ちょいちょい書くかもしれない日記(供花)
父が死んだとき、お友達の連絡先がまったくわからず(住所録が入っているPCのロック解除も、父の携帯電話のロック解除も、本人が頑としてパスワードを教えなかったので不可能だった)、誰にも連絡できなかったのだが、ただひとり、名字が珍しい父の親友だけは、両親から聞いていた簡略な情報を頼りに、ネット検索で職場を見つけ出して電話することができた。
私も幼い頃から知っている人だ。
バンカラを気取った繊細乙女みたいな性格なのは知っていたし、仕事中なのもわかっていたけれど、とにかく伝えるだけは伝えようと思ったのだ。
でも、本人が電話越しでも私の想像を遥かに超えた茫然自失状態になってしまって、それ以降の勤務をとても心配した。
パニックに陥った夫から、事情を聞いたのだろう。
ほどなく、しっかり者の奥様から連絡が来て、葬儀の前に父の遺体に面会してもらうことができた。
葬儀会社の近所に住む弟夫婦が駆けつけてくれたので、私はそのときお会いしていないのだが、やはりとんでもない憔悴ぶりだったらしい。
父の死は、父の兄たちや友人たちにとっては、大きなショックだったようだ。
何しろ、みずから「憎まれっ子世に憚る」を公言していたし、他人様にはとても人懐っこく憎めない我が儘小僧、みんなの末っ子みたいなところがあったようだから。
みんな、あいつだけは長生きするわ……と思っていたのだ。
くだんのご夫婦は、両親とは大学時代からの付き合いである。
母のことも私のこともとても心配して、施設にいる母の面会にも何度も通ってくださっている。
古いお友達が来ると、昔のことはそれなりに覚えている母なので、とても楽しくお喋りができるようだ。
信じられないくらい変わってしまった母の姿にショックを受ける人が多い中、「何も変わっていないわよ。とっても楽しかった! また行っていいわよね?」と言ってくださるのが、本当にありがたい。
愛が暴走するタイプで、突然やってきた奥様が、「何かしてあげたくて!」と、いちばん大きな鳩サブレーの缶をくれたりもした。
いや、私ひとりぼっちになったって言いましたよね……⁉ と困惑したが、質量が教えてくれる想いというのは確かに存在する。
蓋を開けて大量の鳩たちを見るたび、とても心強く感じた。
ちょうど実家じまいに来ていた業者さんたちに休憩時間のおやつに出したら、みんなとても喜んでいた。
大変だったけれど、どこか学園祭の前夜めいていたあの実家じまいの日々の、大切な思い出のひとつだ。
そのご夫婦が、父の一周忌に会わせて、またしても、それはもう大きなフラワーアレンジメントを送ってくださった。
地獄のようにでかい。そして、重い。
たぶん10キロくらいある。まあ、重さの大半は、水を大量に吸ったオアシスだろうが、それにしても立派なものだ。
本当は、仏壇のある弟宅へ運ぶべきなのだが、あまりにも大きく、あまりにも重く、そして弟宅の仏間にはエアコンがない。
ちと、お花を飾るには過酷な空間であろう。
それに、私が頭を抱えたのは、花の取り合わせだった。
猫には禁忌のでっかい白百合ことカサブランカが、大量に刺さっているのである。
まあ、百合は、菊と並んで供花の代名詞みたいなものだ。何ら不思議はないが、5匹の猫がいる我が家にも、3匹の猫がいる弟宅にも、百合は絶対に置けない。
2輪ほど入っている美しく白いあじさいも、毒性については見解が分かれているようだが、疑わしきは猫に触れさせず、である。
義妹に一応訊ねたが、穏やかに「絶対持ってくんなし」の意思を伝えられた。
ですよね。私だってそう言うわ。
美しいアレンジメントを前にさんざん迷ったが、やはり答えはひとつ。
解体しかない。
せっかく美しく生けてくださったお花屋さんには本当に申し訳ない。
でも、我が家は猫ファーストなのだ。
家にある花を生けられそうな器を総動員して、とりあえず百合とアジサイをまとめ、実家に運んだ。
寝室の、父のベッドがあったあたりに飾る。
物を運び出し、処分したために何もない部屋に、豪勢な花が咲いている光景は、なんだか美しくも寂しかった。
あとの安全そうな花は、我が家の父の写真の前に飾ることにした。
父の、というより、父の遺影の元ネタになった家族写真だ。悪くはなかろう。
こういうときのために、あとひとつふたつ、プレーンな花瓶を用意しておいたほうがいいな、と思った。
それはそうと、高田崇史兄にいただいたマンゴーの種が発芽していた。
昨年、父が活きるの死ぬのとめまぐるしかった頃にも芽を出してくれて、なんだか嬉しかったのを覚えている。
残念ながら上手く育ててやれなかったのだが、今年は頑張りたい。
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。