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一瞬でつかまえて

よくもまあこんな毎日を、それなりに健康的に真っ当に生きているものだ。

書類を受け取る時に毎回わざと手に触れてくる人のために仕事を辞めるわけにはいかなくて、月に一度のゴミ出しのために家に引きこもるわけにもいかなくて、憂鬱と手を取り合って進んでゆく。「今が頑張り時だよ」「もう少しの辛抱だよ」を繰り返して、安心は自転車操業でしかないのだと溜め息をついてみる。

ここ数日で、ガラスのコップを二つ割った。割れたガラスはキラキラしていてとても綺麗に見えるけれど、実は相当な凶器だ。こう、なんというか、割れ物が落ちる瞬間って、いつでもスローモーションなんだと改めて思いながら破片を拾い集める。人がコップを割ってしまう時、「自分は割る」と理解しながら割るのだなと知る。割ることを知っていた。大切に扱わないと落ちることを知っていたのに、大切にできなかった。スローで床に落ちて、粉々になって、数秒遅れで「...っあーーー」と間抜けな声を出した。人が人を失う時みたい。分かっているのに止められなくて、抗えなくて、気づいたら壊れてる。透き通っていてかたいものは、実は脆いもの。

タイミング、タイミングと、口酸っぱく言われてきた。今がそのタイミングだ、と、飛び出して手に入れてきた物のことをほとんど覚えていない。後先考えずに走り出してしまうタチで、でもその時の決断を後悔したことはない。目の前に飛んできたものは一瞬で捕まえて、何気ない一言に一瞬で心奪われて。人が変わってゆくように、大切なものだって変わってゆくと自分が知っていれば大丈夫。衝動的で刹那的でも、一瞬の気の迷いでも、それを本物にしちゃえば良いじゃない。そう思いながら選んできた。手に入れる時よりも手離す時の方が少しだけ怖くて痛い。要らないと決断するのには勇気がいる。

炭酸水のペットボトルを開けた時に抜けたプシュッという空気の音が、そろそろ夏だよとせかす。まだまだ、梅雨も明けていないのに。この炭酸水をグラスに注いだら泡が次々に浮かび上がってきて綺麗だったろうなと、割ってしまったグラスのことを思う。ペットボトルにそのまま口をつけて飲みながら、去年は忘れていた同級生のハッピーバースデーのことをふと思い出す。切り開くも風に任せるも、私の選択だと思うの。味方ばかりではないけれど、敵ばかりでもないよ。きっとあなたとなら仲良くできそうだなって予感がしたから。きっとあなたなら、雨上がりの風みたいな色って言えば分かってくれるんじゃないかなって思ったから。いつ消えちゃうかわからないのは、私もあなたも同じだよって、分かりきったことを言うようだけれどこれが実は大事なことなの。よく聞いて、忘れないで、私たちは選べるんだよ。







ゆっくりしていってね