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【アーカイブス#14】ねじってもまげてもひっくりかえしても自由自在の人シェル・シルヴァスタイン *2010年6月

シェル・シルヴァスタイン(Shel Silverstein)といえば、日本では、そしてほかの多くの国でも、まずは絵本作家としてよく知られていると思う。彼の代表的な絵本作品、『ぼくを探しに/The Missing Piece』や『おおきな木/The Giving Tree』、『歩道の終るところ/Where The Sidewalk Ends』などは、日本ではすでに1970年代に倉橋由美子さんたちの手によって翻訳出版され、かなり話題にもなったので、読んだことがある人もたくさんいると思う。

 しかしぼくはシェル・シルヴァスタインとは、まずは音楽の世界で出会った。1960年代中頃のこと、ぼくがまだ中学生かようやく高校生になったばかりの時で、すでにアメリカのフォーク・ソングに夢中になっていた。
 やがてはピート・シーガーやウディ・ガスリー、ボブ・ディランやトム・パクストン、それにフィル・オクスやエリック・アンダースンといったソロのフォーク・シンガーたちにぼくは深く傾倒していくことになるのだが、アメリカのフォーク・ソングへの入口は、当時のほかのみんなと同じように、キングストン・トリオ、ブラザーズ・フォア、ピーター・ポール&マリーといったモダン・フォーク・コーラス・グループだった。
 60年代中頃は、ギターやバンジョーを弾きながら、美しいハーモニーでアメリカの民謡や新しく書かれたフォーク・ソングを歌う、モダン・フォーク・コーラス・グループが絶大な人気を誇っていたのだ。

 ブラザーズ・フォアはお上品なお坊ちゃんグループ、キングストン・トリオはちょっとワイルドでお酒も好きそう、ピーター・ポール&マリーはハーモニーや演奏の見事さに加え、知的で社会的関心も強いといったように、それぞれのグループが独自のキャラクターを持っていて、それに合わせてそれぞれのファン層も生まれていた。
 でもぼくは最初の頃は、どれかのグループの熱心なファンというよりも、そのほかにもハイウェイメン,ライムライターズ、チャド・ミッチェル・トリオなどなど、数多く登場して来たモダン・フォーク・コーラス・グループ全部に等しく興味を持って、何にでも耳を傾けていた。

 ブラザーズ・フォアでは、その頃日本コロムビアから発売されていたライブ・アルバムがとても気に入っていた。その中で彼らはとてもコミカルな曲もやっていて、それらの曲にはストーリーもあれば、歌い手が場面に合わせて大仰な歌い方をしたりして、それがとても面白かった。
 今でもよく覚えているのが「Boa Constrictor」、すなわち「大蛇」という曲で、これは男が大蛇にだんだんと食べられていく様子を、実にコミカルに歌ったものだった。それに「25 Minutes to Go」という曲もあり、こちらは死刑執行される男のことを、25分前からその瞬間までをカウント・ダウンしていくという、すごい歌だった。この曲はジョニー・キャッシュも歌っていた。

 これらの曲の作者がシェル・シルヴァスタインだった。彼はほかにもジョニー・キャッシュの大ヒット曲「A Boy Named Sue」、ニュー・クリスティ・ミンストレルズやジュディ・コリンズが歌っていた「In The Hills of Shiloh」の作者でもあった。60年代後半のその頃、いろんなフォークのレコードを聴き、「あっ、面白い歌だな」と思うと、その作者は決まってシェル・シルヴァスタインだったりした。

 ちなみに「Boa Constrictor」や「25 Minutes to Go」は、ブラザーズ・フォアからそれらの歌を学んだフォーク・クルセダーズが、いち早く日本語にしてコンサートで歌い、とても受けていた。どちらも当時の彼らのコンサートでの人気曲だったと言える。ぼくも大好きな曲だったので、フォークルのコンサートに行くたび、これらの歌が出てくるのを楽しみにしていた。
 フォークル版の「Boa Constrictor」や「25 Minutes to Go」は、「大蛇の唄」や「もう25分で」というタイトルで、今でも手に入るフォーク・クルセダーズのCDの中に収められている。

 そんなわけでソングライターとしてのシェル・シルヴァスタインに注目したぼくは、いろいろと調査を開始し、彼がシンガーとしてもアルバムを発表していることを発見した。何と1959年にはデビュー・アルバムの『Hairy Jazz』を、当時はフォーク・ソング専門レーベルだったエレクトラから発表していて、60年代にも3、4枚のアルバムを出している。
 今と違って、60年代半ばから後半のあの頃は、簡単に輸入盤を手に入れることができず、大阪のヤマハかLPコーナーに注文して(その頃ぼくは大阪に住んでいた)、何か月も待ってシェル・シルヴァスタインのアルバムを手に入れた。大きな声では言えないが、本人のアルバムはそれほど面白くなかった。それでも大好きなソングライターが自分で自分の曲を歌っているアルバムを手に入れ、ほかに持っている人はほとんどいないだろうと、ぼくはひとり悦に入っていた。


 1970年代に入ってシェル・シルヴァスタインは、ドクター・フック&ザ・メディシン・ショウ(Dr.Hook & The Medicine Show)の専属ライターとしてその名を轟かすことになった。
「Sylvia ‘s Mother 」、「The Cover of the Rolling Stone」、「The Ballad of Lucy Jordan」、「Queen of the Silver Dollar」といった人気曲が次々と生まれた。「The Ballad of Lucy Jordan」は、後にマリフアンヌ・フェイスフルやベリンダ・カーライルがカバーして歌ったし、「Queen of the Silver Dollar」もエミルー・ハリスによって歌われた。
 バクスター・テイラーと共作して大ヒットした「Marie Laveau」という曲もあるし、ユニークなカントリー・シンガー、ボビー・ベアのレパートリーもその多くがシェルの曲だった。
 絵本作家として活躍した人らしく、シェル・シルヴァスタインは子供の歌も得意とし、多くのチルドレン・ソングを書き、そうしたアルバムも残している。

