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ぜんぶがしょうもない、夜


あや、お願いがあるの。あたし熱出ちゃってさあ、今夜私の代わりにお店に出てほしいの。大丈夫、お客さんとお話して、お酒つくるだけ。簡単だよ。21:30から2:30までの5時間勤務で、時給は2500円。無理してお酒を飲まなくてもいいんだからね。あ、服装は自由だけど脚は出して行ってね、うん、ナマ足。ママもちぃさんもりりさんも優しい人だから、今晩だけ、よろしく。ママにはあたしの代わりにあやが行きますって伝えてあるから、じゃ。

お願いがあるの、なんて言いながら、多歌子さんは用件をまくしたてて、最後の「じゃ」と同時に電話を切った。多歌子さんは勝手だ。いつも勝手で、いつも突然。私は大きくため息を吐く。

今まで散々、誰かの代役をつとめてきた。今夜、私は、多歌子さんの代役。


◇◇

あやちゃん、今日は助かった、ありがとう。急で悪かったわね、多歌ちゃんのかわりに謝っておくわね。


ママは朗らかに笑いながら封筒を差し出してきた。ミニーちゃんがプリントされているお年玉袋。2500円×5時間だから、12500円。普段バイトしている飲食店の時給は800円だから、5時間働けば4000円。そのことをふと考えて少しだけ怯む。なかなか手を差し出さない私をみかねたママが、封筒を半ば強引に手に乗せてくる。ミニーちゃんと目が合った。私は少しだけ震えた。


◇◇


おねえさんいくつ?2万、どう。


いつか言われたことがある。満員電車に乗るのが悪い。ミニスカートを履いているのが悪い。媚びるような顔をしているのが悪い。ノーと言わないのが悪い。

だから、その方程式で言えば、今私がこんな風に不快な声を浴びせられているのは、こんな汚い街を夜中に一人で歩いている自分のせいだ。

2万が高いのか安いのか見当もつかない。今もしも金欠だったらついていくかもしれない。でも今の私には5時間の労働で手に入れた12500円がある。勝ち気な顔をしたミニーちゃんの封筒に入ったお金。だから何となくついていかないかなって感じ。私の判断基準なんてそんなもん。モラルもルールも関係がない。そのときに置かれている状況次第。明日のことは考えられない。

ママは優しかった。多歌子さんの代わりにどんな子が現れてどんな働きをしたとしても、ママはきっと5時間分の給料を渡したのだろう。私がどんなにポンコツでも。つかえなくても。多歌子さんの代わり代として、ママは私に12500円を渡した。この12500円に名前や意味を持たせるのは面倒だ。何の温度も価値もないお金を包むミニーちゃんのはりついた笑顔。私みたい。可哀想とも思えないほどしょうもない、私みたい。


◇◇


あやちゃんは、向いてないかもしれないね。


そう、一言言われたかった。一言言われて、もう帰って良いよ、と追い出されて楽になりたかった。店からも、世間からも。お金をもらうことよりも、早く全てから逃げ出して自分を守りたかった。どこに行っても私は私をやめられない。人の代わりでも。

向いていない自覚はあった。お客さんの話は右耳を通って左耳に抜けていく。笑い声は半テンポ遅れるし、笑顔はぎこちない。自分のものではない言葉を、自分のものではないつくられた声で発している。私にかかわる全てがニセモノに見える。薄っぺらい。うわべ。ぶりっこ。人間味がないね。心あるの。表面的。うそくさい。

与えられた言葉の通り私はつくられる。与えられた言葉の通り私は成長した。そういうところばかりがやけに素直だ。

だから、私は、ニセモノで、うわべだけで、うそくさい。それが、私。自分の核なんて、芯なんて、どこにもない。流れて漂って夜の街でもぽつんと浮いている。夜の街も教室も家でも、どこでも同じだ。同化しようとして、同化できない。私は異物だ。

今日もまた、自分の意思のないお金を手に入れた。努力で勝ち取ったものでも、汗水垂らして働いて得たものでもない。多歌子さんの代わりにそこに「居た」ことに対しての、お金。価値のない、お金。


◇◇


おねえさん、こんな時間に何してんの。あそばない?


声をかけてきた男は何人目だろう。愉快だ。誰の代わりも器用にこなすことができない、自分すらも自由に操ることができない私を、「向いていない」私を、見定めた上で引き寄せようとするこんな街がある。必要とされている錯覚に陥っていたのは最初だけで、いまはしっかり分かる。これは、「消費」だ。私を買って消費しようとする人間がいる。一人として代わりはいないなんてただの綺麗事で、一晩の誰かのシフトの穴埋めすらできない私ですら時間だけを埋めることでお金をもらう。代わりだらけの街。代わりだらけの社会。代わりとして生まれてきて、代わりとして生きる私。それすらも上手くできない私。それなのにこうやって誰かの品定めに合格してしまう。ああなんてしょうもない世の中。


あそばないよ。ねえ、ミニーちゃん、かわいいからあげるよ、はい。


愉快になってしまった私は、男にミニーちゃんの封筒を押し付ける。突然渡された封筒の中身を知った男はあっけにとられている。

私は足取り軽く歩きはじめた。

数十秒の出来事だった。私は12500円を失った。価値のない12500円だもの、痛くもかゆくもない。でもきっと、次に、2万、どう?と声をかけられたならば、きっと私はのこのことついていくのだろう。その時のことはその時にならないと分からないけれど。いつだって数メートル先も見えていない私にとっては、未来の不安なんてもんがない。



そういうもんなんだ。ほんと、しょうもない世の中。ぜんぶがしょうもない。まるで私みたいだ。






ゆっくりしていってね