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秋野 深 「先入観と足かせ ~小山町の景観~ 」【小山町】(2日目)

小山町滞在2日目は、ホストであるWe are Oyamaの方のご案内で、他の旅人アーティストと共に足柄や須走のエリアを訪れた。

そして終了後は、須川という富士山麓を東へと流れる河川沿いの住宅地の中の細い道路やその奥の林道まで、くまなく車を走らせてみた。

この小山町という地域の自然景観の全体像を漠然とイメージする時、「富士山の東麓のなだらかな裾野」という表現が、もっともわかりやすい。
少々強引な説明だけれど、富士山の山頂に立って、大量の水が入った巨大なバケツを真東に向かってひっくり返す。すると水は小山町をゆっくりと広がりながら流れて下っていく。そんな印象だ。

富士山の形は日本人ならばきっと馴染みがあるものだろう。
なだらかに下っていく裾野。
実際に小山町では、わずかに段差のある棚田が延々と続く情景を様々なところで見ることができる。

畦道が急こう配になっているような本格的な階段状の棚田や、視界の彼方までどこまでも平らな平野部の水田と比べてみると、これは小山町の水田地形の大きな特徴だと言える。

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ところが今日、その印象は部分的にではあるけれど、大きく覆されたと言っていい。

小山町の東部を流れる鮎沢川の東に位置する足柄エリアでも、町役場に比較的近いエリアや須川近辺でも、かなりの急勾配な細い道路が入り組んだ場所がいくつもあって、およそ「なだらか」とは言えない、むしろ急峻な地形に何度となく出くわすのである。
住宅街や河川を、大げさではなく崖の上からの角度で見下ろすようなところもあった。

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おそらく、なだらかな傾斜のあるエリアと、こうした急勾配の道が張り巡らされたエリアでは、生活のあり方も自然と違ってくることだろう。
この両極端なタイプの景観の存在が、小山町の自然景観の特徴の1つだということは言えそうだ。

小山町を今回訪れるにあたって、私自身は様々な観察の切り口を持ってのぞんでいたつもりだった。
けれど、小山町での自然を考えるとき、「富士山の東麓」や「富士山の裾野」というイメージから、漠然とではあれ、なだらかな景観の方だけを意識していたことになる。

先入観に他ならない。

この「先入観」の存在は、撮影の時でも、何かモノを考える時でも、とにかくやっかいな存在だ。内容によっては先鋭化して「偏見」にもなりかねない。
自分自身で、「それは私の先入観です、偏見です」と自覚できるならまだしも、たいていの場合はそうではない。
なんとなく思っている、というレベルの中にいくらでも潜んでいるタイプのものだ。
だから先入観をもっていたばかりに見逃したもの、気が付かなかったこと、発想できなかったこと・・・それが山ほどあってもそのこと自体を自覚しようがない。

私は自分の中にある、そうした先入観や偏見は、見えない足かせのようなものだと思っている。しかもそれは当の本人が重さを感じていない不思議な足かせだ。
その足かせがあるばかりに、ある方向にしか歩けず、選択肢が狭まっているというのにそれに気が付かない。

私が旅をすることを好むのは、未知の場所を訪れ異文化に触れる旅の時間が、この自分の中の無意識の先入観や偏見を自覚しやすい時間になるからだ。
私にとって、旅の一番の価値はそこにあると言っていい。

そんな堅苦しいことを考えていたら旅が楽しくない、と言われてしまうかもしれない。

でも、それほど楽しい体験はない。

自分の中の先入観や偏見を、痛快な思いで取り崩すことができるのだから。
いつの間にか足元についてしまっていて、それによって行く先が限られていたにも関わらず全く気づいていなかった足かせを、少なくとも1つ、確かに自分で外すことができるのだから。


Jin Akino
https://www.jinakino.com

【小山町1日目】 「ワークとバケーションとラーハ」
【小山町2日目】   「先入観と足かせ ~小山町の景観~ 」
【小山町3日目】 「潤いと衝突 -前編-」
【小山町3日目】 「潤いと衝突 -後編-」
【小山町4日目】 「巨大なナンバーワンに抗えるか」
【小山町5日目】 「旅のカタチ」
【小山町6日目】 「旅人アーティスト達の葛藤」
【小山町7日目最終日】 「曖昧な、大胆な、でも確かな期待」
【まとめ】 「その瞬間、その場所にいたいので」



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