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戸塚愛美「旅人と富士山」(滞在7日目)


富士山をけなす、ということができるのだろうか、と、ふと浮かぶ。
三島スカイウォークに来た。最終日にようやく旅人らしくなる。ただ、富士山をながめるために来た。

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なるほど、うわあ、となる。でかい。きれい。天気良い。
関東平野で山の稜線が非常に遠くに見えるところに住んでいるわたしは、山が近くに迫るだけで「遠くに来たな」と感じる。

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慣れ、というのは不思議だ。無論ぼんやり富士山を見るために、なかばずるずるとからだを引きずりながら眺望の良いところまで来たのだが、山の美しさ、絶景、澄んだ空気、お天気の良さ、あらゆる素晴らしさを前に、その素晴らしさをよく理解できた気がしてしまい、というかその場の富士山の構図、絵に、慣れた。逆にいうと慣れるほどいた。ただ、そこにある、という姿勢があまりにも雄弁で、何も言えなくなった。

富士山を見ていると、やりたいことが次々浮かんで、それは小さなことや生活の具体的なことも含むけれども、ふと思い出してしまう。富士山は、そういう、ふっとしたものを思い出させる、鏡のような存在とも感じられた。うずうずしたのである。ぼんやり、している場合ではない!

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「三島」のワードもチラリと出てくる太宰治の「富嶽百景」を引きたい。

広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士をさえ描いている。(太宰治『富嶽百景』「筑摩現代文学大系 59 太宰治集」筑摩書房、1975年9月20日初版第1刷発行、冒頭より引用。)

ところで三島の街角では、時折、富士山が見える。関東平野暮らしのわたしは、三島は四方八方から富士山が常に望め、その偉大な存在を常に意識しながら暮らしているのだとさえ思っていた。実際は、時折、見えるのである。常にではない。ちなみに地元の方から教えてもらい、「富士山は北」という日常の使い方を覚えた。

建物と建物の間にぽとり、と富士山。

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ここからも

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ここからも

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ホストの山森さんとも共感した「富士山は、たまに見えると、そのありがたみがわかるね」。何事もほどほど、ということだろうか。

ちなみに太宰の「富嶽百景」で、三島に触れている箇所は湧水についてだが、街に流れる川はいつも美しい。水面は、光そのものを映し出して、映像作品のようで見飽きない。三島の水の文化については、あまり触れることができなかったが、素晴らしい街の財産と思う。水の流れ、美しい。

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例によって(?)すでに旅立ってしまった旅人・関根愛さんの残り香の巡礼のように、関根さんが訪ねたという、温泉、そして道の駅にも足をのばす。

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道の駅では、あっという間に、月がひかりだす。

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たよりない三日月に照らされる

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夜は拠点で鍋。お世話になったみなさんが集ってくださった。ご当地だしパックでいただく。

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滞在中、幾度となく鍋を囲んだ。みんなで鍋を囲むのが、とてもたのしかった旅だった。そういえばお酒も適度に飲んだ。ほんとうかどうか、出会ったひとたちがむしろ思い出として語ることを願いながら。

旅のおわりと思えばさみしいが、はじまりかもしれないと思えば、また次に向かう。旅から旅へ。

おしまい。

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