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八百比丘尼は土佐に帰った?謎の石塔と大地震の恐怖

 人魚の肉を食べたことから、不老長寿の体になったという「八百比丘尼」(やおびくに)。全国各地に残る伝説は、高知県須崎市の海辺の町でも語り継がれている。800年も生きた女は諸国を巡った後、懐かしい土佐に帰ったが、生まれた土地は大地震で海に沈んでしまった。須崎市多ノ郷の「賀茂神社」では今も、女が建てたという石塔を見ることができる。


賀茂神社の参道に立つ鳥居

八百比丘尼の石塔

 須崎市上分の国道197号から、市中心部に向かう県道315号。賀茂神社は道路わきに鳥居を置き、田畑を見下ろす山のふもとに本殿を構えている。
 長さ200メートルほどの参道を進むと、境内の一角に八百比丘尼ゆかりの石塔が建っていた。
 12層の石塔は高さ4.3メートル。積み上げられた花崗岩は苔むし、重々しい歴史を感じさせる。建立されたのは鎌倉後期で、県内最古の石造物だという。

神社の本殿に続く階段。左わきに石塔がある。
八百比丘尼が残したと伝えられる石塔

 石塔の案内看板によると、須崎の八百比丘尼となった女は昔、神社の南東にあった「大坊」という土地に生まれた。
 ある日、漁師の網に頭は人間、体は魚の形をした奇怪な生き物がかかり、人々は恐れて近寄ることもできなかった。
  生き物は死んだ後も腐ることがなく、噂を聞いた見物人が後を絶たなくなった。ある漁師が連れてきた幼い女の子は、親が目を離したすきに生き物に近づき、網で傷ついた体をなめた。
 驚いた母親は女の子の口をすすぐなどして大慌てしたが、その子は何事もなく成長し、漁師の家に嫁いだ。
 しかし、女は90歳を過ぎても若々しく、200歳になっても美貌を保っていた。この頃、女は子孫とも疎遠になり、出家して諸国放浪の旅に出発。やっと落ち着いた若狭の国で数百年暮らした。
 やがて八百歳になった女は、土佐に帰ることを決意する。その土産として、故郷に石塔を寄進した。

江戸後期に描かれた人魚のミイラの図

人魚の肉で不老長寿になった 

 「大坊」の海に現れたのは、人魚だった。
 西洋なら美しい女の姿をしていたろうが、日本の人魚は人々が恐怖を感じるほど異形の怪物だった。大人が遠巻きにする中、怖いもの知らずの女の子は好奇心から近づいたのだろう。
 全国各地に残る八百比丘尼の伝説はいずれも、少女が人魚の肉を食べて不老長寿になっというのが物語の柱だ。長生きし過ぎた女は家族や親しい人たちと何度も死に別れ、出家して尼となる。多くの伝説では、若狭の国(現在の福井県小浜市)の寺で入定したとされる。
 不老長寿は昔から人間の夢だが、あまりにも長生きすれば底知れぬ孤独に陥るかもしれない。100年足らず短い人生でさえ、晩年は伴侶も友人も失う。八百比丘尼の物語は、そんな人間の悲しさを伝えている。

静かな須崎湾の漁港。地震が起これば津波が来る

地震で消えた漁師町

 須崎の八百比丘尼は「大坊」で生まれた。伝説で「漁人軒を並べた大繁栄の土地」とされる漁村だが、今はどこにもない。
 須崎市史によると、この土地は昔「大坊千軒」と呼ばれて栄えていたが、天武天皇13(684)年に起きた「白凰地震」で陥没した。
 この地震は南海トラフで起きたと推定される。大坊は地盤沈下で海底に沈んだか、津波の直撃で全滅したのだろう。須崎ではほかにも、地震で壊滅した漁村があったという。
 伝説によれば、八百比丘尼が土佐に戻った時、大坊は既にこの世から姿を消していた。尼は仕方なく、その付近に石塔を建てたが、のちに賀茂神社に移さたという。
 賀茂神社は延喜年間(901-923)、中世の須崎一帯を治めた津野氏の元祖藤原蔵人経高公が、京都の上賀茂神社大明神を勧請して開いたとされる。
 須崎市の八百比丘尼伝説は、1340年も前に発生した大地震と、悲惨な被害に結びついている。そこが、他県の伝説とは大きく違うところだろう。
 

田園地帯にある賀茂神社。海が近く、津波からは逃れられない。

 土佐湾に面した高知県では、南海トラフ地震が起きれば、沿岸の市町に津波が押し寄せる。西部の土佐清水市と黒潮町は最大で高さ34メートル、中部の須崎市も最大25メートルの津波に見舞われると予想されている。 
 八百比丘尼が生まれた「大坊」が本当に存在したか、どうかは分からない。ただ、海の近くで暮らす身としては、津波による土地の消失という恐怖が現実味を持つ。
 須崎市は複雑なリアス式海岸が広がり、地形的には東日本大震災の津波で大きな被害を受けた東北の三陸海岸とよく似ている。
 この海のどこかに、沈んだ漁村があるのだろうか。

白凰地震で漁村が消滅したという須崎市の海。このどこかに、八百比丘尼の故郷があるのか



 
 




 


 




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