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過ぎゆく時間の中で

今年、吉高由里子さんが大河ドラマの主演をするということで、実家のTVから流れてくる宣伝番組に耳を傾けていると、吉高さんが朝ドラ主演を務めたのが10年前だという。2014年である。2014年が10年前なんて信じられるか?私は5年前くらいの感覚だ。おいてけぼりを喰らっている気持ちだ。

2024年になったらしいけれど、この年末年始は色々なことがあり、気持ちがあっちに行ったりこっちに行ったり大忙しだ。フワフワしている。

年末にはnagoriteのライブがあり、京都まで行ってきた。大学時代に京都で出会った仲間たちと、再び京都へ一緒に向かうというのは何とも不思議な気持ちだった。
個人的にはついこの間まで関西に住んでいたり、大学卒業後から今まであちこちへ引っ越したりしている為、正直京都という土地自体への感慨深さはなかった。どうやら移動に慣れきってしまったみたいで、どこに居ても平然としていられるようになってしまった。そんな自分がとてもつまらない人間に思えた。
だけど、やっぱり仲間と来られたのは嬉しかったし、楽しかった。楽しんでしまった。山科から京都市街に抜ける国道一号線の下り坂、車窓から見えた京都タワーはあたたかかった。

恥ずかしながら、ライブハウスでのライブには数えるほどしか行ったことがない。バンドに関わる者として非常に恥ずかしい話しだが、今回のライブで他のバンドのパフォーマンスも拝見し、刺激をもらったし、知らなかったことを教えてもらえたりしてとても勉強になった。
自分はこういうパフォーマンスや演奏に心惹かれるのかと、発見もあった。高校生バンドはあまりにカッコ良くて他の演奏も聴いてみたくなったし、ラッパーの方の楽曲には前職を想起させる歌詞があり、パフォーマンスを観ながら内省してしまい、やるせなさと称賛が入り混じって涙が溢れてきてしまった。

nagoriteの出番前、何故か私がソワソワしていた。彼らのパフォーマンスがどんなものになるのだろうか。観てくださっている方々はどんなふうに感じるだろうか。
幕が上がりnagoriteが登場すると、いつも見ているはずの彼らが暗がりの中で独特の集中と緊張感を纏い、一気に客席が惹き込まれていくのがわかった。暗闇の中ぽつりと照らされた灯りの中でボーカルの詩音くんが静かに、しかし熱を帯びた声で詩を紡ぎ出す。ドラムが鳴り出すと一気に照明が明るくなり、4人が確かにそこに居る。

それからのことは、言葉にするのも惜しいほどだった。私は心揺さぶられ、誰かが笑えば目頭が熱くなりながらも幸せな気持ちになった。言葉は切実で、そこには躍動があり、生き様があった。

私はスタッフとしてはあるまじきことだと思うのだが、いちファンとして「良かった」と噛み締めることしかできなかった。本当なら、これを誰かに伝えるべく上手いこと言葉だったり他の手段で発信する術を身につけたいところなのだけど、本当にどうしたらいいのかわからない。彼らの代弁なんて出来るはずもなく、私の言葉なんてのは陳腐であり、もう観て、聴いて、感じてもらうしか術がない。どうしたらいいのか。誰か教えてくれ。

この瞬間に向けて彼らは魂を燃やしていたのだ、とある意味現実を見せてもらったような気もした。チームとして同じところに向かっていたつもりでいたけど、なんだか私はこの瞬間を想像せずに準備してきたのだなぁと思い知らされた。心構えが出来ていなかったものだから、情報処理能力が追いつかなかった。

ただnagoriteのパフォーマンスを観て私はとてもワクワクヒリヒリしていた。大学時代、映画制作が最高に楽しかったのを思い出していた。まだこの人生の中でワクワクできるものなんだな、今わたし生きてるな、という実感が湧いた。それもこれも仲間の力であり、相変わらず私はこの人たちに引っ張ってもらって生きているなぁと思うのだった。それはとても幸せなことなのだ。とても大切な人たちです。


ライブの夜には京都駅前から夜行バスに乗り込み、翌朝8時にはJR東海から「今年はどんな一年だったでしょうか?」と囁かれながら熱海駅に吸い込まれていった。その優しい囁きに泣きそうになった。鈍行を乗り継ぎながら夕方には実家に居た。その距離約660㎞である。肉体だけはその距離を24時間以内にしっかり移動していた。不思議だ。しっかり実家に身体が存在している。
だけど大晦日?そんなの聞いてないぜぇ。12月は仕事もバタバタしていて、気が付いたら仕事納めになっていたし、ライブも終わっていた。
場所の移動には慣れたみたいだが、時間の流れにはどうにもついていけていない。


そして気づくと新しい一年がまた始まるというではないか。家族が見たいということで海に初日の出を拝みに行った。
だけどその日の夕方には辛い知らせが飛び込んできて、もうどうにもこうにも気持ちのやり場がわからなくなってしまった。頼むからみんな無事でいてくれ‥‥と祈ることしかできなかった。

最近職場の同郷の方たちと13年前の震災について話すことがあった。どこか遠い国の出来事かのように思われてしまうことに当時怒っていた気持ちとか、一方でそれは仕方のないことだし自分だって同じだよなと今は思うとか、同郷であっても経験したことは別物だねとか、そんな話しを肯定も否定もせずにしていた。

あの時のこと、私は教訓にできていないし、誰か違う人の人生に起きた出来事、みたいな感覚もある。あの出来事は私にとって何だったのだろう。昨年の3月にこのnoteでも震災について振り返ってみたけど、それでもやっぱりよくわからない。

何が言いたいわけではないのです。こうやって筆を執ることに躊躇いもあったけれど、辛い苦しい思いをされている方、大変な思いをされている方が一日でも早く穏やかな環境に身を置けるようになり、心も身体も癒えていきますように。
私は何もできない人間だけれども、出来る限りの力を尽くして、手を差し伸べ、寄り添える人でありたいと思う。


気付けば仕事も始まってしまった。仕事が始まる前は、自分を"お仕事モード"に切り替えるのが億劫で辛いなぁという気持ちだったけれど、いざ始まってしまうとslackを爆速で返すべくパチパチとキーボードを叩き、営業トーンで電話に出て、12時間くらいパソコンに向かっていた。
この"お仕事モード"というのは、丁寧にコミュニケーションを取ったり、誰かの気持ちを慮ったり、言葉にならない何かを掬い取ったりするところからは距離があると思う。何せ時間が無い。時と場合によるけれど、仕事をスムーズに進めることの方が優先される。そんなことにもとっくの昔に慣れてしまっていたし、年始初日の仕事を終える頃にはそのモードの自分にすぐ戻れてしまった。

そういうモードのまま、他のコミュニティに行くと誤った行動をとってしまうこともある。人というのは身を置く場所の割合で構成されているのだなと感じる。

興奮する自分と、そういう時に猪突猛進になってしまう自分とを飼い慣らすことがとても難しく、そんな自分の特性をすっかり忘れて間違ってしまうこともしょっちゅうで、その度に誰かに迷惑をかけ、時には傷つけてしまっているかもしれない。

新しい一年が始まろうと、ひとつ歳を重ねようと、何も大きな変化はない。だけど、ただ良い人間になっていきたいと、それは折に触れて思っている。それは所謂「良い人」ということではない。
誤ってしまう己に向き合い、クソマジメに生きていきたい。今年はどんなふうになっていけるだろうか。
どうか誰かの大切な人が、生きていてくれますように、幸せを実感して生きていけますように。それを願って、私は私の出来得る地道な行動をしていくしかない。


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