執筆は自己治療と言っていたけれど。

ミチムラです。

いきなり本題で申し訳ないのですが、僕にとって文章を書くという行為は、病んでいる自分に対するささやかな内的治療だとずっと考えていました。今回はそんな話です。

もともと内向的な性格で、少々ものを考えすぎてしまうきらいが昔からあります。それでいらない気苦労などもたくさんしてきたし、それはこれからもたぶん変わらないのですが、そういった内向きにかかる力みたいなものを外に流すという意味で、文章を書いているつもりでした。デトックスに近いですよね。

でも、2年半ものあいだ文章を書かずにいて、なんだかちがうかもなって思いました。

それどころか、書いていたときのほうがよっぽど病んでいたし、ある種の執着みたいなものがめちゃくちゃにあったような気がします。

書かなかった期間、メンタルはけっこう安定していたし、仕事でそれどころではなかったけれど、まあふつうにやっていけてます。

むかしは自己表現とか、自我とか、そういう自分の存在に対するこだわりみたいなものが必要以上に強かったのかなと。

なぜそうだったのか。

自分、という容れ物になにもなかったからだと思います。誇れるものとか、ほんとうに手にしていたいものとか、シンプルに安心感とか。

とても乾いていたんだな、といまになって思います。
それを癒そうとしていたんだけれど、やればやるだけ枯渇していく。甘いもの飲んだら余計喉が渇く、みたいな。

残酷で、その当時は書いたらある程度選考は通るし、いけるんじゃないかな?と本気で思ってしまう環境でもありました。

いや、いまの僕だってゆくゆくは受賞できると思っていますよ。でもそれは、これからの自分がいかにそこに向かって正しく積んでいけるかどうか、というのを俯瞰してみた上で、きちんとやれたらいける、という話です。

もちろんめちゃくちゃにハードルは高いですが、がんばったら結果は出せるんじゃないかなと。いつになるかはまじでわからないですが。

だから今後文章を書く上で、それは内的治療ではなく、あくまで純粋に創作がしたいという自分の意思によるものだと意識して、きちんと積んでいきます。

なにゆえに文章を書くのか?

文章がすきだからです。

文章を書くのがすきです。すきだけでは受賞できないけれど、ひとまずそこに立ち返ろうと思います。

シンプルでいいじゃないですか。

おわり

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