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「学生時代に失敗できる経験を、地域の場で」ミチシロカに託した想い ーー 発起人インタビュー(プロジェクトマネージャー・入交里奈さん)

「ミチシロカ」のnote編集担当です。
いよいよ日本全国で秋本番となり東京も少しずつ紅葉が始まっていますが、北海道では本格的な冬がもうすぐそこ。

10月末に撮影した真狩村から見える羊蹄山。
すでに山頂には雪が。あと1ヶ月もすると雪化粧に衣替えしていきます。

真狩村からみえる羊蹄山(10月26日撮影)

北海道内で地域貢献・地域活性化に寄与する体験型教育プログラムとして2022年夏に初めて開催した「ミチシロカ」。

今回のnoteでは、ミチシロカを立ち上げたメンバーに、プロジェクト立ち上げるに至った自分自身の経験や想いについて語ってもらいました。

プロジェクトマネージャーとして、ミチシロカを立ち上げた発起人である入交 里奈さん。
「私も、学生時代に色々と“失敗”を繰り返してきたからこそ今がある。今の学生にも“失敗できる経験”をしてほしいと思い、ミチシロカを立ち上げたーー」

聞けば聞くほど波乱万丈な人生を送る入交さんが、ミチシロカに込めた想い。彼女の半生を振り返りながら紐解いていきたいと思います。

「まわりから浮いていた」子供時代から感じた、“社会との距離”

入交さんは、三重県伊勢市出身。
「もともとITにはまったく興味なかったし、まさか北海道に移住するとは思わなかった」と笑う。
※ミチシロカを主催・運営する中央コンピューターサービス(以下、CCS)は北海道道東は中標津町に本社があるIT企業

伊勢市で育った彼女は、カトリック系の中高一貫校に進学する。
当時の自分について、本人は追懐する。

幼稚園・小学校の頃から浮いている子どもでした。
幼稚園のお遊戯会では、役決めのとき「主役のクジラをやりたい」と挙手。担任の先生が、「男の子がやるもんだ」と諦めさせようとしていたのをはっきり覚えています。時代ですねぇ(笑)。先生の説得にあっても私は折れなかった。だってやりたいもんはやりたい、って。最後にため息をつきながら説得を諦めた先生の顔を今でも覚えています。

それから、小学校六年生の時、児童会会長に立候補したんです。これも当時は男子がやることが“当たり前”でした。私は、そんなことを全く気にせずに立候補。結局2票差で負けたのですが、後になって当時の担任の先生から「女子で立候補したのは先生の教師人生の中で、おまえだけやった。はっきり言って、演説の内容だったらおまえがダントツに勝っとったぞ。そやから、女子が立候補するとこうなるんやなと、先生も勉強させてもろたわ。ありがとうな」と言われました。
別に「男女差がおかしい!私がそれを変える!」とかそんなことを思っているわけではないんです。やってみたらおもしろそうだと自分が思ったことを、ただやっているだけ。

振り返ってみれば「誰もやってないこと」をやってみたかったのかもしれません。
周りからしたら面倒くさい子どもだったと思います(笑)
私自身の感覚としては、目立ちたいとは決して思ってないんですけど、周りからはめんどくさい目立ちたがりにしか見えなかったでしょうし。
何かをやりたい、やってみたい、やりたいと思ったらもう止まらない(笑)好奇心とエネルギーが身体中に満ちていました。そんなぶっとんだ子どもだったせいか、周りからは受け入れられず、周囲にはなじめず、常に“距離”がありましたーー

気が強いとも少し違う、でも確かに迎合もしないーー。そんな彼女は、中学高校時代にはなかなか周囲には馴染めなかった。

ただ、高校2年生の頃に行ったアメリカ研修で少しずつ他人と合わせることを覚えた。そこから少しずつ社会との“距離”を埋めるために、仮面をかぶっていくようになる。正しかったかどうかはわからない、だけど、それによって友達を受け入れられた感覚があった。
彼女は、その頃から“自己と社会との距離”について考えるようになった。

充実した大学生活の最中、就活でつまずく。就活もままならないまま社会と“断絶”

高校卒業後、早稲田大学第一文学部(現・文学部)へ進学。
カトリック系の高校で、規則やしきたりが厳格であったこと、地元の小さなコミュニティに自分を持て余していたこともあり、一番の都会である東京に行ってみたいという思いだった。

早稲田大学在学時、周りの環境や自由闊達な校風から、自分の中でなにかが弾けたような気がした。
「ここだったらどうやら私を受け入れてもらえそうだ。ぶっ飛んでても大丈夫」周りに合わせようと仮面をかぶった自分を解放し、自分がやりたいことを目一杯やれる環境があった。

