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ちょいちょい書くかもしれない日記(フジコ・へミングさん)

多くの人と同じだと思うが、私がフジコさんを知ったのは、例のNHKのドキュメンタリーだった。
何の気なしに見て、めちゃくちゃに衝撃を受けた。
かつて、「調律はプロがやっちゃうんだから、誰が弾いても同じ音が出てつまんない」なんて言いぐさでピアノをやめてしまった不見識な自分をどつき倒したいと思った。
画面の中で鍵盤を叩く人は、その指先にこれまで越えてきたすべてを込めていた。
テレビのスピーカーからの音ですら、それがわかった。
勿論、具体的にいちいち何があったかなんてことはわからない。
でも、美しい旋律は、確かに苦くて重くて骨太で、それでいて力強く温かく愛に満ちていた。
嘘だろ、なんでそんなことに? と絶望に似た驚きがあった。
迷わず、コンサートに足を運んだ。
何としても直接、この人の奏でるピアノを聴かねばならないと思った。
舞台に登場したのは、構造がよくわからないごっちゃりしたドレスや謎の布たちを、まるでミノカサゴみたいに纏ったフジコさんだった。
その時点で、思えば私は既に救われていた。
ずっと、嫌だったのだ。
ピアノの発表会のたびに、小さい頃はやたらヒラヒラした、長じてからは妙に上半身だけ露出度の高いドレスを着て出るのが「礼儀であり、当然」と言われることが。
なんだよ、自分が素敵だと思うもの、極上の装いだと思うものを好きに纏って、人前で演奏していいんじゃないか。
そんなこと? と言われるかもしれないが、そんなことが、私をピアノから遠ざけた一因でもあった。
今だってそうだけれど、二の腕なんて誰にも見せたくなかったのだ。
フジコさんはゆっくりとピアノに近づき、どっこいしょと椅子に座って無造作に両手を鍵盤の上に置くなり、驚くほど太い指で力強い音を響かせた。
テレビで聞いた音どころではなかった。
あんなタフでダイハードなリストを、私はそれまで聴いたことがなかった。
そのとき、千と千尋の湯婆婆みたいに、魂の一部をフジコさんに取り上げられたのだと思う。
以来、地元でコンサートがあれば、何度も通った。
お年のせいもあろう。体調がダイレクトに演奏に反映される人らしく、演奏の良し悪しの振り幅は物凄かった。
本当に、物凄かった。
ああ、今日はあんまり力が漲っていないんだな、とあからさまに感じる日もあったし、驚くほどミスタッチが多い日もあった。
満ち足りて会場を後にする日もあれば、今日は全然乗れなかったな……と疲労感と共に帰途に就くことも、確かにあった。
だから、例の悪評にはムキになって言い返すことはしなかった。
例の悪評。きっと「あーあれ」と思う人もいるだろう。
フジコさんの演奏が好きだというと、ある種の音楽好きは顔をしかめ、あるいは冷ややかな笑みを浮かべて、「上手くないじゃん」「ミス多すぎ。あれは生い立ちドラマで売ってる」なんてことをよく言っていた。
かもねえ、と決まって流すことにしていた。
というか、これを言うと余計に嘲笑されそうで、馬鹿馬鹿しくて取り合わなかったのだけれど、私は美麗な演奏を期待して、フジコさんのコンサートに通っていたのではなかった。
たぶん、心を揺さぶられに行っていたのだと思う。
彼女のぶっきらぼうな言葉に、切れ切れに語られる幼少時の親との関係に、つらいことの多かった若い日に、そして彼女にしか出せない音に。
私は、フジコさんその人を体験しにコンサートに通った。
勝手に叱られ、勝手に励まされた気持ちで、前を向いて歩き続ける力を貰った。

開演前後、ロビーでグッズを大声で売りまくる男前の弟さんとか、コンサートを静かに聴くことを知らず、演奏中にいっぱい音を立てちゃうパイセンたちとか、演奏の合間に盛大にはなをかむフジコさんとか、今日は気分じゃないからと演奏途中でやめて他のを弾き出すところとか、ぶっきらぼうでヤマもオチもないMCとか、突然割り込む黒柳徹子さんのメッセージ動画とか。
思い出すのは色々なこと。
猥雑な、賑やかな、けっこう気が散る要素の多いコンサートだった。
大好きな映画「アマデウス」で見た、庶民向けの劇場ってこんな感じやったんかな……といつも思っていた。
私にとっては、唯一無二の偉大なピアニスト。
猫のために働く偉大な同志パイセン。
どうぞ安らかに。世界はまた少し寂しくなりました。


こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。