寒暖の差が気になる季節になった。いや、気になるというのは正確ではない。明らかに体に堪えるようになってきたと感じ始めている。加齢の所為もあるだろう。しかし肉体の衰えを認識し、ただ黙って衣服や食事に気をつければ良いだけのことだ。風邪は昔からほとんどひかず、高熱を発したのがもう何時だったのか覚えていない。が、確実に抵抗力は下がっていると感じる。それでもこの10月気温が下がり始めると少し食欲が増してきたのにはホッとした。
さて妻が鶏団子鍋を作るというので、車を走らせ精肉店に行く。歩いていける近隣住宅街にもとても良い肉屋があるのだが、妻はその時々で精肉店を選んでいるようなのだ。向かったのは車で30分程の福生西口商店街の一喜屋。ここは少し遠いが挽肉が安くて旨い。鳥挽肉は100g70円。ただこの日は一緒に買おうと思っていた豚挽肉は終了で残念。結局、精肉店がしのぎを削る東大和市に寄るが、どこも売り切れで、そのしのぎからは外れる東大和市の住宅街のポツンとした一度しか買ったことがなかった店で豚挽にありつけた。よくよく値段を見たら、豚バラが100g160円、今度試してみよう。
古くからの個人商店はこの様な精肉店に関わらず、高齢の方が営んでいることが多い。この物価高で少し値上げがある店もあるが、値上げ率は案外低い。そして精肉店でいえば200gきっちりの値段で210~220gの店もある。後継がしっかりと味を受け継ぎ、またはそれ以上の成果が感じられる豆腐店や中華屋も近隣では然程値上げしていない。宝来屋は未だラーメンは350円だし、比留間豆腐店は10円くらいの値上げで、スーパーマーケットの方が値上げ幅が大きい。(もちろん特売でかなり安いものもあるが。)
しかしだ、ゆで太郎がもりそば430円、これは50円程の値上げか、お得感は減った。車のダッシュボードに入っているトッピング無料券もあまり使っていない。
食だけではない、少し持ち直したとは言えガソリン。そしてこちとらにとって重要なギター弦。まあとにかくあらゆるものだ。これは暑いんだから、毎日毎日暑い暑いって言うな、とは違って日用品を買うたびにあれもこれも値上がりで、スーパーマーケットで20%引きのシールの商品をカゴに入れたところで、20%引きでも前より50円以上高いじゃねえのか、と頭の中で計算して、棚に戻したりすることもままある。コロナ禍、戦争、円安、人手不足、での物価高は誰でも予測がつく。これは右も左も関係ない。しかし全く根本的な問題解決には向かわず、わずかな減税と給付金という方向になっているではないか。身を切る改革、と言っていたと思うが、庶民が切られるばかりで何の改革だ。
こんなことを書くつもりではなかったが、それほどだ、ということだ。
少し前、まだ残暑厳しい頃だったが、福生の先の多摩川を超えた。例によって瑞穂のジョイフル本田で必要なものを買わなければならなかったのだが、折角なので足を伸ばした。永田橋を渡ると緑が増えるのだが、全く爽やかではない灼熱の日差しだ。行き先はカフェトラモナ。店主のブログにシャーリー・コリンズの新譜の記事があり、早速聴きたくなり訪れた。街道を入っていくと多摩川に合流する平井川というのがあるのだが、この川が結構曲がりくねっていて良い景色も多い。八王子やあきる野方面から帰宅する際は時折使う道で広くはないが、割と気持ちの良い道だ。そこにトラモナがある。コーヒーを所望し、早速シャーリー・コリンズをリクエスト。復活して三枚目だが、益々大きくなっている。いやそんなことを評論目線で書くのは憚られる。とは言え確かに復活第一弾のアルバムはしっかりしたプロダクションでありながらも本人の手探り感も見え隠れした。しかしそんなことで語れないことだと、このアルバムを一聴して自分を恥じた。これは奉仕の精神の懐、そこに自分が気づかなかったということだ。詳しく語るには自分のこれまでと照らし合わさねばならないが、子供の頃、縁側で聞いた祖母の話がいかに何気無く尊いものだったかを、ようやく諭された、というと分かりやすいか。または、近所の神社の20~30mあった神木が最近5mくらいに切られたのであるが、それを見て全く信心深くない私でも、大丈夫、と言われている様な御加護を感じたりするようなものかも知れない。ああ、これを亡くなった西八王子アルカディアの高木さんに聴かせたかったな、と思うと、しんみりしてしまうが、それもこの世。物価高でも生きていくのは当たり前だが、未来への希望を少しでも繋げる、そういう奉仕を改めて実感する。