当時は、もうはりきり過ぎて、どんどんと歯止めが効かなくなっていきましたね(笑)
実は、大学入学直前に、2泊3日でホームレスの方々に炊き出しや地域の見回りをおこなうボランティアを経験したんです。あの時の経験は、ある意味で今でも私の原点ですね。
その瞬間から、私は「生きること・死ぬこと」「社会と自分」そういったことを深く追究し始めるようになりました。

大学入学後、当時はまだ未成熟だった“終末期医療”・“緩和ケア医療”について研究会をつくり、没頭。研究会では、学生代表として、2年間を通じて、様々な境遇の患者や医療従事者、専門家などに話を聞き、現場を駆け回った。

そんな彼女だが、転機は大学4年の4月に訪れる。就職活動をきっかけに、自信を無くし、体調を崩し始める。

大学入学から3年間張り切りすぎて疲れてしまったのと、「自分が何をしたいのか」って自問したときに答えが見つけられなかった。なんでもやってみたいくせに、いざ「何がやりたいのか」と考えるとわからない。
就職活動を目前にして「自分なんか社会に役に立たない」と思うようになり、将来どうしていいのかわからなくなってしまいました。
周りは就職活動を始めているにも関わらず、私は就職活動から結果的に脱落。

自分に自信がなかった。加えて、社会に出ることに対しての恐怖心。何をどうしていいかわからず、自分は社会の役に立たないと思うようになっていた。

大学は5年までいって、結局就職活動の仕方もわからないまま、そのままずるずるとただ卒業しました。
卒業してからは、実家に帰ったり、塾講師のアルバイトをしたり…。自分の将来を見出すことができず、社会との距離が開く一方で、社会との断絶が起こっていました。

北海道へ移住して見つけた、“社会に役立つ仕事”。

少し環境を変えようと、北海道への移住を決意。妹が北海道内の大学に進学していたこと、母親が将来移住したいと考えていたこともあり、スムーズに北海道への移住が決まった。

ただし移り住むといっても、あくまでも一時的。将来は東京に戻ろうと思っていた。
そのために貯金をしようと仕事を探し始めた。あれだけ学生時代に行動的に様々な活動をしていたにも関わらず、仕事を始めたきっかけは「貯金」というとてもシンプルなものだった。

北海道に移り住んで初めての仕事は搾乳のアルバイトだった。半年間ほど搾乳のアルバイトを続けた。

その後、派遣会社に営業事務の仕事の紹介をしてもらう。
それがCCS(中央コンピューターサービス)であった。

当時は、貯金のためだから別にどんな仕事でもいい、と思っていた。

営業事務として入社しましたが、結局、本性が出て(笑)、営業事務以外の仕事もどんどんやってました。子供のころと変わらず「前例がない」ってキーワードは入交燃え上がりスイッチです(笑)。目の前のことに真剣に取り組み、どうしたらもっと良くなるかを常に考えて仕事に向き合い続けました。
そうして仕事に慣れてくると、入社半年経った頃に「正社員にならないか」と打診され、その話を受けてからもう15年が経過ーー

振り返れば、正社員を打診され、いよいよ腰を据えたタイミングが、彼女の人生にとって明確なターニングポイントとなったのだろう。彼女は中央コンピューターサービスでの仕事をこのように語っている。

これまで小中学校を中心とした教育機関へのITソリューションの導入や、行政向けのシステム、ふるさと納税に関するシステムや企画、それに自治体向けのウェブサイトのディレクションなどの仕事を担当していました。現在は、STEAM教育に関する企画も立ち上げています。
CCSの仕事は、社会や地域に近いこともあり、必然的に自分が関わる仕事が「社会の役に立っている」ことを実感できる場面が多いです。
これって、働くうえで何よりのモチベーションだし、仕事の根幹・本質じゃないかなって私は思ってます。

上昇志向は昔も今も実は全くないんですが、立場が変わるとできることが増えるってことも知りました。立場が増えるとできることが増えて社会の役に立てることを増やせるし、さらに社会をよくしてくれるような人を育てることもできる。
とか言いながら、実は心の中では、今でも自分は社会の役に立っているんだろうかって思ってます。本質的には自信がない。これは、死ぬまでつきまとうんだと思います。

ただ、そんな風に悩むときには、CCSのミッションである「地域の課題・要望を探り解決策を提案。お客様の『うれしい』を届ける。」を振り返り、自分の仕事で体現できているかを確認するようにしています。CCSはたまたまITソリューションを提供していますが、あくまでもITは道具や手段に過ぎず、本質は地域社会の課題を解決することであると考えています。その気持ちは創業時から変わっていない、CCSの原点です。

