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豊橋

 まだ記憶に新しいが、何れ懐かしいものになるであろう東海道新幹線の喫煙ルームである。この写真は今年の1月のものだが、このスペースが廃止されるJRのダイヤ改正の直前にも新幹線に乗る機会があり、この場所が設置された当初は何だか落ち着かない喫煙だったのだが、今となっては案外心安らぐ場所となり、この小さい車窓ですら何だか愛おしく思えて、おそらく私にとって最後になるであろうこの新幹線喫煙ルームを堪能した。例えば富士山、通常の窓際の座席から見えると、ああ富士山か、と共に周りの空模様も広がり、西あるいは東への移動の実感を持つが、この喫煙ルームの小さい窓だと、その目に映るものだけがフォーカスされ普段は気に留めないようなものを観察しているような状態にもなるし、富士山に関わらず、子供の頃の夏休みによく乗っていたブルートレインA寝台上段のスライド開閉のCDケース2枚分くらいの小さな窓の外に流れる夜の線路沿いの何気ない景色が覗き見るという行為でワクワクした感じに映っていたのにも似ている。またあるいは、独房を経験したことはないが、荒木村重に幽閉された黒田官兵衛がずっと目に入っていたにもかかわらず、いつの間にか見えていたはずの藤に心を留めていた、ということにも少しだけは共通も感じる、と言ったら大袈裟か。ただ、その状態で煙草を吸っていると落ち着くことは確かである。もっともそんなふうにボーっとしている人はあまりおらず、同席1~2人の見知らぬ方は大体スマートフォンを見入っていることが多かった。新幹線で喫煙出来なくなったことは私にとっては少し残念なことだが、この何気ない小さな車窓も味わえなくなってしまった。
 昔は鉄道客車内で普通に煙草が吸えた。長距離列車向かい合わせの4人掛け、窓際には小さな作り付けのテーブルとそこに備え付けられた栓抜きの金具、その下には蓋付きの灰皿というか吸い殻入れがあった。B寝台車の通路で補助椅子を倒して、ほとんどカーテンが閉まった寝台ばかりの中、夜中に嗜む煙草は旅の気分を掻き立てた。その後、新幹線がほとんど禁煙車両になってからも、こだま号だけは喫煙車両が1~2両あり愛用していたし、グリーン車での喫煙はかなり贅沢な気分だった。それから京成スカイライナーの喫煙車。海外から帰ってくるときは必ずそれに乗って、数十時間ぶりの煙草にクラクラして千葉から東京下町の景色を眺めると、日暮里の乗り換えで腹も減っていないのに立ち食い蕎麦に寄ってしまうのだ。
 と、鉄道と煙草の思い出は尽きない。駅の喫煙所だけは少しは残ってほしいが、そのスペースは大体が味気なく、ほんの三、四口吸っただけで出てしまうことも少なくない。そしてこの場所では時に喫煙という行為すら嫌になることもある。

 さて、この3月のダイヤ改正の前に東海道新幹線で豊橋に向かった。栗コーダーカルテット、渋さ知らズ、等でお馴染みの川口隊長の還暦記念ライヴの小ツアーである。2月の半ばに吉祥寺スターパインズカフェにて大々的に出演者大多数で東京編が執り行われたのだが、今回は栗コーダーの御三方(栗原正己、関島岳郎、川口義之)と中尾勘二さんと私の計5名の小編成だった。
 まずは2月の写真。

左から(敬称略)、矢口博康、私、関島岳郎、川口義之
ほぼ最後の大人数のセッション

 上記の大人数のセッションだが、終電の時間が近くなり、演奏中に片付け退出するメンバーも多数続出し、私もその一人であった。その日の演奏がどうだったかは全く記憶がないが、久しぶりに色々な方と酒を酌み交わした。これだけの出演者数なので当初からタイムテーブル通りに進むとは思っていなかったが、舞台監督なしにこれをやり遂げた川口隊長は見事だった。
 その彼との付き合いはもう四十年を超える。私はこの日の出演者の中でも一番の古株でエピソードは事欠かないが、このライヴで配布された数々のコメントが寄せられた小冊子から、拙文を引用しておく。

 このあいだちょっと一緒に飲んでいた時、ああ川口の葬式のときには色々エピソードを思い出しては骨を拾いながら笑ってしまうかもな、なんて不謹慎なことを口走ってしまったのですが、今の佇まいなら、まあそんなことにはならないでしょう。
 旅慣れてるのに大荷物、郷に入っては徐々に自分の形に、等々この調子であと三十年くらいは邁進していただければ、学生時代の先輩の私としては言うことなしです。