 ぼくの中では、まず何よりもブラザーズ・フォアやドクター・フック・アンド・ザ・メディシン・ショウのコミカルな 歌を書いた人物ということで、シェル・シルヴァスタインが定着したのだが、彼はシンガー・ソングライターや絵本作家としてだけではなく、詩人や脚本家、それに漫画家としても大活躍し、雑誌『プレイボーイ』に20年近くにわたって毎号描き続けた漫画は特に人気があった。
 ウィキペディアによると、彼の本は20カ国語に翻訳され、これまでに2000万部以上売れているということだ。

 シェル・シルヴァスタインは、1930年9月、シカゴ生まれで、5歳の頃から絵を描き始め、シカゴのカレッジ・オブ・パフォーミング・アーツやルーズヴェルト・ユニバーシティの学生だった頃から本格的に音楽活動にも取り組んでいる。
 ティーンエイジャーの頃は女の子にもてず、それでひとり籠って絵を描いたり文章を描いたりするようになり、人気が出て女性に注目されるようになった時は、すでに若者ではなくなってしまっていた。まるでチャールズ・ブコウスキーみたいだが、そういえばシェルは10歳年上のブコウスキーとも仲が良く、ブコウスキーの写真集『ブコウスキー・イン・ピクチャーズ』(河出書房新社)の中には、二人一緒に楽しそうにお酒を飲んでいる写真も収められている。

 60歳を過ぎてもシェルは、芝居に歌に詩に文章に、そして絵や漫画や絵本に、幅広く活躍していたが、1999年5月、自宅のあるフロリダ州キー・ウェストで、心臓発作でこの世を去ってしまった。68歳だった。

 そのシェル・シルヴァスタインのトリビュート・アルバム『Twistable Turnable Man/A Musical Tribute to the Songs of Shel Silverstein』が、今年になってナッシュヴィルのシュガー・ヒル・レコードからリリースされた(Sugar Hill Records/SUG-CD-4051)。
 シェルが書いた歌を数多く歌っていたボビー・ベア(Bobby Bare ,Sr.)とその息子のボビー・ベア・ジュニア(Bobby Bare, Jr.)がエグゼクティブ・プロデューサーを勤めていて、親子で関わっているからか、参加しているのはシェルの昔からの仲間だけでなく、若いミュージシャンもいるのが、とても興味深い。

 例えば古い世代では、クリス・クリストファースンが「The Winner」を歌い、レイ・プライスが「Me and Jimmy Rodgers」を歌っている。ジョン・プラインが「This Guitar Is For Sale」を歌い、ナンシー・グリフィスが「The Giving Tree」を歌っている。
 新しい世代では、マイ・モーニング・ジャケットが「Lullabys, Legends and Lies」を歌い、アンドリュー・バードが「The Twistable, Turnable Man Returns」を歌っている。ドクター・ドッグが「The Unicorn」を歌い(60年代後半にアイリッシュ・ローバーズでヒットした曲)、トッド・スナイダーが「A Boy Named Sue」を歌っている。ピクシーズのブラック・フランシスとジョーイ・サンティアゴが「The Cover of the Rolling Stone」を歌い、ルシンダ・ウィリアムスが「The Ballad of Lucy Jordan」を歌っている。
 そしてエグゼクティブ・プロデューサーの二人、ボビー・ベア・シニアが「The Living Legend」を歌い、ボビー・ベア・ジュニアが小さな娘のイサベラ・ベアと一緒に「Daddy What If」を歌っている。ベア家は三世代にわたって参加というわけだ。
 ほかにもサラ・ジャロツとブラック・プレイリーやザ・ボックスマスターズも参加している。

 アルバムのブックレットにはシェルの書いたイラストが何点もちりばめられ、ボビー・ベア・ジュニアが撮影したシェル愛用のギターのヘッドの写真も掲載されている。
 そしてボビー・ベア・シニアが「シェルはわたしがこれまで出会った中で、最も才気に溢れ、独創的な人物だった」というタイトルで短い文を寄せていて、「彼の歌はとてもヴィジュアルで、唯一無比の人物でもあった。スタジオに入っても、仲間と楽しみ、あらゆるプレッシャーを寄せつけず、自分たちのやり方を貫き通した」と書いている。

 確かにこのトリビュート・アルバムに耳を傾けていると、シェル・シルヴァスタインという唯一無比のシンガー・ソングライターの面白さ、魅力、持ち味、独創性、才気煥発さが、しっかりと伝わって来る。歌を作るものに取っては、めちゃくちゃ勉強になる一枚だと思う。
 シェルがもう新しい歌を作り出すことがないのは残念至極だが、このアルバムを聴いてシェル・シルヴァスタインの世界に興味を抱いた方は、15枚近くリリースされているシェルのアルバムはもちろんのこと、ドクター・フック&ザ・メディシン・ショウやボビー・ベアのアルバム、そしてブラザーズ・フォアやフォーク・クルセダーズのアルバムまで、ぜひともチェックしてほしい。
 シェル・シルヴァスタインの世界の探究は、実に実に面白いし、歌作りに関してとてもとても参考になるとぼくは思う。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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