秋野 深 「旅のカタチ」【小山町】(5日目)
旅といっても、写真家としての撮影の旅だから、仕事でいく旅の話だ。
個人的には仕事を含む「ラーハ」の時間だと位置づけている。
「ラーハ」という時間の概念については初日のnoteの記事に書かせていただいた。
旅のカタチ、というのは基本的に宿泊や移動手段のことで、旅のスタイルのようなものだと言っていい。
どこに宿泊してどう移動しようと撮影とは別の話のようにも思われるかもしれないが、私には自分の意識の中で結構なウェイトを占めている大切なことだ。
海外と国内で事情が多少は違う。
海外では国によっては外国人の宿泊可能な場所が厳密に指定されていたりすることもあるから、必ずしも望むスタイルで宿泊できたり移動できたりするわけではない場合もある。
ただ、概ねこんな感じだ。
海外では、宿泊はバックパッカー宿。基本的にドミトリー。移動は電車やバスなど公共の交通機関。山奥へ向かう場合など、公共交通機関がない場合は、ドライバーを雇って車を出してもらうしかない。運が良ければヒッチハイク。
これは写真家になる前の、会社員だったころのバックパッカーの旅からあまり変わっていない。というより、ここはあまり変えたくない、と思っている。
最初から専属のドライバーでも雇ってしまえば、公共交通機関を使うより撮影の効率が断然いいのはわかっている。
ただ、どうもそうしたくない自分がいるのだ。
初心を忘れたくない思いもある。ただそれよりも、シンプルにそもそもそういうスタイルが心地よいということなのかもしれない。
国内では、基本的に自分の車で移動して、宿泊はキャンプ場でのテント泊か車中泊をしていることがほとんどだ。
不思議なことに、国内では海外とは逆に効率重視なところがある。
撮影地に近いところに宿泊できた方が、宿泊のためだけに無駄な移動をする必要がなく、結局はそのほうが撮影時間がより多くとれる。
今回のマイクロ・アート・ワーケーションでは、できればいつもの旅のカタチに近い過ごし方をしたいと思っていた。それは、このプロジェクトでは、参加アーティストを「旅人」と定義していたからでもある。
・・・というわけで、小山町での後半3泊はキャンプをすることにした。
おそらく、毎日のこのnoteの執筆が義務付けられていなかったら、全日程6泊キャンプにしたことだろう。
いつものスタイルで、ということ以上に、小山町の自然をできるだけ肌身で感じたい、という思いもあった。
比較的標高が高い小山町の3月下旬。
もちろんまだ日によっては寒い日もあるだろう。
それならそれでよい。どれだけ寒いのか体感できるのだから。
利用したのは「檜の森キャンプ場」。
小山の町中から須走へと向かう道路からは少し奥まったところにあって、名前の通り、木立に囲まれたキャンプ場だ。
今回、いつも通りにキャンプするだけでなく、ひとつ楽しみにしていたことがあった。それは食事の地産地消。
日頃はとにかく時間がなく、キャンプでの食事も本当に簡単に済ませることが多い。
撮影の効率のためにキャンプをしているので、そもそも「キャンプをすること」がメインの目的になることは滅多にないのである。
でも今回は、小山町という自治体をはっきりと意識して滞在するプログラム。
ここは小山町の農産物にこだわってみたい。
小山町のおいしいお米を、小山町が採水地となっているおいしい水で炊いてみる。
炊くとき使うのは、小山町の酸素。
これ、使っている意識はないけれど意外と大事。
ご飯が炊きあがるまでの間、地産地消に思いをはせながらメスティン(ご飯を炊くときに使う箱型の鍋のようなもの)の下の小さな炎の揺らぎをじっと見ていて、思い出したことがある。
それはウズベキスタンで現地の知人に教えてもらった、王様とパン(現地ではナンという)の話。
ウズベキスタンにサマルカンドという首都タシケントに次ぐ第2の都市がある。14-15世紀には広大なティムール帝国の首都として栄えた古都で、日本でいえば京都のような存在の国際観光都市でもある。
このサマルカンドは昔も今も、おいしいパンで有名だ。
分厚い円盤形で、歯ごたえがあって味は濃厚。もちろんアツアツでホカホカの焼きたてがベスト。
かつてサマルカンドを攻め落として街を支配下においた王様がいた。
王は噂に聞いていた有名なサマルカンドの焼きたてパンを今すぐ食べたいと言い出す。
ところが、サマルカンドから連れてこられたパン職人が、王の前でパンを焼いてみたものの、どうもうまくいかない。
「王様、この土地とサマルカンドではパンの大切な原料である小麦が違います。サマルカンドのパンは作れません」
「では、今すぐサマルカンドから小麦をもってこい」
王の命令で早速届いた小麦を使ったが、それでもうまくいかない。
「王様、この土地とサマルカンドでは水が違います」
「では、今すぐサマルカンドから水をもってこい」
水をかえてもうまくいかない。
「王様、おそらく塩の違いが原因のようです」
「では、今すぐサマルカンドから塩を持ってこい」
塩を変えてもやはりうまくいかず、最後にパン職人は王にこう言った。
「王様、ここにはサマルカンドの酸素がありません。サマルカンドの酸素で燃える炎で焼いたパンでなければ、おいしいサマルカンドのパンは作れません。どうぞ王様の力でサマルカンドの酸素をここにもってきてください」
「さすがにそれは無理だ」
王は、ついにその場でパンを作らせることをあきらめ、おいしいパンを求めてサマルカンドへ向かったのだという。
ここから先は私の個人的な解釈だ。
パン職人は、王の前でサマルカンドのパンが再現できないことを最初からわかっていたのではないか。またはそもそも再現する気はなかったのではないか。
パン職人は、自分が住むサマルカンドを攻め落とした王が許せず、ささやかな抵抗を見せたのではないか。
「サマルカンドのパンをなめるな」
「食べたければ自分の足でサマルカンドへ行け」
本当は最初から王にそう言いたかったのではないか。
私の目の前では、小山の米が炊きあがった。
そこにわさび漬けを添えてみる。ほんのりではなくガツンと来るなかなかの刺激で、白いご飯によく合う。
富士山麓の伏流水で美しい水に事欠かない小山町では、わさびも名産だ。
いつも撮影の時は時間的に余裕がないことが多いけれど、職業柄せっかく様々ところへ行くのだから、これまで他の土地でもっとこういうことをしてもよかったかな、と今回つくづく思った。
ご飯もおいしく炊けて、大満足のキャンプ初日の夕食だった。
ただ、そのあとが大変だった・・。
その夜、テントの中の温度計はずっと0度~1度近辺。
-15度くらいまでは対応の寝袋の中で保温性の高い服を着こめるだけ着こんで寒さ対策したものの、さすがに一睡もできなかった。
でもそんな日があってもよい。
希望通り、私は小山町の寒さを体感することができたのだから。
そして、小山の地で、小山の酸素を一晩中たっぷり、体に取り込むことができたのだから。
Jin Akino
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