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意味は後から見えてくる。学ぶことは生きることそのもの。

やりたいこと、モチベーションももちろん大事ですけど、そうともかぎらないんじゃないのかの話を入試の前日にしてみます。

今日は3月3日。…3が並ぶとなんだかアホになってしまいそうですね。(ふるっ)

ちょっと疲れてるんで、アホになりたくなりました…

花粉症にやられつつ、ちょっと忙しくしてたら、さっそく週一でnoteを書くぞの約束は破られました。人生、常に締め切り切れです(すいません、ほんといろいろすいません。)

ホントは別のことを書こうと下書きがあったんですけど、明日が宮城県の高校入試の日なので、ちょっと思うことを。

当地方(宮城県気仙沼市のエリア)の高校は、少子化の影響で、定員割れが続出しています。長らく子どもたちを支配していた「受験のために勉強しなくちゃいけない」という、邪魔なプレッシャーがだいぶ薄れたのは悪くないことだなと思っています。

一方で、中学までの学習内容も未習熟のままで、高校での学習内容についていけずに、困っている子たちも少なくないようです。できない・わからない→つまらないのループですよね。わたしもそんな高校生でした。(どやっ)

すると、「やらされる学習」だと、つまらないし、モチベーション(やる気)がでないだろうから、より「自分がやりたいこと」、「主体的な学び」やらの、「創造的な学び」を!といった話になります。

そういう学びももちろん大事だなとは思うんですね。そもそも、「有用性」を感じて、人は学び、好奇心に触れ、自分の世界を広げていくわけですから。

でもね、

誰もがそういう学びにフィットするわけじゃなくてもいいんじゃないかとか思うんです。

あるいは「有用性の過剰(役に立たなきゃいけない)」のためか、地域のためにとか、それってほんとに自分の言葉なのか?大人が望む言葉を言ってるだけなんじゃないのか?ってケースもよく出会うし…。

というか、実際のところ、学びのプロセスは人それぞれなので、多様性や有用性や、創造性を謳いながら、”全員を”そういう課題解決型の学びとかにあてはめていこうっていうのは、それこそ多様性っていうところで矛盾してないかなと思うわけです。

子どもたちの成長のペースも、ひとり一人もキャラクターも、全然違うので、

ある子は、自分や人の役に立ちたい(有用性)を感じながら学ぶことに意義を感じる子であっても、

別の子は、とにかく、目の前の課題を解きたいっていう、有用性を越えて、より内発的な学びであったりもするし、

あるいは、今現在は、全然、勉強なんかしたくなくて、「やらされて」しょーがないからやるかって子もいるわけです。

それぞれが、それぞれの想いを抱えて、でも、学び続けると、

ひとは変わっていく。

意味が後から見えてくる子もいて、

そもそも、できなくてつまんない学びになってる子たちに、

学びなおし(いわゆるひとつのリカレント教育)とかあるだけで、だいぶ違うんじゃないかなと思うんですね。

何かができるようになることによって、モチベーションが後からわいてくる子もいるわけです。

実際、高校生でうちの塾生の子なんかそういう生徒もいるし、高校での学習内容も、そういう子たちへの配慮を感じる授業内容や課題だなと、生徒たちが持ってくる課題から感心したりもします。

だから、僕の場合は、

良い学びを届けるために、

ひとまず、シンプルに、その人が自分のペースで学べる時間をつくるだけでも状況違うんじゃないかな?とか思ったりもするんですよ。

そもそも何かを学ぶこと。

静かに自分と向き合う時間をつくること。

そういう”当たり前の時間”を守ることが難しいのが今ではないでしょうか?

見えない未来のために、あれをしなきゃいけない、これもしなきゃいけないと、忙しい現代だからこそ、静かに学ぶ時間は大事になるかもしれません。

学び続けて、今までできっこないと思ってたことができたときの驚いた顔とか、

次第に、なにやってるのかわかってきて、静かに手ごたえを感じてる様子とか、

ちょっとだけど、どうやらみんなの役に立ってるなとうれしく思い、

こちらが心配しなくても、それぞれが自分らしく生きていて、

真面目な子は、まじめな子の持ち味があり、

落ち着きのない子は、ハイパーな活力があり、

ずるい子は、底知れぬ賢さがあり(笑)、

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みんな、心配が要らない(笑)

そのうえで、余計なお世話だと自覚しながら、つねに、自分が大事だと思う学びの提案をつづけていく…。

まとめ

もちろん、自分のやりたいことを見つけていくこと大事。

ただし、家族や友達ぐらいの”狭い世界”に暮らす子どもたちの”やりたいこと”が、そのまま、その子が”将来やりたいこと”とは限らないし、変わっていって当たり前のこと。(むしろ、あまり変わらないのは、その子の世界が広がってないとか気にかけたい。変わっていいのだと伝えたい)

だから、それぞれの子の、その時のやりたいを大事にしつつ、「やりたくない」の言葉も、そのまま受け取るのではなく、あるいは、すっとぼけながら(笑)、こちらはこちらで学びの提案をしていて、これからもしていきます。

モチベーションも、夢中も大事。夢中につながる基礎学力も大事。

人参とか野菜とかも頑張って食べるみたいに、学びも、最初から好き嫌いし過ぎないチャレンジも大事。(いい学びは、美味しい野菜とかと一緒で、だんだん味がわかってくるし)

そーゆー、白か黒かじゃない学びを提案していきたいです。

多分リアルは、そういう”あいだ”にこそ、豊かさがあると思うから。

”僕は極端が嫌いな人間である。極端は画一化に世の中を押しやるからである。僕は二つの極端のあいだに立って、きわどく平衡をたもちながら、多様な中間の可能性を追いもとめたい。”(なだいなだ 「教育問答」より)

なにはともあれ、明日の試験、案ずるな、受験生。








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