ちょいちょい書くかもしれない日記(夢だけど)
いつもは夜明け頃に5匹の猫の誰かに起こされ、朝食を出すのだが、今朝は6時半に自然に目覚めはしたものの酷く身体が重かった。
猫たちも皆、まだ寝ているようだ。
長男猫など、私の腹枕ですよすよと寝息を立てている。
ならばと二度寝を決め込んだところ、夢を見た。
夢なのでどういう設定なのかはさっぱり不明なのだが、とにかく私が旅立つことになっており、まだ元気な頃の母が、「じゃあ、頭を洗って髪を切ってあげる。旅先でそんな長い髪は不便でしょ」と言った。
実に不自然な導入だ。小説の新人賞なら、下読みではねられる奴である。
しかし夢の中の私は「わーい」と素直に喜んでおり、突然登場した美容院の椅子みたいなやつで、母は私の髪を洗ってくれた。
シャンプーの泡の中、私の髪を梳く母の指の感触が妙にリアルで、心から離れない。
さっぱりした髪を、母は濡れたまま、そのへんのハサミで無造作に切った。
どこもかしこもガッタガタだったし、前髪は明らかに切りすぎていたけれど、それは、私が幼稚園児の頃にしていたマッシュルームカットだった。
いつの間にか乾いていた髪に、母は大昔、私が使っていたわんちゃんの髪ゴムをくるくるっと結わえて、「さあ、できた」と笑った。
ありがとう、と言ったところでアラームが鳴り響き、なんだなんだと酷く混乱しながら目を覚ました。
目を開けた瞬間から、嘘みたいに涙が出た。
夢だったのかと認識する前からだ。もしかしたら、夢の中の私も、お礼を言いながら泣いていたのかもしれない。
溢れるような、というのはこういうときに使う表現なんだろう。
何の感情もなく、ただただ涙だけが流れ続け、私は大泣きしたまま猫の朝食の支度をし、トイレ掃除をし、生ゴミをまとめて出した。
何なら猫の爪も切った。
私の状態がどうであろうと、生活は続くのである。
清潔は公衆衛生の太い柱の1本だ。何をおいても守らねばならない。
新入り猫を末猫と一緒に遊ばせる間ですら、ずーっと泣いていた。
新入り猫はどん引きしていたが、すぐに慣れた。わりに大らかな子なのだ。
末猫はちょっと心配して、顎を齧ってくれた。なんでや。
昨年の夏、家族全員が新型コロナに倒れて以来、何もかもが激動の日々で、泣く暇などほぼなかった。
今だって、余裕なんか全然ない。
母のこと、父の後始末、実家のことで手いっぱいだ。
娘なのに、母の心身、母のお金、母のこれからの日々を守りたい一心で動いているのに、色んなところで、仕方ないとはいえ疑いの目を向けられながら奔走することにも正直疲れてしまった。
この1年あまり、両親の代理人として立ち働くことを常に求められ、それをきちんと果たそうとしたら、両親の権利を侵害する悪人ではないかと勘ぐられる。
どうすればいいんだ。弟みたいに「俺はどうでもええから好きにしたって」って放り出してしまえばいいのか。
責任感を持つ者はいくらでも叩いていいとでも思っているのか、彼らは。
「同居、同一世帯でない限り、実の娘さんでも赤の他人とほぼ同じです」
それもまた、母の権利を守るために必要な扱いであるとはわかっている。
でも、投げかけられるそうした言葉や、要求される無体な手続きは、たとえそれが誰にでも言う業務上のフレーズであっても、ただでさえ脆くなってしまった母と娘を結ぶ糸を断ち切ろうとする刃のようで、本当につらいのだ。
いっそ、これが本当に赤の他人なら、どれほどよかったか。
作業と割り切って、もっと淡々と動くことができただろうに。
泣きながら、私はめちゃくちゃ傷ついていたんだなあ、と気づいた。
気づいたところで、どうすることもできないのだが。
今朝の夢は、私の願望だったのだろうか。よくわからない。
泣いても少しもスッキリしない。
1年半のあれこれを、1時間やそこら泣いた程度でウォッシュアウトできるわけがないのだ。
今日は学校なので、赤くなった目を目薬でなんとかして出掛けた。
何があっても、教壇に立てる限り、講義はいつもどおりにやる。
弟さんが亡くなった数時間後、約束していたからと特別講義をパーフェクトにこなしてくださった恩師の横顔を思い出して、せめてその足元に近づきたいと願った。
明日寄越せと言われている短いエッセイも、涼しい顔で書けるだろうか。
母が出てこないやつでよかった。