見出し画像

大村

 携帯電話の契約会社から葉書の通知が来ていた。前にも届いていたようだが、きちんと読んではいなかった。どうやら後2年ほどで3Gが使えなくなるようだ。携帯の画面を開けると数々のマークの一つに3Gの表示がある。この電話を使い始めてまだ3~4年くらいで いくら何でも早すぎるだろう、と画面を閉じようとするが、試しに設定のページに入って見た。なんだ、単に初期設定のままで3Gが選ばれていただけだった。壊れてもいないものを短期間で新しくすることは全くもって釈然としないので、妙な憤慨は収まった。因みに私が使っているのは、所謂ガラケーである。しかも殆ど使っていない。通話のみの契約なので、ショートメールとほんの少しの会話しかしないが、その通話も着信に気付かないことも多い。確認すると不在着信がいくつかあるのだが、一週間前だった事も珍しくなく、旧友のショートメールが迷惑フォルダに入ったまま、一年以上経っていたこともあった。

 それでもこの携帯電話はもう4台目くらいにはなる。いやまだ4台目、なのか。20年以上前、まだアナログの携帯電話があった頃のデジタル機が1台目で随分長い間使っていた。白黒の小さな画面で、電波の届かないところも少なくなく、時折通話不能でまだメール機能もなかったが、それでも十分事足りた。その後WindowsCE機を使うようになり、旅ではこちらの方が大変重宝した。インターネットがダイアルアップ接続だった頃、海外でメールを受信するのに打って付けだったのだ。前もって滞在先近くの契約プロバイダー提携のアクセスポイントを調べておけば、無料もしくはローカル料金だけで済んだ。ただ場所によっては接続が難儀でコマンド入力の時もあったが、それもまた楽しかった。
 2台目の携帯電話はノキアだった。702NK。これは問題なければ今でも使っていただろう。一応当時のスマートフォン的なものだった。ただ一方的にこの機種は使用できなくなります、とのアナウンスがあった。壊れて治せないというのではなく、確か電波法改正の為だったと記憶する。悔しいので、NGになるその日まで使っていたが、映画音楽の仕事で連絡が頻繁にあり、妻の昔の使わなくなった携帯にSIMを入れ替えしのいでいた。結局、そのSIM入れ替えをその後しばらく使っていたが、カレンダーの更新が出来ず最寄りの携帯電話店に持ち込んだところ、この機種のカレンダーは昨年までです、と言い切られ更新不能とのこと。他の機能は全く問題ないのに何ということだ。そして店員さんからはスマートフォンへの変更を提案されるが、この頃はあまり電話も使わなくなってきていたので、お断りして帰った。ただ料金は然程変わらなかったのでSIMはそのままにしておいた。そして2年ほど携帯電話は持たなかった。wifiが割と普及してきたので、旅先では急がない連絡だけならタブレットで事足りた。そのまま携帯は持たなくても良いかな、と思っていた頃、契約の料金体系を見直ししたら、機種変更が逆に安くなることを知り、今の4台目になったのはつい2~3年前のことだ。私にとっては大体の機器は修理不能になるまでは使い続けるのが当たり前の事なのだが、今はもうそうではない時代のようだ。この国では古い車を大事に乗っている方が税金が高いのだ。

 2月のとある日、充電の為にテーブルの上に置いた携帯電話が鳴った。私は現在の機種になってからは着信があった方しか登録していないので、画面には電話番号だけが表示されたが、通話ボタンを押した。関島岳郎さんからだった。その日の夜はホープ&マッカラーズのライヴがあったので、おそらく急用であろうとの察知の通り、明日と明後日のスケジュールを聞かれた。栗コーダーカルテットの急遽のサポート依頼で予定だったタバティ氏(ビューティフル・ハミングバード)が体調不良で欠席の可能性があるということだ。幸い予定はなく、詳細を待つこととした。
 程なく確認の連絡があり、私の参加が決まった。タバティのPCR検査の結果待ちでは公演に間に合わないとのこと。そして、その日の夜のライヴの前に関島さんが抗原検査のキットを用意してくれ、コロナ陰性を確認した。翌日は長崎大村でのコンサートの為に前乗り、翌々日は昼公演終了後にそのまま帰路、という行程だった。

 栗コーダーカルテットでは時折演奏しているが、年1~2回という間隔なので、いつも新鮮ではあるが貯金もない。ところが今回はたまたま一月に一緒にフルステージをやっていたことが幸いした。そして何のストレスもなく、長崎へ向かった。
 夕方発の羽田からの便で長崎空港へ飛ぶ。その日は天気が良く雲も少ないので、富士山も思わぬ角度からの眺望。夕暮れ時は雲仙普賢岳を旋回するのだが、半分影になっている様相は神々しい。その黒く険しい山に目を奪われたかと思うと、落ち着きを取り戻したように長崎の島の数々に見惚れる。そして日没寸前の時間に着陸、何と美しい夕焼けよ。長崎空港に降り立ったのは、随分久しぶりで前回は確か松永孝義さんと一緒だったと記憶するので、もう十数年は前だろう。
 空港から宿までタクシーの車中、すっかり日が暮れ電飾の看板も良く目に入ってくる。ちゃんぽん・皿うどんの文字が目に入ったので、運転手さんに聞いてみると、東京にもあるチェーン店ではなく地元の店とのことだ。ただその店のお薦めは焼きそばとのご返事。皿うどんじゃないんですか?と訊くと、皿うどんなら山口屋、とすぐに答えが帰ってきた。記憶しておこう。

