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過去記事再掲です。 

あまり過去を振り返ることがない私・・・・子どもの頃はアルバムを見返すとか好きだったけれど、なんかそういうのがあまり得意でなくて、作った動画も含め、その時が過ぎれば内容が何か・・・あまり覚えてもいない・・・笑  そんな私がこうやって、過去記事選びをするのは相当珍しいこと。懐かしいような、やっぱり全部捨てちゃっていいか・・・と思ったりする様な・・・でも、あの頃は(も)こう思っていたというのを改めて見直すのもたまにはいいのかも。。・・・January 12, 2021


書き終えて、ちょっと怪しくかなり難しい話かも・・・と思ったけれど、あえて記しておくことに。

あちこちで、風の時代が始まった!という話を、聞かれているとも思います。実際にこの数週間でさえ、私の周りではかなりすごいスピードでいろいろなことが現実化していて・・・なんだか本当に、思考のあり方を一歩間違えるとヤバイ?・・・とも感じるくらい。

タロットでも、人が二極化してきていることをマザマザと見せつけられている感じなリーディングが増えている気がして、つい後者の場合は、まったー!ごまかさずに、メッセージをしっかりと受け取ってーと言いたくなります。

  • A:自分が好きなことを自分ペースでどんどん実現化しようとしている。転職や開業を含めて・・・もちろん、不安はあるけれど、その不安を払拭して進んだら良い!という感じ。

  • B:このままだと、思考の闇に引っ張られてしまうよ!軌道修正の時!!まだ間に合うから!!!日常でまず、気づいて!なかったことにしないで、向き合って!という感じ。

私は天体には詳しくないのだけれど、「近い将来、経済システムが壊れ、価値観がグッと変わる」というのを初めて聞いたのは、そういえば2000年を迎えた、ロンドンに住んでいた頃だなあーと思い出す。その頃はまさか、こんなロックダウンな日々という形で体験するとは思っていなかった。だいたいマスクしている人をイギリスの日常生活で見る世の中になるとも思わなかったし。意識して距離を取るように、ハグしないように・・・はまあ、日本人的にはまるで「ん?とっても日本?」な感覚といえ。

そう言えばその頃くらいから、アセンション云々も多くの人が語っていたなあーなんて思い出すのだけれど、その頃の私と今の自分を比べると、やっぱり今の自分の方がしっかりと地に足をつけている・・・と感じられてほっとする。笑


サイキックを特別視する人にとって、アセンションという言葉は妙にキラキラした素敵なことで、高次元の世界に・・・という雰囲気だった。そのために、超能力開発だとか、チャクラ開発だとか、いろいろサイキックワークも特化されて、ブランド化した印象がある。(ただ私がそういう世界に気づいただけだったのかもしれないけれど・・・私みたいに急に見えない世界へ惹かれる人もこの20年で大幅に増えたと思うし、私もトレンドの中にいたってことだと思う。)

そしてその後、日本でも「スピリチュアル」という言葉が大ブレイク・・・精神性(霊性)というのが、スピリチュアルの日本語でもあるので、少しも「特別なもの」ではないのだけれど、サイキック(超能力)と合わせてのスピリチュアル?? いわゆるスピリチュアルビジネスもその流れの中で一気に広まった感がある。

ちなみに私がロンドンで通っていた学校はサイキックスタディーのカレッジ(CPS)。すぐ近くにスピリチュアリスト・アソシエーション(SAGB 英国スピリチュアリスト協会 後に江原さんで有名になったところ)もあり、瞑想に通っていた(これまた後に江原さんのお友達として有名になった?金城先生の瞑想クラスに)。どちらも18世紀後半に設立されて、ベースで活躍しているのは、ミディアム(霊媒師)。

公開ミディアムにいくと、「こんな人がきましたよ・・・心当たりある人いますか??」みたいな感じで、参加者と関係深い霊が霊媒師を通してその場でメッセージを送りにやってくる。時には霊がいっぱい来すぎて、霊媒師が「はい順番に!」というくらい大繁盛にも。

そういうとき、大抵の場合は参加者の心当たりのある親族が出てくるので、「死後の世界って、こうやっていつでも繋がれるんです・・・魂は永遠なのですよ・・・」というスピリチュアルな現実を教えてくれるという場所な位置づけ。もちろん能力開発クラスもあるので、霊媒師になるための訓練ができるという場所ですが・・・輪廻という考えが一般的ではないキリスト教圏ならでは?なのかもしれません。またスピリチュアリスト教会(チャーチの方)はあちこちにあって、公開ミディアムや寄附金によるヒーリングなどはあちこちで行われている。ここにスピリチュアルビジネスはない・・・。


