vol.7 デザインの力で世界を前進させているファーストペンギン〜Goodpatch:土屋尚史さんのはじめの一歩〜
ミチナル新規事業研究所、特派員の若林です。
組織に潜む「ファーストペンギン」が一人でも多く動き出して欲しい!という想いで知恵と勇気を与える記事を定期的にお届けしていきます。
第7号の記事では無料のニュースアプリ「グノシー」のUIデザインや、プロトタイピングツール「Prott」を手がける株式会社Goodpatchを立ち上げた土屋尚史氏の始めの一歩を紹介します。
大学時代に患った大病が人生の転機となった
大学生の頃に”死”を連想せざるを得ない大病を患ったという土屋氏。ほとんど大学に行かずバイトに明け暮れる日々を過ごしていたが、病気をきっかけにバイトが出来なくなり、大学に戻ることを決めた。そして大学に戻り履修した「ベンチャー起業論」の受講をきっかけに起業を目指すようになる。大病を患ったことで、グダグダ悩んで意思決定するのではなく、とにかく面白いと感じる方に行ってみようと考えるようにもなったそうだ。
PC作業は好きだったものの、起業やビジネスパーソンとしてのスキルや知識が不足していると感じた彼は当時20人未満のスタートアップであったフィードフォースに入社しweb関連のことを学んだ。そして25歳の時、Web制作会社にディレクターとして転職をする。
30歳までには起業したいと考えていたがアイデアがなかったため、起業家の講演会に足を運び話を聞くことにした。その中でDeNAの南場智子氏の話に衝撃を受けたという。それはシリコンバレーの会社は色々な人種が混ざって一つの会社を作るから、最初から想定するマーケットがグローバルである。日本のベンチャーはまず国内で大きくなってから海外進出という流れだから、最初から世界を目指してる会社にスピードで勝てない。だから、起業するなら多国籍軍を作りなさい。というものだった。その話に感銘を受けた土屋氏は翌日にシリコンバレーに行くことを決意したという。
シリコンバレーとサンフランシスコで感じた日本との違い
知り合いに紹介をしてもらい、シリコンバレーではなくなったものの、サンフランシスコの会社でインターンとして働けることになった土屋氏。そこで彼は日本との違いに驚かされたという。
まず一つはコワーキングスペースの存在だった。日本でオフィスというと高層ビルなど閉塞的な空間のイメージがあるが、サンフランシスコでは海沿いの倉庫を改装して作った場所がワーキングスペースがとして利用されており、「本当にクリエイティブな場所はこういう場所なんだ!」と気がついたという。
同じオフィスでも周りに別の会社の人たちがいて、日常的にピッチ(投資家へ向けて行われる簡易的なプレゼン)が行われている。そしてそのピッチに対して会社の違う人たちがラフにフィードバックを返し合う環境があった。こういう場所やコミュニティがあるから、世界中に広がるアプリやサービスはシリコンバレーやサンフランシスコから生まれるんだと納得させられた。
そしてもう一つは、サービスやアプリのUIのレベルの高さだった。名前も知らないようなベータ版のアプリでさえUIが洗練されており、日本ではありえないレベルだった。当時の日本のアプリはとにかく色々な機能を入れて、ウェブサイトを無理やり押し込んでるようなものが多かったのに対して、サンフランシスコのスタートアップはまず、ユーザーの体験が先にあった。だからこそ、いらないものは極力削ぎ落とし経営陣の中に必ずデザイナーを入れ、UIを明確な差別化ポイントとして開発を進めていた。
デザインの力を信じ諦めずに動き続ける
サンフランシスコでの経験を経て「日本の企業も世界中の人たちに使ってもらえるサービスを作るためにはUIに力を入れなくてはいけない時代が来る」と考えた土屋氏は株式会社Goodpatchを立ち上げ、UI事業とコワーキング事業を行なった。
しかし、どちらの事業も上手くいかずにキャッシュは減るばかりだったという。UI事業の仕事は発注がなく一時期はクラウドソーシングで仕事を探していたほどだった。
