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外国人研修生からの贈り物

ある時期、私は『先生』と呼ばれていました。

塾や学校で働いていた訳ではありません。
現在も勤務する一般企業での出来事です。

その頃、私の勤務している会社では
人手不足から、インドネシアからの研修生を
受け入れることになりました。
片田舎の、従業員が百人にも満たない会社に
外国の人が入ってくる!
それはとても刺激的な出来事でした。

個人が滞在出来るのは3年間。
ただし、1年経過した時に
技能検定と日本語検定に合格していなければ
その時点で帰国しなければならないと言う
ルールでした。

当時、私は総務部に所属しており、
研修生に日本語を教える仕事を
任されたのです。

文章を書く事は昔から好きでしたが
特別な勉強をした訳ではありません。
第一、インドネシア語はおろか、
英語すらまともに出来ないのに
どうやって教えてあげればいいのか。
不安を募らせる日々でしたが
やがて、第一期生、3人の研修生が
予定通りに入社して来ました。

私はまず、1人一冊のノートを準備して
初めのページの上半分に
私の簡単な自己紹介と家族構成を書き
下半分には同じように研修生の
自己紹介などを書いてもらいました。

何を話せばいいのか皆目見当もつかないので
取り敢えず共通の話題作りのため、
お互いの家族構成を把握する作戦です。

幸いなことに、彼らは派遣元の事業所で
ある程度の日本語を勉強していたので
ゆっくり話せば日本語を理解してくれました。

次のページには
日本での大切なルールとして
『約束した時間を守る事』
『挨拶をする事』
と書きました。

彼らはまだ二十歳そこそこの子がほとんどで
とても素直で勉強熱心でした。
教え方に迷ったり、通常の仕事に追われて、時に日本語教育を疎かにしそうな私を、逆に彼らが励ましてくれるような事もありました。

私は、日本語を試行錯誤しながら教える中で、彼らには日本語を勉強してもらうだけではなく、日本自体を好きになって欲しいと思い始めていました。
研修制度を利用出来るのは1人一回。
もう日本には二度と来ることがないかも
知れません。
でも、日本がいつまでも、懐かしく暖かい場所として、彼らの心の中に残って欲しい、
苦い思い出にはなって欲しくないと思ったのです。


彼らへの日本語教育の時間は 
就業時間内に与えられていた訳では
なく、昼休みなどのわずかな時間に
行いました。
最初の五分くらいは敢えて雑談をします。
その雑談の中で彼らの体調や職場での様子を観察しました。
また、雑談は日本語を使用する実践的な勉強にもなると思いました。

いつしか私は彼らから『先生』と呼ばれるようになっていました。
制度を導入した頃は
私の子供達と同年代の子が研修生として
来日していましたが、やがて子供達よりずっと若い子の世代になり、話題作りにも困るようになっていきました。
しかし彼らはとても無邪気で、私の気持ちとは裏腹にどんどん懐いてくれました。


1人、忘れられない研修生がいます。

とても頭が良く、仕事も出来、研修生の中でも特に真面目な子で、勉強も熱心で毎日のように私の元に勉強しに来てくれました。
ある日、彼から私に対する気持ちが綴られた手紙を渡されたました。

息子のように接していたはずの研修生から
告白され、私は戸惑い、彼を避けるようになってしまいました。
気まずいまま月日が過ぎ、彼が帰国する日が
近づいて来たある日、彼が私に話しかけてきました。
「先生、色々迷惑かけてすみませんでした。」
その瞬間、私に強い後悔の念が押し寄せて来ました。
彼は気持ちを正直に告げただけで、
別に何も望んでいた訳ではないのに、
私から強く拒否され、避けられ戸惑ったに
違いありません。
研修生の子達に、日本を好きになって帰って欲しい、苦い思い出を作って欲しくないと言っていた私自らが、彼に苦い思い出を作ってしまったのです。
当時、私がもう少し考えていれば、年長者としてもっと上手な対応の仕方があったはずです。
私は反射的に
「こちらこそごめんね。」と謝っていました。

彼とのわだかまりは解消され、私は無事に彼を笑顔で送り出す事ができました。
しかし、今思えば、それこそが彼が私にくれた最後の、最高の思いやりと言う贈り物だったのだと思うのです。
帰国してしまえば、彼は私のことなど直ぐに忘れてしまうでしょう。
でも私はこれからも研修生の子に勉強を教え続けるのです。
その時に、私が今まで通りに研修生と接する事ができるよう、私の心に出来た塊を溶かし、笑顔を取り戻させてくれたのだと思います。

10年程中断していた研修生の受け入れですが、
今年から再開する事になりました。
配置転換により、私が日本語教育をする事はなくなりましたが、研修生への思いは変わりません。
彼が私に贈ってくれた思いやりを忘れずに、  これから来る研修生の子達に沢山の笑顔と、
いい思い出を贈りたいと思います。


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