精神と言った時に、日本語だと「精神病」という言葉が浮かぶ人も多いと思う。現実的に、妄想や幻覚、幻聴とサイキック能力は、線引きが難しいのではないかなとも思う。一般的な精神科医がみれば、たとえば憑依は精神病でしかないだろうし、まず安定剤が処方されるだろうなと思う。いわゆる多重人格者は、まさに 数人の精神が、1つの肉体に宿っている状態でもあるし。イタコなどの土着な霊媒はどこの文化にも特別な人に与えられた才能として存在する。

もう1つ、日本語で精神というと、「スポーツマンシップに乗っ取り、正々堂々と・・・」の精神。「そうあるべき、神の真意に沿って」的な。「精神統一」はこちらの、安定感のある落ち着いた響きに属す。

ついでに、日本語の魂は、英語でいうソウル。日本人の精神=大和魂。精神と魂もにているけれど、魂は病気にはならない。例えば、会社の創設者が死亡しても、創設者の魂はまだ生きている!という感じで、肉体を伴わなくても存在感を理解できる。

一方で英語だと スピリットは 精霊のイメージ。精神病の時はメンタル・イルネスとなって、スピリットが病気とは言わない。やっぱり魂に近い。メンタルという時、日本語ではその言葉はやっぱり「精神的に強い・弱い」という意味合いで使う。また「心」はハートチャクラ的なハートとも表現される・・・ハートが病気は心臓疾患・・・と一気に臓器へ行ってしまうけれど、メンタルや頭はどこ?と聞かれれば頭をさすり、ハートやこころは?と言えば心臓。スピリットや魂は中心か頭上。マインドはと言われると、頭か心か迷う・・・という現象がおこる。

英語で、三身一体:ボディ・マインド・スピリット と言った時に、体・心・精神となるのだけれど、ここのマインド、メンタル・ハート・スピリット・・・の境界が日本語ではとても曖昧になり、すべて「こころ」に置き換えられることもできるという部分も出てくる。


「精神性の時代」イコール「心のあり方が全て」の時代・・・とも考えられて、「ハッピーなら全てうまくいく!」という流れになっているのかなという気もする・・・ポジティブにいけば大丈夫!みたいな・・・

そしてどうやら、一般的に、スピリチュアルなことに興味がある人は、この変容を「これからどんどんと、素敵な世界への移行!思いは叶う!」と捉えている雰囲気みたい・・・? それは多分、その基盤が、精神イコール「こころ」だからなのだと思う。


でも、エレメントとしてみた時に、私は実はそんなにのほほんと、いい時代が来るね・・・と言えないと思っている。(そういうネガティブな考えがダメなのよ!と怒られそうだけど・・・)


だって、風のエレメントって、「ソード」なのです。これ、正直言ってハードル高いです。マインドトリックの世界に近い・・

私たち、現代人が大好きなソード。 タロットでは1から10までで見た時に、ぶっちゃけ1か7の2枚だけしか、ポジティブに取れないカード。笑 こころ・気持ちを示すカップ(エレメンツは水)なら、4・5・7以外はハッピーなのに。エレメント的にここまでシビア感の出るカードはソードしかないんです。


単純に5分の1の確率でしか、生き残れない時代?? しかもそのうちの7ソードをラッキーカードとして認識できる人は非常に少ない・・・。これはかなり上級的なスピリチュアルの視点でみれないと難関。でも、時代的には、7ソードに乗れてこそが、救われる道なイメージ。

カードがわからない人にとって、ちんぷんかんぷんの内容だと思うので、カードを並べます・・・。こんな感じなのです。

ソードの世界 1から10まで  
ライダーウェイト版ユニバーサルタロット

唯一の光が見えるのは黄色い7。でも一般的にタロットの世界で、このカードの深さを読める人はほぼいないと思う。私的な解釈はこちらになるのだけれど、これは、私のオリジナル解釈に過ぎない。たいていは、うわ、出ちゃいましたね、嫌なカード・・・的な扱い。

さあ、ソードの時代幕開けですよ!と言われたら、正直な話、ちょっと印象深い、8・9・10とかは勘弁・・・と思いません?? 

