人間が楽しくなる妄草//駐車場の雑草
狭い空間に居合わせた
まるで違う顔ぶれ。
たとえ小さくても
広い世界は見えてくる
空間の大小によって、生きるやつらの多様さが制限されるわけではない
と、人工的に押し固められた駐車場の隙間から、ふいをつかれた。
冬の間の、小春日和なある日。
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街の中、どこにでもあるような、数台の車が窮屈そうに並ぶ駐車場。
人工物に押し固められたこの場所は、一見すると、"多様な草"が生きるのに充分な空間とは思えない。
でもそれは、表面をなでる傍観者の意見。
此処で生きるやつらと顔を合わせ(地面に顔をこすりつけ)、よくよく覗けば、小さくもパワフル、かつカラフルなその世界に釘付けになっていく。
手のひらで覆えてしまうくらいの空間でひしめき合っているのは、なんと、8種類もの異なる顔ぶれ。
(ヒメジョオン/ツメクサ/キュウリグサ/ホトケノザ/オオイヌノフグリ/オランダミミナグサ/カラスノエンドウ/ハハコグサorチチコグサモドキ関連)
※ロゼット状態なので正確ではなく大まか、大体の見当です
雑草。
一方、多様な草が生い茂るには充分に見える田舎の空き地で、この駐車場全体の面積でさえ、2〜3種類の草しか生えていない、という状況もザラにある。
(セイタカアワダチソウの群れ)
どちらが良い、悪いではなく、頭だけでのイメージがすべてではない、この現実の面白さが愉快。
山の上でも街の中でも、
狭くても広くても、
目立ってても目立たなくても、
草の量が多くても少なくても。
その空間に居合わせた種が違って、それぞれの種が顔を出せる環境であれば、色んなやつらがでくわすのは必然。
空間が窮屈でも、そこに種がいきつき、受け入れる土壌さえあれば、色んなやつがえいやっと顔を出してくる。
小さな空間でも、広い世界を受け入れることはできる。
多様な生き様を、受け入れることができる。
裏を返せば、たとえ広い空間でも、その土壌がなければ、世界は狭いままなのかもしれない。
と、駐車場の隙間が言ってました。
ただ、コアで限定的な空間というのがあっても、それはそれで面白いし、誰かにとってのオアシスになることもあるのかもしれない。
とも、同じ駐車場でこのように示しておりました。(放置された銅板?のわずかな穴から顔を出すホトケノザ)
面白い世の中です。
私が何か空間をつくるとしたら、どんな大きさで、どんな人たちが顔を出してくる場所になるんだろう。
そんなことを考えて、ちょっと楽しくなった昼下がり。
空間の大小にとらわれず、面白い世界を、目一杯ぶちまけてやろう。
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