君も星だよ
「自殺予防週間なんだって」
唐突にそれだけ言った人は、ずれたマスクを左指で戻しながら窓の外に目を向けた。電車が揺れる。さっきまでその人が見ていた方に、【9月自殺予防週間】という広告があった。へえ、それだけ答えた自分の声がマスクの中で自分に戻ってきた。最近、思う。生きるってこんな感じだよな。発した声がマスクの中で跳ね返って自分にぶつかるように、知りたくないことでもインターネットで検索すればちゃんとヒットするように、自分で荷物を詰め込んだリュックを背負って重さに耐えられずにひっくり返るように、そんなふうに生きている。息をするのは一人相撲で、生活するだけで滑稽で、結局ひとりが安心で安全だなんて思っちゃって。誰かと一緒にいても自分の人生を歩くのは自分だけなんだなと実感する。
ジサツヨボウシュウカン、と、頭の中で繰り返してみる。お昼に再放送されていたテレビ番組で、半年前までは生きていたタレントが笑っていたのを思い出す。
「人はそんなに簡単に死なないよ」いつか言ったことがある。「でも、人は意外とすぐに死ぬよ」と返された。
「人は案外強いもんだよね」いつか言ったことがある。「でも、強い人ほどある日とつぜんいなくなるよ」と返された。
「死ぬことはあんまりこわくない。でも、痛いのは嫌だ。私はある日すっと消えたい。」散々泣いたあと、すらすらと出てきた言葉が私の本音だったのだと思う。「うん」と頷いたその人は、その時もどこか遠くを見ていた。
目の前の人はどういう気持ちで発したのだろう。「自殺予防週間なんだって」。その人が私に言いたかったことって何なのだろう。その人が発した生の声は、マスクにぶつかってその人自身に戻っていった。その人の言葉だから、その人に戻っていっただけのことだ。
でも、私にもちゃんと届いた。
その人の過去も未来も知らない。私たちはそれぞれ一人相撲をしながら懸命に生きている。それでも、一人相撲をしながら生きる毎日の中で声が交わる。
届く声も、届かない声もある。
支えようだとか、意味になろうだとか、自分が助けてあげないと、だとか。そんな気持ちで生きるのは疲れる。他人のために生きるのは酷く難しくて、思い通りにならない。
電車はまだ目的地につかない。
死なないで、私がいるよ、悩みがあったら話してね、一生支えます、一人で抱え込まないで。その人にかけたい言葉がひとつも見当たらない。その代わりに口をついて出たのは「ねえ、今度コスモスみにいこう」だった。その人は私の方を向いて、いいね、と笑った。一面に広がる花畑、夜空に散らばる星、そういうのが好きだった。その人は目の前に広がる美しい景色を見るたびに言うのだ、「生きるってこういうことだね」って。
その人のリュックには、折れたバットでつくったバットのキーホルダーが揺れている。私は数日前にヒールを修理した黒いパンプスで、ガタンゴトン揺れる電車の中、立っている。こういう日々が意外と好きだ。もう一度あの広告を見た。変わらず【自殺予防週間】の文字がそこにあった。
ゆっくりしていってね