原口みなみ 伊東市 まとめ
日々の活動の記録と重複するところもあるが、伊東市での滞在のまとめを書く。
今回、私達のプログラムを組んでくださったのは「いとう・すもうPT」という官民共同プロジェクトチームの方々で、主には、山本さんご夫妻、そして菊田さんご夫妻が私達旅人3人を迎え入れてくださった。
彼らが私たちのために汲んでくださったスケジュールの内容としては、
滞在の一週間の中で前半に【共通プログラム】があり、
そして中盤は【選択プログラム(旅人が参加したいものを選べるもの)】、
そして後半は【自由散策】というような流れだった。
それぞれ詳しく書くと、
初日:チェックイン後、オリエンテーションと、いとう・すもうPTのみなさんによる歓迎会
2日目:伊東市になる城ヵ崎資料館併設の「りんがふらんか」、「まなびやステーション」にてアーティストの発表、交流会
3日目:伊東自然歴史案内人の方による伊東市の文化史の授業、ジオパークの見学
4日目:静岡ぐり茶の社長さん市川さんによるお茶会、彫刻家重岡建治先生のアトリエ見学
5.6日:自由散策
というような流れだった。
日程が進むにつれてこのスケジュールがいかによくできているかを本当にしみじみ思い知ることになるのだが、
まず、この初日はいとう・すもうPTを主催される山本さんご夫妻、菊田さんご夫妻にあたたかく迎えられ旅が始まった。
みなさんは、長く東京などで務められた後にこの伊東へ移り住み、そしてこのプロジェクトを(なんとこのコロナを期に)進める"移住者"の立場の方々だ。東京では本当に企業の第一線で活躍されてきた方々で、聞くお話にただただ驚くばかりであった。
初日はこのように関東で育った方が伊東にきた経緯や、彼ら(移住者)が発見・認識している伊東市という姿をまず知ることとなる。
2日目の城ケ崎文化資料館でのアーティスト発表会でも、集まっていらっしゃたのは、関東などからここへ移住してきた方々がメインであった。
あちこちからここへ縁があり、また魅力を感じ移り住んできた"移住者"の方々からみる伊東の豊かさ、またその関東の文化背景を色濃く背負う人々に向けて、私達は作家発表をした。
ちなみに城ヶ崎文化資料館はもともと民芸品などを収集展示している場所だったが、それだと定期的に人の集まる場所にならない、というので、この「りんがふらんか」や「まなびやステーション」などギャラリーやイベントスペースを併設し、この5月にリニューアルしたそうだ。
りんがふらんかの名前は、共通の言語を持たない人が集まる場所での造語、のようなものらしく、文化の場のような意味もあるらしい。私たち旅人含め交流会に来てくださった移住者の方々もさまざまな文化背景の土地からこの伊東に集っていて、ふさわしい名前だなと思った。
この日の夜に、伊豆高原の山から初めて抜けて海沿い(港)に出て、海を見た。今回このアーティスト発表会の企画や発表を手伝ってくださった方の1人、リサさんのオススメのアジフライ定食を食べた。
3日目。昨日までは"移住者"の立場の人々と主にお話しして、移住者の方から見た伊東の視点や暮らしにたくさん触れたが、この日は伊東で生まれ伊東で育った、”地元の人”に出会った。
午前中は伊東自然歴史案内人の高橋さんという方に授業をしていただいて、『人物で紹介する伊東の歴史』、という主軸で伊東にゆかりのある人物、また伊東で活躍した文化人のお話を聞き、一通り伊東市についての歴史をインプットできた。
今回私たち旅人が拠点としている伊豆高原エリアは、別荘と、バブルの名残の私設美術館(秘宝館的な)が立ち並ぶエリアで、完全に整備されきった新しさと美しさを感じる街だ。あとで詳しく聞くと、このエリア一帯はある会社が買い取っている土地であって、ほぼ自治区のようになっているらしい。大学構内のようなイメージだろうか。
またこれは他の旅人の荻野さんとも話していたことだが、伊豆高原のこのエリアではなかなか神社やお寺に出くわさなかった。大阪や京都で育った身としては、神社やお寺が歩いても歩いても見当たらないというのはなんとなく違和感があるのだが、(京都なんかは歩いているとすぐに祠がある)
高橋さんのお話で、そういった古い神社や、文化財のあるエリアについても学ぶことができた。
その後、高橋さんのお話に出てきた神社や古木(クスノキ)などを軽く通った後、午後はジオパークを案内していただく。(やっと伊東の中の古い地域を知れてホッとする)この伊豆半島のでき方のお話や植生のお話を聞きながら海岸線を歩き、柱状岩や溶岩の海岸などを楽しむ。
4日目には、また"地元の人"、市川さんという方に出会う。静岡ぐり茶の社長さんで、もともとのお店はお菓子屋さんだったそう。商工会議所などでも活躍される市川さんからやっとさらに深い"地元の人"のお話を聞くことができた。
