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公正世界仮説 ~残業するかどうかは個人の自由~

ぼくら教員は定時後の勤務について、法的に「自主的残業」として扱われています。つまり、「やらなくてもいいし、やってもいいよ。ただし、自主的にやってるわけだから残業代とかはでないよ」ということです。
でも一部の先生方は「そうは言っても、実際にはやらないと回らないでしょ。それなのに、なんで残業代が出ないんだ。きちんと労働基準法を適用して残業代を払うべきだ」と文句を垂れ流している様子を、SNS等で何度も目にしてきました。今日は、そんな先生方が陥っているマインドセットについてのお話です。

みなさんは、地道に努力することでいつか努力が報われると思いますか?
多くの人がYesと答えるのではないでしょうか。子どもたちにもその論理から「頑張って勉強しなさい」と言ったことのある方も多いと思います。
社会心理学では、このように努力が報われるという世界観を『公正世界仮説』と呼びます。この世界観によって短期的なモチベーションにつながるのは良いことかもしれません。しかし、これが行き過ぎると「こんなに頑張っているのに、なんで評価してくれないんだ」と組織を逆恨みするマインドに陥ってしまうことがあります。

教員の世界でも同じことが言えます。定時後の自主的残業を一生懸命行っているにも関わらず、それが正当に評価されない(=残業代が支払われない等)ことが許せない、と考える先生方は一定数います。しかし、そもそも自主的残業を評価するような法的な枠組みがないですし、その努力がほんとに成果につながっているかを検証することもほとんどしません。教育の効果が数値化しづらいという側面は確かにあるのですが、努力量と成果が伴っていなければ、評価しようもないですよね。にも拘わらず、単純に「たくさん働いたから給料増やせ」は、論理的にも法律的にも、ぼくは歪んでいるんじゃないかと思うわけです。

ちなみに、前述した『公正世界仮説』は、あまたの研究によって否定されてきました。簡単に言えば「努力しても報われないことも多いよね」ということです。でもこれは、冷静に考えてみれば当たり前です。イチローが1万時間練習(=努力)していたとして、じゃあ誰でもイチローと同じように1万時間練習したらメジャーリーガーになれるかといったら、そんなわけありませんよね。

定時後の業務をすべて自主的残業扱いしている現行法の中では、『勤務時間内』での働き方が評価の対象です。その意味では、定時後の残業をするのは自由ですが、そこに対して「評価してよ」とか「給料増やしてよ」は法的に間違っています。本気でそう思っている先生は、公正世界仮説に囚われているのです。なので、裁判などしても100%負けます。もし争点があるとしたら、それは残業を命令下かどうか、の有無になるでしょう。命令が出ていたら、それは自主的ではないと判断できるからです。
※ただし、そもそもこの法律自体が間違っているんじゃないか、という諭もありますが、ここでは詳細は割愛します。あくまでも現行法の中で、という話です。

教員の働き方を規定しているのは『給特法』というものですが、ぼくら教員はその法律を最大限活用すべきです。つまり、法律で「残業しなくてもいいよ」となっているんだから、やることは「残業しない」の一択です。ほんとです。これは、法律の問題でも行政の問題でも学校の問題でもありません。残業によって苦しんでいる先生がやることは「定時になったら帰る」ということだけです。繰り返しますが、それは法律によって保障されていることなのです。

ここまで言ってもなお、「そうは言っても、、、」と思われる方もいるでしょう。その場合は、ぜひご連絡ください。現在、ぼくは『定時退勤がちサロン』というオンラインサロンで、全国の先生方の働き方をサポートするコミュニティを運営しております。そこでは、業務改善の方法や資料・データの共有、個別のご相談も受け付けております。必ずお役に立てる情報を提供できると思います。
応援しています。最後まで読んでいただき、ありがとうございました(^^)/

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