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韓氏意拳備忘録 ~主体性~

昨日は韓氏意拳の初級講習。
印象深かった言葉がいくつかあるが、今回は「主体性」。

先生曰く
「体を客観的に観察しないでください。体のつながりが切れてしまいます。」
「客観で観察すると、そこに分離が生まれます」
「注意を体の外に置くと、身体に主体性が生まれます」
「自分はどうあっても自分なので客観で観れません。見ようとするとそこに分離が生まれます」
「存在してください、存在を維持してください」
「主体として存在してください。外部からの刺激にリアクションしないでください。」

小関先生は、毎回違うワードを放り込んでくれるので、とても新鮮で愉しい。僕が体認できるかどうかは別として(笑)

ここでいう「主体性」とは、一般世間でいう「主体的に行動しなさい」などにみられるような「積極的に自分からいきなさい」と言う意味ではなく、
身体が自然に主体となり反応するありようのことを言っている。
頭で体を操作するという分離の運動ではなく(つまり頭主体ではなく)、身体の自然な運動を主体とする「身体ファースト」のことなんだろう。

そもそも「身体は道具」とという認識で長年生きてきているわけで、身体もろとも現象もろとも主体として在るという「全体性」には、そう簡単に認識が切り替わらないから韓氏意拳は難いのである。

どんな状況でも「状態」を切らない、維持する
つまり「未知」の中にある、というのは、このように言葉で概念的に表現するとシンプルだが、実際はそうとうに困難。
この概念まみれ、癖まみれの50代の身心では、無限に韓氏意拳をやり続けて学び続けるしか術はなさそうだなぁ。

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