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ちょいちょい書くかもしれない日記(中日)

今週は、週の真ん中に学校がない日があって、とても嬉しい。
今の体調だと、三連勤、四連勤はかなりスタミナ面で厳しいのだ。
それぞれの学校は、ぎっしり詰まったカリキュラムの中でやりくりして間を空けてくれているのだが、全部を合わせると過密スケジュールになってしまう。
私はもともとスケジュール管理が上手なほうではないが、講義に関しては、この時期にこれをやらねばならないという制約が多くて、どうしても9月にいっせいに講義予定が差し込まれる。
こればかりは、何とも対処の仕様がない。
少し遠くの学校からも講義の依頼が来ていたけれど、さすがにお断りした。
独身で、子供がいない私なので、親が授けてくれた知識や経験を、我が子に与えることはできない。
そのままでいたら、いわゆる「貰いっぱなし」というやつだ。
ならば、せめて社会貢献とまではいかずとも、どこかの誰かを教えることで、少しなりとお役に立てたら……と思うし、そうすべきだと思うし、望まれる限りそうしたいとも思っている。
だから報酬の安さには目をつぶってきたところがあったのだが、それはそれで正真正銘の搾取であり、プロフェッショナルの軽視にも繋がるなと感じて、ここ数年は、「この待遇ではお引き受けできません」とハッキリ言うようにしている。
それで切られるならその程度の「望まれ」なので、私でなくてもいいのだ。
毎年、この時期にお世話になる学校は、新しくやってきた偉い人が「なんか申し送りでやけに評判がいいから今年も呼んでみたら、なるほどええわ!」という感じをどストレートに表現してくれるので、こちらもやる気を出しやすい。
なるほど、人たらしの才は天性のものではあろうが、努力と気遣いの積み重ねに裏打ちされてこそだな、と日々痛感している。

本当は遠出したい用事があったが、やはり今日は体力回復の日にあてたほうがいいなと感じて、家にいることにした。
事務的な作業も溜まっている。
父というたったひとりの人間がこの世に散らかし放題にしていったものがあまりにも多すぎて、後片付けがまだまだ終わらない。
身ぎれいにして死ぬ、なんて簡単に人は言うけれど、そう上手くいかないんだろうな。
あと、お向かいさんにもお目にかかりたい。
実家の庭の剪定作業についてお向かいさんに許可を貰わなくてはならないことがあり、お会いしてきちんと説明したいのだが、なかなか叶わない。
そもそもお向かいの家は別荘なので、常にいらっしゃるわけではないのだ。
はっ、ゴミが出ているので滞在中だわ! と探偵のようなことを思いながらインターホンを鳴らしてみるが、いっこうに反応がない。
気持ちはわかる。
私も、明らかに配達だと判断がつかないときは、滅多に応対しなくなった。
宗教も各種営業も政治活動もご近所さんも、すべて同じレベルで嫌である。
うちの町内はあまり住人同士の交流がないので、ご近所さんが来るとなると、楽しい用件である可能性は限りなく低いからだ。
私の用事は別に楽しくはないが、苦しくも悲しくも痛くもないやつなので、2分ほど聞くだけ聞いてほしいのだが、その糸口が掴めない。
今朝は車でバビューンとお出掛けになるところに出くわし、惜しいところでキャッチし損ねてしまった。ぐぬぬ。

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椹野道流
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。