小川町、越生と今回の私のルートと重なる。秩父往還という街道名は他にも飯能から名栗を抜ける峠や小川町から東秩父村のルートにも名付けられていたようだが、やはり現在の140号線が重要な街道であることは間違いなく、なにより秩父鉄道もほぼそれに沿っている。寄居の東側は平地が広がるが、西はすぐ山地、川も蛇行し、そこには鉢形城、江戸への船運も活発な場所であった。重要な宿場町であったことは容易に想像がつく。
 秩父はすぐだ。秩父鉄道はもちろんのこと、140号線、そして今や有料道路も出来、車でのアクセスもたやすい。飯能経由の西武秩父線の開通がまだ五十年くらいなので、明らかに寄居が秩父への玄関口だったのだ。秩父もまたとても興味深い街だが、それはまた別の機会にしよう。

 さて、その帰り道。まだ16時過ぎくらいで明るく、正喜橋を渡るべく寄居駅前を通り抜ける。駅前すぐ近くの食堂「今井屋」の夕方の営業時間に重なっていたのは幸運だった。ここは昼の営業が主で夕方は17時か18時には閉めてしまう。久しぶりに寄居のタレカツ丼にありつく。随分ご無沙汰していたので、ご飯を少なめと告げ忘れたほどだった。店内に他に客はおらず、ゆっくり麦茶を飲んでいると、程よい時間で丼が配膳された。

画像1

 美味い。特に豚肉がいい。味付けも秩父や小鹿野のわらじカツ丼に比べれば、さっぱりしていて自分の好みとしてはこちらに軍配が上がる。そして更に驚いたのが、この漬物。私は普段定食屋の漬物は一口二口くらいで残してしまうことが少なくないのだが、このきゅうりの爽やかさは今までに味わったことのないぬか漬けの風味だ。
 しかし、やはりご飯少なめは必須だった。食べ終えたもののその後の車の運転が快適とは言えない満腹感。そしてゆっくり走っていると魅力的な外観のいくつかの居酒屋の暖簾がそよ風に少しはたむいているのが目に入り、休んで一杯やっていきたい欲求にもかられるではないか。しかし我慢、橋を渡り一気にこの街を去る。

 埼玉県から上毛にかけては、もう豚肉はだいたい間違いない。すき焼きが豚なのも十分にうなずける地域だ。拙宅近隣の西多摩地区の精肉店もこの流れを汲んでおり、どこの個人商店もスーパーマーケットより上質な豚肉でしかも安価で提供してくれている。この物価高だが、いまだに100g 130円代の味のしっかりした分厚い豚バラの店もある。

 また2日ほどして同じ道を辿ることとなった。9月初旬は急なスケジュール変更もあり暇だったこともあり動きやすかった。
 車内ではほぼAMラジオを聞くのだが、今回はカセットを持って出発した。カーステレオはCD、カセット、ラジオという旧型のものだ。最近Apple Musicのお試し加入でいろいろ聴きながら、時にはダウンロードしているのだが、それをCDRに焼くのはちょっと面倒臭い。なによりこのカーステレオはCDはかかるがCDRは読まないのだ。であれば、オーディオインターフェイスからカセットデッキにつなげリアルタイムで録音。エアチェック感覚でこれが結構楽しい。最近よく聴いているチャールズ・ロイドの ‘70年代の『Waves』(ガボール・ザボ、ロジャー・マッギン、マイク・ラヴ入り)、『geeta』(ブラックバード・マクナイト入り、ストーンズメドレーあり)などはカセットテープになかなかにマッチする。もちろん ‘60年代『Manhattan Stories』も車に忍ばせている。これはSlugs Sallonでのライヴの音が凄く、10インチアナログでも出ていたらしいが、聴いてみたいものだ。

 そして、ガース・ハドソン『Collectors Edition : The Sea To The North』も携える。これは2001年にリリースされたガース・ハドソンの正式なソロアルバム第一作目『The Sea To The North』の編集版で2014年に発表されたものだが、驚いた。ピアノソロが一曲増え、曲順が変更されている。しかし驚くべきことは既出曲の編集ぶりだ。構成が変わっているものもあり、ピアノソロ以外の曲サイズは少しコンパクトになって焦点がより合っている。このアルバムの魅力が明確に伝わるのだ。そしてさらにモード・ハドソンのヴォーカルを全てカットしている。この辺り賛否はあるだろうが、このアルバムではこちらの方が良い。最初からこれだったら、私はもっと好きになっていたに違いない。

 このリミックスに至る経緯が知りたいのだが、まだネット上ではヒットできていない。

 察しは付くだろうが、今回の三回の上毛行きは不幸の知らせの始まりからの出来事だった。それ以外にもこの夏の終わりにかけては、実は訃報がとても多かった。人はいつか必ず死ぬのだが、悲しみは当然ある。

 8月の下旬に、とてもお世話になっていた音楽プロデューサーのHさんが亡くなった。実はその二週間くらい前に私はちょっとした要件でHさんとメールのやり取りをしていた。その時に彼が入院中であることを知る。メールのやり取りの最後は、お大事になさってください、だった。
 Hさんとの最初の仕事は、CMだった。その時はギターを弾くだけで、小一時間のスタジオ拘束のみだ。そんなことが何回かあったあと、作家としても私に声をかけてくれるようになった。5本くらいは作ったと記憶する。ただ、よく覚えている仕事となるとやはり映画音楽になるだろう。こちらも最初は弾くだけのセッションで呼ばれたが、次に映画で声がかかった時は音楽制作だった。エンジニア、マネージャー、私の四人のチームで二作関わったが、どちらも有意義かつ面白い現場でその経験は自分の中に大きなものを残し、役に立っている。現場では監督が私に振る時間的に無理な作業をうまい具合にスマートに回避してくれるHさんには随分助けられ、ホッとした。自分だったらそのうち喧嘩になったかもしれないだろう。

 その作品が以下二作。

 彼との最後の仕事はコロナ禍前から始まったCM音楽だった。いくつかのデモテイクをやり取りした後、本番テイク録音の頃にはコロナ禍に突入。打ち合わせもデモ音源もメールだったのだが、結局全てリモートでの作業となり、Hさんと顔をあわせることはなかった。

 リモートという所為もあっただろうし、クライアントとの調整もあっただろう、監督が本テイク提出ぎりぎりまで悩んだようで、結局こちらはいくつかの30秒バージョンを用意し納品した。Hさんからはなかなか決められず申し訳ない、との連絡があったが、そんなことはお安い御用だった。
 その時の最後のメールはテイク決定や請求書郵送の件だったが、次の仕事を示唆する一文が書き添えられていた。だが、それは叶わずじまいだった。

 ご冥福をお祈りいたします。

桜井芳樹(さくらい・よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

この記事が参加している募集

ご当地グルメ

midizineは限られたリソースの中で、記事の制作を続けています。よろしければサポートいただけると幸いです。