コミュニケーションが大切ですよ!個性豊かに!精神性を大切にして!情報シェアですよ!という感じでとてもキラキラとまとめられていますが・・水(カップ)要素が入りすぎな、ポジティブ過多解釈な気がします。

カップの世界というのはある意味では肉体を持たない魂そのものの世界。いわゆる嘘偽りがない世界。社会的にこうあるべきというのがない世界。小さな子どもの世界は「今しかない、カップそのもの」の世界。エゴがない世界。もちろん完全に切り離せません。

ソードは「社会性を身につける」と同時に比重が大きくなる思考。

社会的にどうありたいか。ここに、自分だけ良ければ良いのではなく・・・という感覚はとっても日本人だと思う。これは通常の日本人にとってはごく当たり前すぎて気づかない・・・。言葉で説明が難しいのだけれど、ちょっとした気配りだったり、全体の一部として自分を見れる客観性が求められる。イギリスに生まれ、日本で5歳から10歳まで過ごした娘が、日本で高校生をしたい・・・といった理由の1つがこの、「自分だけよければ良いのではない」という感覚が好きで、心地よさを感じた(逆に言えばその後の学校環境での個人主義な感覚が好きではなかったから)というのもある。

個人主義と個性尊重は違う。

そして社会全体の幸せを思ってという方向性がやっぱりこれからは必要な気がする。


ソードをあえてポジティブネガティブで捉えると、ポジティブライン上には「全体の一部としての自分のありかた」があり、ネガティブライン上には「エゴ」があると思う。つまり、思考をいかに切り替えられるか・・・は、エゴ要素をいかに捨てられるか・・・これが、この転換期の数年の人類の大きな課題な気がするのだけど、そのためには、自分の持ち手であるソードを自覚する必要がある。自動モードで運転している思考を一旦、マニュアルモードに切り替えて、自覚してみること。意識して思考の動きに気づいていくこと・・・思い込みであれば、そうであると気づいて不要なものは手放すこと・・・。

自覚すると、ポジティブシンキングとネガティブシンキングは背中合わせであることがわかるし、中庸が一番だと気づくはず。。。特別なカリスマ的存在もいらない。みんな同じところで繋がっているという謙虚さをもつこと・・・


そして、目指すいわゆる「高次元」は自分の内側にしかないということに気づけないと・・・キラキラワードのアセンションは、ただの輪廻の繰り返しへの道になってしまうと思うのです。

これも15年ほど前にコースインミラクルに出会った時に、そうだったのかあーと思ったこと・・・遠くに手を伸ばしても、どんどん遠くなる・・・浮き足では繋がらない・・・。しっかりと地に足をつけないと・・・。スピリチュアルな成長、魂の成長に、サイキック能力(*エゴと隣り合わせであるが故)は不要であり、紙一重で、足かせにすらなりえない・・・ということ。


だいたい「命かけての覚悟はできていますか?」と言われて「はい」と言えても、「死を覚悟できてますか?」と聞かれれば、間髪入れずに「もちろん」と答えられる人はそんなに多くはないはず。

これは人が最後の最後に手放すもの(2ソード:死の恐怖)でもあるので訓練するものでもなく、命を大切にすることは絶対なのだけど・・・でも、最終的にはここを通らないと、いわゆるエンライトメント、アセンション、悟りである「輪廻の消滅」にはたどり着けない

これは、もう生まれ変わって「体験して学ぶ必要」がなくなること・・・それが、魂の目標の頂点。そしてここは、7ソードの延長上にあるのだと思う。これまでの善業(ダルマ)のご褒美的な・・・

*悟り:これにも入り口から、最終地点まで長い道のりがある。まだ私自身、入り口をちょっと垣間見ただけかなと思っているのだけれど、多くの人はこの途中の段階で「悟った」と解釈してしまい成長をやめてしまうと言われている。なのでここで完了形にして自分は素晴らしいというエゴが捨てられないのはとっても勿体ないこと・・・

さらにはサイキック能力へ固執しまう場合も多く、もうこれで悟ったと思ってしまう状態にも陥りやすく(サイキック能力はエゴを助長する性質がある:ブランティーダルシャンという落とし穴)。更には、もう1段階、アブラダブミカトゥワというあと一歩が足りない状態を経て・・・ 最後の最後の悟りの頂点へ到達するためには、「悟りたい」という「望み」すらがない状態にならないと到達できない・・・という、この最後の難関、アンナワスティタトゥワニという9段階があると言われています。(もちろんサンスクリット語思い出せなくて昔メモ見ました)

これは、今から1500年前には書かれていたという、ヨーガ・スートラに記述されていること。そう、そーんな昔から!

