"ととのう"は自分と向き合う時間、という話
サウナのブームは一過性のものかと思っていたのですが案外定着している気がしませんか?実際のところどうなんでしょうか。僕は今も快適なサウナライフを送っております。
さて、サウナの流行の一端を担っていると言っていい言葉「ととのう」ですが、これについては以前から一つ思うところがありました。
この感覚ってサウナ以外でも味わったことがあるよなー
って。
子供の頃に釣りをやっていた時や体育の授業やトレーニングで長距離を走っていた時。あと最近感じたのは知人と連れ立って中禅寺湖へキャンプに行った時のことでした。
このキャンプというのは本格的なものではなく、社員旅行兼ワークショップみたいなものに同行させてもらい、その目的地がキャンプ場だったという感じなのですが、バーベキューやワークショップに明け暮れた翌日の早朝に僕は久しく訪れたことがなかった湖のほとりに立ってみました。
周りにはソロキャンパーらしき方たちのテントが見られ、僕と同じように湖を眺めています。
早朝特有の冷めた空気が身をまとい、時折聴こえてくる鳥の声以外は耳に届かず、目前に広がった水面からは朝靄が立ち上がっています。
その只中にいる自分に気づいたら瞬間の自分と目の前の景色以外の全てがなくなってしまったような感覚(錯覚?)は言葉に形容しがたく、「これか!キャンプの醍醐味はこれを味わうことなのか!」と気付かされたのでした。
そうして流行りのソロキャンにも片足を突っ込みそうになった僕なのですが、そのキャンプでの出来事をきっかけにあることに気がつきました。
それはサウナや釣りやランニングやキャンプに共通する環境と心の動きです。
釣りの時にウキをじっと見つめているとウキに集中するあまりそれ以外のことが意識から飛んでいく不思議なトリップ感を味わうことがあります。
ランニングをしている時も身体的なキツさのあまり、走ること以外に頭が回らなくなる時間がありました。
サウナも同様で熱さと冷たさを繰り返すあまり脳がパニックを起こしてなんだかよく分からない状態に陥ることがあります(この状態がいわゆる"ととのう"だと理解しています)。
そしてキャンプで味わった経験というのは既に書いた通りです。
いずれも自らを特異な環境に置いた結果、それまで自分を取り巻いていた"ノイズ"が取り払われている状態で、その時消去法的に浮き上がってくるのが"自分"という存在です。
自分以外のものがなくなる、あるいは強制的に考えられなくする状態になると人は自然と自分と向き合うようになるのでは??と思いました。
それは人にとって割と貴重な時間で、場合によってそれを快感と受け取る人もいるかもしれません。
また、他の事柄でもこれと近い感覚を呼び覚ます環境というのはあるはずで、それを探してみるのもなかなか面白そうです。(旅とかにありそうじゃないですか?)
ともあれ、サウナの"ととのう"ってなんだろう?を考えた結果、意外な結論にたどり着いた面白いキャンプでの出来事でした。