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雑記:夏の逍遥

 人差し指を突き上げたなら、そのまま夏色を穿てそうな青天だ。こんなに天気の良い日は散歩がしたくなる。

 今日着る服や傘の携帯、出かける時間を空の目視で決めるわたしに、気象予報士は必要ない。「東京都心は今年1番の暑さです」など、どうせひと月もしないうちに更新されるに決まってる。

 道路に出るとこれぞ梅雨明け、ようやく夏の気温が街に熟れていた。涼しい場所から出た瞬間の “もわっ” としているあの感じ、あれを好きだと思える仲間はほかに何人いるだろう。
 夏が「ようこそ私の中へ」と迎えてくれるような気がして、毎年クセになっている。部屋が暑いのは好きじゃないけど、夏特有の外の暑さはそれほど苦じゃない。

 しかし、まだまだ考えることは山ほどある。

『アイツに会いたい?』

 そう尋ねられ、「別に」と言いたくなくかったわたしはわざと言葉をごまかした。
 ついこの前まで漂っていた雨の香にも「ペトリコール」と立派な名前がついているのに、“アイツに会いたい” 気持ちにはまだ仮初めの名もつけていない。

 甘い惰性だ。夏空の下、咥えたアイスの端がだんだん溶けているのに気づかないままいられるような。
 線香花火の灯かもしれない。間もなく消えると分かっているけど、今綺麗なら明日には消えていたって良いよ、みたいな気持ち。

 夏の中でも、少し彩度を落としたそういう部分が好きだ。彩度の不足は情趣をつくる。情趣は叙情をあざやかにする。

 ふと視線を上に向ければ、射した光がまぶしいせいで、黒い電線を飛行機雲かと見違えた。
 幻ならばそれで良い。夏の陽射しに、夏の気温に、名前を持たない虚像のまんまで朽ちゆく果実があったとしても。若者はみな、その現象を「夏のせいだ」と呼称する。

 7月18日、逍遥の記録。


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