ちょいちょい書くかもしれない日記(遠征)
慌ただしい遠征でヘトヘトになりつつも、やっぱり出掛けてよきものを見て人と話すのはよいことだな、と実感している。
心の風通しが少しよくなった。
自宅が大好きなので、あまりどこかへ出掛けたいという欲はほぼないが、だからこそ、何かしら用事を作って外出したほうがいいのかもしれない。
出掛けるまでは億劫だし酷く憂鬱だけれど、駅に着くあたりからはちゃんと楽しい。
子供の頃からずっとそうだ。
秋になったら、田中一村の作品たちに再会するために、きっと何度か東京に通う。
10代の多感な頃、ちょうど同年代の早熟の天才たちが世に出て行く姿を見て、これといった夢も目的もないくせに闇雲に焦っていたあの頃に、権威に認められることがすべてではないし、認められたものだけが素晴らしいわけでもないし、でも、魂を込めて創ったものは、いつか誰かの心に届くのだ……ということを教えてくれた田中一村は、ずっと私の光だ。
弟夫婦が奄美大島に住んでいた10年間に、両親は何度か島を訪ね、田中一村記念美術館にも足を運んでいた。
素晴らしいからお前も行け、とよく言われたが、どうしてもその気になれなかった。
暑いから、というのが最大の原因ではあるのだが、それだけではなくて。
一村があの素晴らしい絵を描いた奄美大島の実際の風景を見て、空気を感じてしまったら、それまでと同じ感覚では作品を見られなくなるだろうな、という予感があったからだ。
ふるさとは遠きにありて思うもの、ではないが、見知らぬ土地へのぼんやりした憧れごと、一村の作品を見ていたい。
たまに、その手の変なこだわりが頭をもたげて、「好きでしょう、だったら……」と完全なるご厚意で誘ってくれる人たちを困惑させてしまうことがある。
困った性分である。
今回は24時間にも満たない留守だったが、末っ子猫はけっこう寂しかったらしく、きゅーきゅー鳴きながら「たいへんだった!」と訴えてくる。
長男猫は、別の意味で「大変だった」らしく、お疲れの顔をしていた。
家と家族を守らねば、という意識が普段から強い子なので、たぶんマイペースな猫家族の振るまいにてんてこまいだったのではなかろうか。
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。