ちなみにキリストもお釈迦様も、悟りを開いた人・・・なのでその後「生まれ変わっていません。」よく、どこだかのグルは誰々の生まれ変わりで・・・とも言うけれど、そうすると「まだまだこの世で学ぶことがあるために生まれてきた魂」という認識に。なので、有名人の生まれ変わりだと豪語する素晴らしい人も、まあそれまでの人ということ・・・ 頂点へ到達するというのはそれだけ、なかなかあり得ないこと。そんな中、頂点へ到達した日本人女性がいるということは、本当にありえない生仏様と言えます。


ヨーガ、チッタ、ブリッティ、二ローダハ (ヨーガ・スートラの最初の言葉)

ヨーグ(つながる)とは、思考の動きに惑わされないこと。

= 思考を制する者が、内在神と一体化する。


ちなみに、タロットには表されていない、もう1つのヴェーダの5要素の1つというのがあります。なるほど、ここが見えない鍵なのか(カードが存在してないし・・笑)、と最近感じている部分です。

それは、アカーシャ (=スペース=宇宙=空間=ゆとり=あそび)  これを自分の内側にもつこと・・・。自分の内側に気づくこと・・・。それぞれの要素をつなげていくのは、このアカーシャ。何かを手放すとき、緊張を緩める時、気づいて「認める」ときの、「動き」であり、「癒し」であり、「シフト」の感覚は、アカーシャのエネルギーかな??と感じています。

宇宙の存在としての自分であり、自分の中に小宇宙があるということであり・・・大きくも小さくも、(宇宙規模であり、微生物規模であり)ある意味量子学的な?? あるようで、ないような・・「隙間」 原子核の周りを電子が回っている波動・・そのものともいえそう・・・(原子核が皇居にサッカーボール大で設置されていたら、周囲を取り囲む電子はパチンコ玉大で、箱根くらいの距離感覚に存在するらしい)ということは、自分が原子核だと、周囲のパチンコ玉はいったいどの辺に!?笑 そしてどんなスピードで波動として動いてる??? ちんぷんかんぷん。とてつもなく大きくもあり、とてつもなく小さくもある、私たち・・・


最後にこれは参考までに、意識レベル・・・というものを可視化したい人へ、ダウジング表。700以上が悟りのステージらしいです。最終レベルの認識がちょっと低くて、完全な悟りだと1200くらいではないか??と思われますが前よりも悟りステージが細分化されてます。意識を高めていくイコール、魂的な成長、イコール、波動アップ!どこにチャンネルを合わせるか?それは自分次第というところに戻ってきます。(エースソード)   ダウンロードはこちらから。。

意識のマップ 「パワーかフォースか」By ホーキンズ

追記

おおーそれからも、かなり確信を得たぞ感がある。自分の意識レベルもアップしたてるー・・・と思いきや、社会全体レベルでは下がっている感じが・・・涙

そうだよねえ・・・とことんFEARに煽られ、私は目覚めたのです!という人がANGER剥き出しにしていては・・・はあ、、、そして、いい感じに成長したかと思ってもNON DUALITYを越えられないで違う方向へ行ってしまったり・・・

最近、ダウジングのセッションでセラピーや学びの「グラウンディング度」もわかるかということで、そうですね!せっかくならしっかりと地に足がついた人に!!とチェックしてみて、初めて気づいたことが・・・。

通常のダウジングチェックで、「地に足がついていない感」はチェックするのです。それはそれは地に足がついていない人が多いから・・・。

でも、この「グラウンディングがしっかりできている度」というのは、かなりしっかりと地に足がついている・・・ということになり、10出るのは悟りの聖者レベル・・・(0−10スケールで)

でも、その方たちがやっている「組織」としてみると、純度;数値が下がるのです・・・
なぜか?それは正確にはわからないけれど、「組織」にすることで「サバイバル」に必要な金銭が関わってくるからかなと・・・。

悟った方は俗世の生活には興味がないのでお金もいらないレベル・・・だから、ご本人たちは多分、金額設定は正直どうでもいい・・・。でも、組織的には運営費が必要・・・それならわかる。。

たまたまですけど・・・その時にチェックした素晴らしそうな人も、「地に足がついている度」は実に1程度で・・・。多分それは、この意識チャートで言えば、

350くらいでようやく地に足がつき (地に足がついている度0−1)うちなる光が輝き出した400という感じなんだろうなあ・・・と納得。グラフでいえばまだまだ真ん中。

イエス!明らかに、修行は続く!

#風の時代 #悟り #修行 #意識マップ #地に足つけたスピリチュアル #ヨーガ・スートラ  

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