今までの様々なイベントについてきてくださっていた山本さん、菊田さんはこの日は不在で、お茶会はケテラー邸というところで行われた。ケテラー邸はもちろん別荘は別荘で立派な住宅ではあるのだが、このあたりは、私達の拠点、そして山本さんがお住まいの伊豆高原のエリアとは街の雰囲気が全く違う。地元の商店街や古いお店や街並みも近くに感じ、普段このあたりには山本さんたち"移住者"の方々は来れないのかもしれないと感じた。
後々お伺いすると、やはり実際そうらしく、介入できない、また介入しなくても生活できる、ということをおっしゃっていた。ネガティブな言葉ではなくてただそうなのだと思う。
ぐり茶とお茶菓子を囲んで話しながら、伊東市の元気のあった頃、また「伊東人」という概念、移住者と地元の人との海溝、そういった話を聞くことができて、本当に貴重な機会だと感じた。(また、「元気のあった頃」「伊東市の文化とはなにを指すか」についてお尋ねすると、「観光が盛んだったころ」「伊豆高原のあたりに建つ美術館やホテル」と答えてらっしゃったのも印象的だった。なぜならそれは"関東"の人の持ち込んで作った観光的なリゾート施設・文化だからだ。)
こういう対話の場がもっとあると良いなあと話していると、お茶会に参加されていた移住者であるレネさんが移住者同士では結構開催している、とおっしゃっていた。そこからまた違うコミュニティ同士が勝手につながったり、ということはあるらしい。"この人は誰々の友達"ということの『実際会ったことのある』パワーはやはりある。
お茶会の後、お昼は年に一度行われるという大室山の山焼きを見学。この山焼きのイベントも、もともとは山に生えているススキを活用していた時代には意味があって行われていたものだが、近年は観光目的で行われているそうだ。
午後は彫刻家重岡先生のアトリエを見学し、彫刻作品が立ち並ぶなぎさ公園へも立ち寄る。重岡先生が若い時代には、アーティストもたくさんこの地におり、先生が主体でアートフェスタも行っていたそうだ。文化人が集まりサロン文化があったという伊東市では、もう若い作家は活動しておらず、アートフェスタも、また数年前まで行われていたそういった集まりも途絶えているそうだ。
伊東市はどうやら"移住者"そして"地元の人"とがあまり重ならず共存している都市なのではないか。決してネガティブな意味だけではなく、それは強みだとも感じる。観光都市として一度は栄えたが、それがなくなった今、この重ならない二つの層が同じことを問題だと感じ町おこしをしようとしていて、そこに"旅人"の私たちが存在している、という図になっている。
伊東市、もといジオパーク・伊豆半島は、3つのプレートが重なる世界でも珍しい地形だ。2つのプレートがかさなる本州へ、海底から迫り上がってきた火山のプレートがぶつかってできているという成り立ちがある。そして火山が噴火し、流れ出た溶岩が伊豆高原の大地を形作っている。
伊東市の"地元の人"、"移住者"の、重ならずしかし対立もせず独立共存しているところへ、私たち"旅人(作家)"が訪れる、なんだか伊豆半島のでき方と、今起こっていることが似ているような気がした。
まさに今回の静岡アートワーケーションは"旅人"の私たちを"ホスト"の方々が"地域の人々"に繋いでくれるプログラムである。このシステムは本当にありがたく、1人だけで誰も知らない土地では入っていけない、出会えない人との繋がりを今回いとう・すもうPTの方にはたくさんセッティングしていただいた。
またこの日から市議会議員の杉本さんのご厚意で、宿泊拠点を伊豆高原から富戸へと移した。
5日目の朝は急遽(重岡先生の弟の奥さま)重岡秀子さん(市議会議員さん)にインタビューを受けることとなった。
伊東市の実際の資金面の問題などお話、観光に頼りすぎていた背景、このコロナ禍で直面している問題などを伺いながら、我々作家が今日までに感じた伊東市の持っている可能性などをお話し、この"移住者""地元の人""旅人(作家)"がぶつかるからこそできること(アートフェスタやアーティスト・イン・レジデンス)があるのではないか、というようなお話になった。
伊東市は上記でも述べたように、重ならない2つの層"移住者"、"地元の人"が住む街であり、その場をつなぐためにも第三者の"旅人(作家)"が必要であると感じる。
どちら側にもつかず、またどちら側の視点も持ち合わせているからだ。 旧天城トンネルができるまで、南伊豆と中伊豆が完全にそれぞれの生活圏だけで暮らせていたのと同様のことが地元の人と移住者の方々が住む地域で今も起きていて、そのトンネルのような役目が第三者である旅人(作家)であるのではないか。