トラモナ店内をよく見渡すと、スーマーのライヴの告知を見つけた。そして店主の方にスーマーのアルバムをプロデュースした旨を伝えると、にこにこ笑ってレコード棚から、ロンサム・ストリングス&中村まり『フォークロア・セッション』を取り出してくれた。全く光栄なことだ。
シャーリー・コリンズを聴き終えると、次はネイサン・サルスバーグ。何枚かサブスクリプションで聴いていたかなり好きなギタリストで、この人の繰り返されるフレーズと音色をアナログで聴くのはやはり格別だった。他にも気になるレコードは多々あったが、この空間でひっそりとのどかに聴く音楽は自分のいつもの環境とは違うまた別の響きがある。
目の前の仕事と物価高で明らかにおおらかとは言えない毎日だったが、このちょっとした寄り道はとても有意義だった。また寄らせてもらおう。
さてトラモナからの一週間後、映画音楽の制作も佳境を超え、目処がついてきた。録音はほぼ終わり、編集作業を何曲か残すのみの頃、暑さはまだまだ大変厳しく、食欲は無かったが、環境を変えて昼飯でも食おう、と妻と出かけた。
寄居、小川町方面に行く際、越生や毛呂あたりでそれまで通っていたバイパス道より八高線西側の旧道の方が信号が多いながらもスムースに感じる様になってきたのがここ最近のことだ。個人経営であろう商店も少なくなく、曲がりくねった道は走っていて楽しい。何回か通りすがりに見かけて気になった中華屋があったのだが、今日こそは寄ってみよう、という時に限って暖簾は出ていない。とある日、今日こそは寄れるね、と妻と話をしながら通りかかると、なんと臨時休業。そんなこともあって、その暑い日にわざわざ出向いた次第だが、またしてもその日は入り口に臨時の営業時間の変更の張り紙があったのだ。仕方なくグーグルマップでいろいろ見て、車を走らせたことがない坂戸方面に行く。そのグーグルで見つけた店は営業しているかどうかはわからないような佇まいだったが、車を停め入り口に向かう。八高線沿いよりも厳しい暑さを感じるが、その扉は思いの外に軽くスムースで、すぐに店内が見渡せた。
青柳、という屋号の大衆食堂。毛呂山、青柳で検索するとグルメサイトにも出てくるので、写真はそちらを参考されたし。古くからの大衆食堂だが、かなり行き届いた店であることはその場に立たないと伝わりづらいであろう。灼熱の外だが、店内の冷房は弱く、着席しても簡単に落ち着かない。麺類かご飯ものかと壁掛けのメニューを見ながら思案していると、高齢の女性がゆっくり接客に現れた。一言「いらっしゃいませ」と言うが、かなり丁寧で、所作がとても美しい。そして深々とお辞儀をする。もうそれだけでここにきて良かったと思った。
この頃は食欲はあるとは言えず、東京都から送られてきた米もまだ封を切っていなかった。米があまり食えなかったのだ。しかし思い切ってカツ丼を注文。妻はラーメンを選んだ。客は他におらず、店内のラジオは郷ひろみがかかっている。今がいつなのかという錯覚にも陥るが、この清潔さで紛れもなく現在の今のひとときを確認する。古い冷房装置は効きがいいとは言えないが、それでも時折汗を拭いながら、この空間が醸し出す空気の中、ぐっと落ち着いていく。もうここにこのままずっと座っているだけでもいいような心持ちにもなる。女将さん、こんな暑い日に火を使わせちゃってごめんなさい、と言いたくなる待ち時間だが、テーブルに置いてある地元情報誌を少し捲ってみる。地域は地域のことをよく考えている、そのシンプルなことが伝わる記事もある。地道でささやかで良い。それを考えると国の施策には憤りを感じる。と妻とそんな話をしていると、注文の品が運ばれてきた。
女将さんは丼を丁寧にしっかりとテーブルに配膳する。そしてまたゆっくりと深々とお辞儀をする。90度といっても過言ではない。この奉仕の姿を偽りなく人に伝えると言うことは並大抵のことではない。食べる前からまた心を打たれてしまった。
おそらくこの女将さんが一人で切り盛りしている店であろう。もちろん注文のカツ丼(ご飯が多かったが、完食。)もラーメン(予想に反して、少しこってり。)も美味かったが、味噌汁と漬物にその地を感じるのだ。普段何気なく口にしているもの程、季節、風土や歴史による味わいの違いを知るのだが、それだけではない。この店とここを育んできた人々のほんのちょっとした想いもあるだろう。味というのは味だけではない、と味噌汁の底に沈んでいた逞しいしめじを噛み締めた。
シャーリー・コリンズ88才、青柳の女将さんは70才代半ばであろうか。自然体で森羅万象に感謝する心の表れを感じたこの夏だったが、これを文章化している時点で私はまだまだだな、と今回は筆を置く。
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