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#音楽と共に生きるヒトVol.0

人生において影響を受けたヒトが誰しも1人や2人きっといるはず。
その1人、過去が昨日のように蘇るヒトをご紹介します。


プロフィールと出会い

菖蒲谷 徹(ショウブダニ トオル)
鹿児島県出身 B型 1969年6月10日(53歳) 
スタジオミュージシャンと楽曲提供を生業に活動中。(メイン業務は作曲学)

出会いは高校2年の春。僕ら世代的はBOØWYド真ん中であり、当時ギター小僧のカレの奏でる音はいつも我々仲間を高揚させ、仲良くなるのは必然だった。(ちなみに僕は全く弾けない…アコギ持っているのにホント残念でしょうがない)

親父さんとのツーショット
(さかのぼりすぎ?)


遍歴

鹿児島県の中流名門(笑)高校を卒業後、ビッグになる夢と共に単身上京する。
武蔵野音楽学院にて、吉岡靖高氏にジャズギターと作典、初級作曲を師事。
その後、音楽学校メーザーハウスで、板橋文夫氏にピアノ(主に作曲)を師事。
そして、藤允彦氏より作編曲、理論・オーストレーションを師事。

主な活動実績としては、2005年『東京ぽっかり』で音楽を担当。イメージフォーラムにて上映の日活映画音楽を担当。ポルトガル大使館協会主催のアナマリアの絵画展「ポルトガルWeek」で企画から参加、自身のバンド『ギャルソン自転車』として演奏した。神奈川フレール保育園の園歌作曲も手掛け、東京中野のテルプシコールでの舞踏劇公演では音楽担当もこなした。目黒美術館、大桟橋での演奏にも参加し、岡山県津山市の重要文化財でも演奏、岡本太郎芸術祭コンペ作品では音楽を担当した。2021年には文化庁から自身のバンド『忘却エンジン』(いつも間にやらバンド改名してるし…)が支援をもらった。また他にも多くの海外・国内ミュージシャンと交流、多種多様な企画を実現した。2022年に入ると、元エイベックス・エンタテインメント所属The pink'99のシブタヒロユキ氏のソロアルバムでピアノと編曲で参加、全国発売になっている。

いま現在と思い

そんなヤツ(あえてそう呼ぶ)の現在は、東京吉祥寺で奥さんと息子の家族3人で心豊かに暮らしながら、ピアノ・作曲の講師やBarあるいはライヴハウスで演奏をしているらしい。
また、活動の場は東京近郊に止まらず、ちょいちょい地方遠征公演といった日々を過ごすと言い、年間およそ100回程度の演奏をベースにスケジュールを組み立て、その内の地方遠征は年間6回公演のようだ。

同級生だが正直だいぶ丸くなっている印象だ

どの業界も同じだろうが、音楽の世界は学ぶにも仕事にするにも、想像以上にお金が掛かる。

18歳でギタリストの夢と共に上京し、10年に渡って新聞配達奨学生として学校を卒業したとサラッと教えてくれた。とはいえ、仕事にするとなるとその先に、自分の努力だけではどうにもならない現実があったと話してくれた。

「多くを経験した。仲間との別れ、道を諦める者、人間の屑。そして、それに染まらなかった自分の強さにも出会えた。突き進んだ先に芽生えた自信。若い人には少しでも知ってもらえたら嬉しいな。」と取材の最後にボソッと言葉を吐き出した。

話を聞くうち、穏やかな風貌とはギャップがあるものの、カレの中では夢を追いかける者の心得を作り上げたような熱いものを感じた。イマドキ熱さは毛嫌いされがちで、僕ら世代には少しだけやりづらかったする。仕事でもプライベートでも。。。。
カレは若かりし日の言葉とは裏腹に、今ではやり取りすると、謙遜ばかりするいい男である。(元々鹿児島で言うよかにせだったが)それが、歳のせいなのか、親になったからなのかはわからない。(マジマジと聞いたことないから)

冒頭「ビッグになる」夢と共に走り出したと表現したが、すでにカレは「ビッグ」である!
それは「知名度」や「俺か俺以外か」みたいなスケールの問題ではないと思えた。夢を持ち、それに走り、今その道が暮らしと共にある事、それがまさに「ビッグになった証明」だと思う。

(取材・文 / 竹添義雄)

最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。
カレ自身やカレの仕事に興味や関心を持ってもらえたら、なお嬉しいです。

演奏のご依頼や質問はFacebookページより直接お尋ねください。
(連絡先)菖蒲谷徹 facebookページ



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