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ちょいちょい書くかもしれない日記(三度目の)

この春、三度目の筍が届いた。
不作といわれる年に、なんとも贅沢なことである。
送ってくれたのは、なんと、弟が幼稚園でお世話になった先生だ。
あいつのチャーム、永続性かよ……と、毎度感心するのだが、幼い弟はそれほどまでに、忘れがたく可愛かったらしい。
先生はご実家が「筍山を所有している」という凄いパワーワードをお持ちの方で、毎年、春になると筍を掘りにいき、収穫の何本かを箱に詰めて送ってくださるのだ。
子供の頃、一家でお山にお邪魔し、筍掘りを体験させていただいたが、あれはもう、とてつもなく大変な作業だ。
先生ご自身は、もうかなりのお歳になっているはずなので、実際はお子さんやお孫さんがやってくださっているのかもしれないが、何にせよ、長年にわたって気に掛けていただいてありがたい。
しかしながら。
弟はとっくの昔に結婚して自分の所帯を持っているし、先生と繋がりのある両親も、父は世を去り、母は施設暮らしになった。
家族の中でいちばん先生と縁が薄い私が、ひとり涼しい顔で満喫していいものではない。
とはいえ、現物が来てしまった今年はありがたく頂戴することにして、さっそく下茹でをした。
いつものように、容赦なく皮をむしり、料理に使うサイズにカットし、水を張った鍋に放り込んで、他には何も入れずにグラグラ茹でる。
あくがたくさん出たら一度ゆでこぼして、もう一度、雑に小一時間茹で、いちばん固そうな根元の部分に串が通ったら、火を止めて放っておく。
冷めたら、味噌味に砂糖をガサッと入れた煮汁で、豚肉やコンニャクと共にぐらぐらと炊き、あとはひたすら煮返したら食べるの繰り返しだ。
飽きもせず同じ食べ方で……と呆れられるかもしれないが、筍は種類によって、なんなら山によって味が微妙に違う。
味噌も、あるものを適当に使うので、都度味が変わる。
そもそも味噌炊きは、不思議なもほどに飽きない、安心安全な古なじみの味なのだ。
そうそう、母は筍のお礼に、いつも牛肉を送っていた。お土地柄というやつだ。
私もそうさせてもらおう。
母がどの店のお肉を手配していたか知る由もないのだが、わが町が誇る竹園のお肉なら、間違いはあるまい。
別便で、子細をしたためたお手紙も送らねば。
私は悪筆なので、一太郎で文面を作成した。
大きめの読みやすいフォントで打ち出すのがよかろうと思う。
これまで、両親の知り合いにたくさん手紙を出してきた。
一応、テンプレートを作ってはみたのだが、皆さん、それぞれがお持ちのエピソードを添えたお手紙をくださるので、やはりこちらもそれに対応せねば不誠実というものだろう。
結局、誰に対しても、一からしたためることにしている。
どうしても悲しく寂しい内容になってしまうので、せめてこちらからもお返しで添えたエピソードで、懐かしく、あたたかな気持ちになってもらえるような手紙にしたい……と欲張ってしまい、いつもバカみたいに時間がかかる。
今回はせっかくなので、私が知りうる弟の近況などをざっくり書き添えた。余計なことを言うなと叱られない範囲の、当たり障りのないことばかりだが。
弟が母の主治医の任を立派に果たしたことをお伝えしたら、きっと先生は喜んでくださるだろう。
それが何よりのお礼であるような気がした。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。