「地域の課題解決」と「学生が失敗できる経験」から生まれたミチシロカ

CCSでは、道内に限らず、全国の自治体や教育機関に対してさまざまなソリューションを提供している。

CCSは、これまで40年以上にわたり、特に道内の自治体向けのITソリューション提供を通じて地域社会と一緒に歩んできました。私自身も、自治体の皆様とお話しさせていただくと、IT以外の相談事をいただく機会もたくさんあります。特に地域を取り巻く環境は、日本ないし世界における課題の最先端が集まっていると感じます。これからどんどん全国的に人口が減っていき、地域社会からも人口減少が加速していきます。
そういった意味でも、地域で働くことは、日本全体の課題感に寄与できる、ことにほかならず、ここで作り出した価値がそのままほかの地域にも展開できるんです。

また、都会に比べて地域のほうが、お客様との距離が近く、自分が社会に役に立ってる感を認識できるのです。地域には、都会にはない魅力や資源があります。私自身、大学時代に5年ほど東京に住んでから北海道に移り住み、北海道にしかない、魅力を感じながら15年経ちました。北海道が地元ではない私自身だからこそ、北海道を取り巻く課題と魅力を同時に客観的に考えられていたのだと思います。私自身、地域で仕事をすることの可能性を体現している好事例な人材であると自負しています。

同時に、彼女は学生のキャリアについても向き合い始めた。

若いときにやったことって人生の糧になると思うんです。私自身、学生時代はりきり過ぎて体調を悪くしてしまいましたが、あの頃に頑張ってきたこと、あの頃のエネルギーは今の仕事にも生かされているんだと日々思うのです。
そういった、失敗できる経験や機会を学生に提供することが私だからこそできることだと思っています。

「地域の課題解決」と「学生が失敗できる経験」という彼女自身が歩んできた道のりと、CCSが有する地方自治体と教育機関とのリレーションを活かせること。そのようなアイデアから「未来を担う若者」と「地域の活性化を希求する地方自治体」をマッチングする教育サービスは考えられないかと検討し、ついに“ミチシロカ”が生まれた。 

「道・未知(ミチ)を知る」「若者の真っ白(シロ)な未来」「無限に広がる地域(ローカル)の可能性」
そして地域に恩返しを

ミチシロカは、彼女が想いを込めて名付けた。未来を担う大学生が自分自身の「道(=ミチ)を知る」「未知(=ミチ) を知る」きっかけになって欲しい。若者の真っ白(=シロ)な未来、無限に広がる可能性を地域(=ローカル)でこそ見つけて欲しい。そんな想いを込めて付けられた。

ミチシロカに参加する学生のみなさんには、訪れたまちのことをもう一つのふるさとと思ってほしいんです。大学生という人生の中でももっとも多感な時期を過ごした場所は、特別な場所になると思うのです。これからふるさと納税するときに思い出したり、ニュースでその街の名前が出たときにふと思い出す。

自治体の目線でいうと、まちのファンを増やすことができると思います。上っ面の“関係人口”ではなく、よりコアな交流人口、ファンをつくるきっかけとなる取り組みであると考えています。
自分のふるさとを離れるまで、まちの魅力や課題があたりまえになり過ぎて客観視できないと思います。北海道の魅力を、住んでいる人たちがあたりまえにあって気付いていない贅沢なもの、良さを伝えるきっかけをつくれると思います。

そして、北海道という地域は、日本の中でも元気のいい地域だと思います。いわゆる「北海道ブランド」もそうですけど、やはり開拓使のパイオニア精神が根付いた地域だなって。この元気な地域でたくさん学んで育てられた学生たちが、北海道でもそれ以外の地域ででも、活躍の場を見つけて、日本全体の活力の源になってほしい、そんな風に思っています。
ミチシロカは学生と地域、それぞれ未来への道をつくるきっかけとなってほしい。「ミチシロカ」を「ミチシルベ」に。
それが、私に生きる道を与えてくれた、地域への恩返しになれば…そう願ってやみません。


最後にお知らせです

ミチシロカの活動をまとめた冊子を鋭意製作中です。今後の地域活性化や地域連携活動・大学との連携活動などのご参考になる冊子で、ご希望の自治体様・教育機関様等に無料でご送付いたします。
下記の連絡先までご連絡ください。

中央コンピューターサービス株式会社
生涯学習事業部
担当:入交(いりまじり)
電話:050-3614-1115
Mail:michishiloca@ccs1981.jp
URL:https://www.ccs1981.jp/

ミチシロカについてはこちらのnoteをご覧ください。


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