 ホテルに着くと、ロビーでは既に九州入りしていたメンバーの川口隊長が待っていた。私は彼とは学生時代からの付き合いなので、普段は呼び捨てにするが、今や隊長の呼称で親しまれている。その隊長が、皆が揃ってから行く店を色々探してくれていたようだが、このマンボウ下でなかなか良さそうなところが見つからない。ひとまず向かいのホテル提携の居酒屋はOKとの情報あり。しばし宿の外で一服していたら、関島さん到着。別スケジュールの都合で鉄道移動だったのだが、このコロナ禍で今回はこの大村だけになってしまったようだ。そもそもこの状況でなければ私の参加もなかったし、皆いつも通り先の計画を立て、自分が演奏する場所に立てば良いだけなのだが、ここ2年ままならないことが多く、私もいくつか振り回された。
 さてマンボウ下、営業時間は21時までなので早速向かいの居酒屋に行くが、何とアルコールの提供は無し。翻ってホテルの方を向くと、焼肉屋しかない。酒を飲むために入ろうと思う店ではないが仕方がない、時間がないのだ。残すところ一時間を切っている。ということで入店。スタッフが少ないのか、なかなか注文を取りにこない。刻一刻と閉店時間が近づいてくるが、ようやくオーダー。だが、21時には残っている酒も下げさせていただく、とのこと。ええっ!と驚いたが、長崎県のマンボウ下対応だろう。しかしこの人数ならボトルでも飲み干せるとの判断で注文す。ビール、ナムル、豚バラで落ち着き、若干の打ち合わせも済ませる。栗原、川口、関島三氏とはそれぞれお馴染みだが、栗コーダーカルテットとして私が地方公演に参加するのは実はこれが初めてのことだ。旅の空ましてやこの緊急の状態の所為なのか、会話のテンポがいささか早いが、ステージでの淀みないMCの元がこの宴席にはあった。これぞ結成25年、いやもうそれ以上か。歴史を垣間見させていただく。
 結局21時になっても酒は下げられず、一時間ほどだったがそこそこゆっくり飲めた。焼酎ボトルは空いた。牛肉はあまり食べなかった。

 焼肉屋はお開きになり、隊長が昼間にこの街で仕入れた魚と道中で手に入れた酒があるというので、その後は部屋飲みになる。酒も魚も予想以上にあるではないか。流石隊長、この辺り抜かり無し。酒も魚も美味い。貧乏性なのかこういう古いビジネスホテルの狭いシングル部屋の部屋飲みは案外落ち着くのだ。こういう場では醤油の小袋を飛び散らさないようにゆっくり慎重に開ける行為ですら楽しみで、これを失敗したことは殆どない。隊長は東京から西の各地を少しずつ移動し、ライヴやら観光やらで、ここにたどり着いたらしい。各所の話に花が咲く。思い起こせば随分前の欧州ブダペストでのフェスティバル出演で厳しいセキュリティーを何度もくぐり抜けてようやく楽屋にたどり着いたら、既に川口隊長が、やあやあ久しぶり、と第一声でワイン片手にそこにいるではないか。驚きの旅の達人である。
 かなり酒が進んだようだった。最近ではなかなかの量だったのかもしれない。そして最後はあまり記憶がない。部屋飲みの前にちょっと練習でもしておこうか、とも思っていたのだが、結局ギターケースは開けずじまいで、自室に戻ってすぐに眠りについたようだ。
 翌日は体に少し酒が残っていた。昔は二日酔いはほぼ無かったのだが、最近はそうもいかない時もある。朝のコーヒーだけでもいただこうと朝食会場に5分遅れくらいで行ってみるが、既に終了。部屋の緑茶をゆっくりすすり、本番の準備をした。

 会場に着くと再び抗原検査で、ここでNGなら強制送還。もっとも全員OKで無事終演することができた。ちなみにタバティはPCR検査で陰性が認められたとのこと。全く厄介な状況であることを痛感。そしてキャパは500名ほどのホールだが、客席は空きも少なくはない。何でも直前に入場制限があり大村市民限定となってしまったようだ。その入場者数に比べアンケート回収率の高さたるや、流石の栗コーダーカルテット。ただし長崎市や佐世保市からのお客さんも期待していたようで、それは残念ではあった。
 さて肝心の演奏だが、私個人としては、若干酒が残っていたせいか、気負わずに役目を果たせた。ただ、鉄弦のアコースティック・ギターを二時間ほど弾き続けることは普段はほぼないので、疲労度は高く、アンコールではスリーフィンガーに少しもたつきを感じた。その辺りよくサポートで入っているタバティや安宅浩司くんのストロークやアルペジオは本当に美しく、そして何と言っても彼らはリコーダーが出来る。

画像1

 帰路のタクシーから、山口屋の赤い暖簾が見えた。ここで降ります、と喉まで出かかったが、空港での皿うどんで良しとしよう。旅の土産はもちろん金蝶ソースだ。そして、思い出したように搭乗前に携帯電話の電源を切るために取り出すが、既にオフだった。昨日の長崎行搭乗前に電源を切ったままだったのだ。

桜井芳樹(さくらい よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

midizineは限られたリソースの中で、記事の制作を続けています。よろしければサポートいただけると幸いです。