 と、そんな大仕事の後、気心知れたメンバーでの小編成ということもあり、この豊橋と大阪は何がどうなっても全く問題なく楽しめる確信があった。

 私は一人で新幹線に乗り、昼過ぎには豊橋に着く。駅から数分の平和食堂に寄りたかったのだが、残念ながら臨時休業か。近くの演歌専門的なレコード店は既に閉業していた。楽器を持ったまま歩きたくはなかったので、今夜の現場ハウス・オブ・クレイジーの近くでビールで喉を湿らせた。何かつまみを頼んだかは全く覚えていない。大体瓶ビールを一本飲むとそれで空腹を忘れる。おそらくお通しで事足りたのだろう。店にとってはありがたくない客だ。

 今回の曲目は栗コーダーカルテットの川口作品を中心に関島、中尾と私が参加するストラーダから数曲、そしてカバー曲で川口のヴォーカルもので構成された。個人的には機材トラブルがあったのだが、さほど大きな影響はなく、つつがなく本番は終わり打ち上げのバーに行く。川口も私も大学時代のサークルの関係でこの豊橋には友人は少なくなく、この居心地の良い店にも過去何度か連れてきてもらい、ビールとワインを適度にいただいた後にウィスキーで〆ることが多かったのだが、この日はワインボトルが結構空になった。そして還暦祝いで話が当然弾むが、さほど深酒にならずに、お開きとなった。

ハウス・オブ・クレイジーにて
栗原さんだけホールドアップ

 翌日の大阪は午後遅い時間に着けば良いのだが、どうしても必要なものがあり、午前中から豊橋の街を歩かなければならなかった。先述の機材トラブルの件であるが、どうもアコースティック・ギターのピックアップ用の内蔵の電池が弱ってきているようなのだ。今回、多少エレキ的な音色も必要でエフェクターも使用したのだが、今回の栗コーダーの楽曲ではアコーステイックで使う場面が多かった。エフェクターも持ってきているので、いつも使っているアコースティック用のプリアンプではなく、今年の初めに中古格安で手に入れた既に廃版になっているBirds Parakeet DIだけをアコースティック用にした。2月の白崎映美さんの東北ツアーでも使ったのだが、これがアコースティック・ギターのピックアップとのマッチングがよく、こちらの足元はノンEQで全く問題ない優れものだった。ただトラブルはDIではなく、内蔵電池に間違い無いと確信したのは、半年ほど前に新調したピックアップシステム(SKYSONIC Pro-1)がかなりの使用頻度にも関わらず電池交換を怠っていたということに気がついただけなのだが、こういうものって案外持つもんだよな、と高を括っていたということもある。何よりまだこのシステムの電池使用状況を把握していなかった。
 朝起きて、ギターの弦を外しバッテリーボックスから9V電池を外すと、確かに心なしか軽い。ということで近所のコンビニエンス・ストアをいくつか覗くのだが、どこにも置いていない。確実なところだと家電量販店になるわけだが、どうやら徒歩30分くらいかかるようで、散歩がてらそちらの方向に進んだ。途中、楽器店がありギターエフェクターも販売しているのだが、何故か9V電池の取扱は無いとのこと。信じられないな、と思いながらもそこで家電量販店の場所を再確認。まだ歩いて20分はかかるとのことだが、時間はたっぷりある。ただ風が強い日でしかも結構な交通量の街道を行くので、あまり楽しくはない。とりあえず目的のものを手に入れてから街歩きを楽しむとしよう。
 駐車場がとても広いユニクロが併設された家電量販店で電池を手に入れ、行きとは違ったルートで駅方面に向かう。途中水上ビル付近をうろうろするもまだ開いている店は少なく、結局ここ豊橋では何度も連れてきていただいたカレーの店ナジャで昼食にした。すると少し遅れてウシャコダの藤井康一さんがいらした。実は前日の打ち上げでも会っていたのだが、ここでも地元の松戸や野田の話にもなる。
  
 電池交換したギターは大阪では何の問題もなく、ライヴは大盛況で終了した。楽しい夜だった。

ムジカ・ジャポニカにて
ということで川口義之還暦記念でした

 帰路、梅田の地下街で潮吹き昆布を買い、新幹線に乗った。この日ばかりは3回喫煙ルームに足を運んだ。

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 近況報告

 左手腕の神経障害は完治はまだしておりませんが、8割ほど戻り、現場復帰いたしました。ご迷惑をおかけしました。 

桜井芳樹(さくらい よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
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