何か外に飛び出す時にカメラ1つ持っていく、スケッチブック1つ持っていくだけで「写真を撮る人だな」「絵を描く人だな」と外の人々は受け入れてくれることがある。カメラやスケッチブックというのが知らない人同士をつなぐクッションになってくれる。アートにはそういう柔らかく人をつなげられる側面があるとよく感じる。
その武器そのものにアーティストはなれる側面があって、アーティストがそこにおりアートフェスタであるとか、ワークショップ、またはもっと意味や目的のない対話の場、レジデンス、イベントなど行えば、自然にそこにはアーティストたちだけでなく"移住者"の方も"地元の人"たちも集まれて、そこに人の流れが生まれていくのではないか。
"移住者"の方々は、伊東市にウェルビーイングを求めて来ている、というようなことを山本さんはおっしゃっていた。自分が飲む水が、山から湧いてきた、どこから来たかわかるという感覚は、都会では感じられなかった嬉しさだと話してらっしゃった。山本さんのおうちの裏には畑があり、蜜蜂の巣箱もある。同じように菊田さんご夫妻は天城山で問題になっている鹿を狩猟しジビエ肉に加工して販売などされていて、はじめの歓迎会でも、こういった地元の海の幸や山の幸でもてなしていただいた。
次に"地元の人"、若者が結局「地元にはやりたい仕事がない」と言って都会に出てしまう、と市川さんがおっしゃっていたが、逆にこの土地で「都会にない仕事」ができれば、それは伊東観光に代わる新しい事業にならないか。都会にない仕事というのは山本さんがおっしゃるウェルビーイングのお話とも繋がる気がする。そしてまた重岡秀子さん、また菊田さんご夫妻、まなびやステーションの薄羽さんなどが考えてらっしゃる、この豊かな大地と自然の中で勉学だけでない「生きる力」を育てる『こども教育』ともつながるように思う。
そこで今回のマイクロアートワーケーションが、ただ一回限りのイベントではなく、次に繋がるアートフェスタやレジデンスにならないか?と考える。このイベントを移住者の方々が支えられる面、そして地元の人が支えられる面はそれぞれ違い、(それこそ重ならず個々に独立し)それがあるから叶う面が多くあるように感じる。
もともとは多くの文豪も訪れてサロン文化のあった土地であることも、重岡先生が開催していたアートフェスタなどの流れにももう一度接続できる。
アーティストがこの"移住者"側から、"地元の人"側からの視点と協力補助で伊東に訪れ、活動をすることが出来れば、一つの事業としてもちろん成立もするし、また作家活動として制作や取材しにくるだけでなく、子ども世代へも協力できれば、これからの世代、今の世代、そしてその上の世代と、3世代、また立場のちがう3者がうまく循環していけるのではないかと考える。
伊東市は関東からも近く、いきなり移住!とまではいかなくても、このようなアートフェスタを年に1回、またレジデンスを行えば、そのたびに人の動きが増え、交流が増え、そしてこの関東から近いという立地も含めて、そしたら週に1回でも子ども教育に来れる、というアーティストや、また逆にここに住んで、リモートワークをしながらたまに仕事で関東へ出る、という働き方も容易に想像できる。
伊東市はその大地のでき方も立地も、海も山もあることも、今まだまだ土地に余剰のあることも含めて、全てが何かここでできる可能性があるように思う。
1-4日目まではほぼ同じ行動をして、毎晩しっかり寝るまで対話を重ねた作家の私たちも、5.6日は自由行動、(あるいは帰郷し、延泊し、)それぞれ今までインプットした伊東市の文化歴史や、移住者からみた伊東市、地元の方からみた伊東市の視点を持ちながら散策をした。
私は5日目は静岡を拠点とするアーティストの元を訪れ、お話を伺うなどした。同世代作家の動きや、(とにかく静岡は広い)発表の場、ほか文化的な施設などなど。今回のアートワーケーションの話もした。
また、今後の私たちアーティスト3人の動きとして、VR座談会(?)を予定している。
参加作家である設楽さんのVR絵画(VRゴーグル)を全員が体験したことをきっかけに、全員で今後もVR空間で対話やイベントを行っていこうという話になった。これを書いている明日にはそのVRゴーグルが私の元にも届き、3人で話せる予定である。
まだまだ書ききれないことも多いが、伊東市は知れば知るほど可能性を秘めていて、なにより、この3つのぶつかる大地のように、さまざまな立場の人が個々に独立して共存していることも特殊で魅力であると考える。
また、こんどはアートフェスタ参加作家として伊東へ訪れたい。
原口みなみ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?