その後も業績は伸びず、考え直した後にコワーキングスペースは閉じ、UIデザインに絞ることにした。Goodpatchのミッション「デザインの力を証明する」で表されているように、不確実性が高まるこれからの時代にはユーザー体験までをデザインすることで、プロダクトの本質的な価値を届けることがますます重要になってくると考えたからだ。
Goodpatchホームページより
そんな思いを秘め、UIデザイン事業に絞ると決断をしたが、そのタイミングでこれまで一緒に頑張ってきた相方に「辞めたい」と切り出されてしまった。
事業を絞ったものの仲間に辞められてしまいギリギリの状況にいた土屋氏であったがUIデザイン事業をするからには、デザイナーを採用する必要があると考え前職場で一緒だった衣川氏に声をかけた。しかし、衣川氏は42歳では結婚していて子供もいる。転職活動中ですでに1社から内定が出ている状態。
当時のGoodpatchは全く先が見えないスタートアップであったが、それでもわずかな望みをかけて相談したところ、衣川氏は内定を蹴って、リモートでGoodpatchにジョインすることを決める。
ジョインしてくれた衣川氏やその家族に迷惑をかけないためにも土屋氏はとにかくキャッシュを回すため、当時β版であったクラウドワークスなどでUIデザインの仕事を見つけては、必死にエントリーする日々を過ごしたという。
そんな時にシリコンバレーで出会った関氏から「大学の友人と作ったWebサービスを見て欲しい」と連絡が来たという。
Goodpatchホームページより
連絡をきっかけにUIデザインを手伝うことになり、そのサービスがヒットしたことで、仕事の依頼が徐々に来るようになった。それは現在も多くの人に利用されている「グノシー」である。
「グノシー」の成功をきっかけに急成長を続けていたグットパッチであるが、一時期は会社のキャッシュが4万円にまで減ったという。しかし、事業の拡大に伴い採用した社員も食べさせていくためには動くしかないと、目の前のことにがむしゃらに取り組んだ。その結果、その状況も切り抜け現在では「マネーフォワード」や「出前館」など数多くの大ヒットアプリを開発する企業になっている。
編集後記 : 自分の足で動き続けたからこそ得られた成功
人々の生活を豊かにする大ヒットアプリを多く手がける株式会社グッドパッチの代表、屋尚史氏の初めの一歩を紹介しました。この記事を書いていて感じたのは、土屋氏の成功は足を使って動き続けたからこそ得たものであるということです。
Goodpatchホームページより
アイデアが思いつかない時、インターネットを使えば最先端の事例は簡単に手に入る時代です。しかし土屋氏は結婚をして子供がいるのにも関わらず、会社を辞めサンフランシスコの会社でインターンとして働き始めました。アイデアを得るための行動としてはリスクが大きすぎるようにも感じますが、今のグッドパッチの成功はきっとこの決断と行動力が無ければ生まれていないと思います。文章から得られる情報のみを知っているのと、現地に足を運び人と出会い、空間の雰囲気やテンポ感を知っているでは雲泥の差があります。そして、会社のキャッシュが4万円まで追い詰められた時も、お客様先の企業に毎日足を運んで、仕事をもらうことで切り抜けています。
コロナの状況下において、現地に足を運ぶことが難しくなっている時代に土屋氏が掴んできたようなチャンスはどのようにつかむ事が出来るのか。
オンラインのコミュニティに積極的に参加してみる。zoomでのアポイントメントをとって話を聞いてみる。前例の無い状況下でどのように動く事が正解かはまだ誰のわかりません。この時代において自分の足で動き続けるとはどのような事なのか。どのような形で動き続ける人が成功をつかむのか。
それを改めて考え直さなければいけないことに気づかせてくれる、土屋尚史氏の始めの一歩でした。
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